(7)
『亡くなったの! 死んだの! わかる? だからもうその話をするのはやめてちょうだい』
頭の中が真っ白になった。
母親からの電話におざなりな態度で出て、しつこく「にいさん」について聞いたからなのか、彼女は耐えかねたようにそう言い切った。
私は彼女が嘘をついているんじゃないかと思った。
自分が想像しているよりも酷く冷え切った、平坦な声で私は問う。
「……いつ?」
『昨晩、連絡を貰ったばかり。葬儀はしないって、あちらも言ってるから。いい加減あなたも――』
そのあと、彼女がなにを言い募ったのか、私がなんと言って電話を切ったのかは、どうしても思い出せなかった。
私は悲しみに涙を流すこともなく、ただ鉛のように重くなった体でベッドに横たわった。
天井を見るのではなく、白い壁を見ているうちに、外はとっぷりと日が暮れて、部屋にも暗闇がやって来る。
――「にいさん」が死んだ。
臓腑から体が冷えていくような感覚が立ち上る。指先の震えが今さら来て、止まらなくなる。
一方で、このまま冷たい死体になれたらいいのにと思った。
そうすれば、「にいさん」といっしょだろう。
「……おねえさん? どうしたの? 具合悪いの?」
木のうろの丸穴から見える、切り取られた空は白っぽい昼の青をしていた。
うろの中を心配そうに覗き込むタイグを見ても、私はすぐに返事をする気力すら湧かなかった。
木の香り、土の匂い。頬に当たるそよ風、鳥や虫の鳴き声。今のわたしには、すべてが虚無に響いた。
ゆっくりとまばたきしてから、緩慢な動きで上半身を起こす。
「ごめん、もうタイグには会いに来れない」
「えっ?」
「ごめんね」
「どうして? おれのせい?」
タイグの顔が、親とはぐれた迷子の子供のように歪んだ。
「ううん。それは違うよ」
私は微笑んで否定する。
「私の……身勝手な都合で」
「どうして? いやだよ、おねえさん、行かないで!」
「ごめんね」
……「にいさん」が死んだから。
そんな理由は、どうしてもタイグには告げられなかった。
口に出して「にいさん」の死を認めるのが心底恐ろしかったこともある。
タイグに、そんな事情を話しても仕方がないだろうという思いもあった。
それからもう半分くらいは、年上としての矜持を保ちたかったというのもある。
タイグに一方的に別れを告げ、謝ることしか出来ない私の、身勝手でちっぽけなプライド。
タイグにはせめて大人のように振舞いたかったけれど、もうそれも無理だ。
「にいさん」が死んだから。
私も死ぬ。
「おれにはっ、おねえさんしかいないのに……っ」
タイグは金の瞳から涙を流す。
私はそれを拭いもせず、ただ曖昧な微笑みを浮かべて眺めていた。
「それは違うよ。タイグはこれから色んなひとと出会って、色んなことを知る。そしたらそのうち私のことも思い出になる」
「いやだ」
「大丈夫。……タイグにはちゃんと『愛される資格』があるから、それだけは覚えていて」
「やだ! 『愛される資格』なんてなくていい! ずっとそばにいてよ!!!」
いつも通り、白い光がじわじわと私の視界の奥からにじみ出てきて、それはゆっくりと私をこの世界から連れ戻す。
我ながら、最低最悪の別れ方だと思った。
けれども、私にはきっとお似合いの別れ方だ。
もう少し私がまともな人間だったら、きっともっと綺麗なお別れもあっただろうけれど、そうはならなかった。
これが現実だ。
「ごめんね」
私の言葉は、冬空に溶けて行く白い吐息みたいだった。
タイグにとっては、そのほうがいいだろう。
いつも通り、気がつけば私はベッドの中に、私の生きる現実の世界に戻っていた。
けれどももう、タイグのいる世界へ行くつもりはなかった。
「にいさん」が死んだから。
私も死ぬ。
燃焼する酸素を失った火が尽きるのと同じように、私はその道を選ぶ。
どこか晴れ晴れとした気持ちすら抱いて、私は死を選ぶ。
だからもう、タイグに出会うことはない。出会えない。タイグのいる世界にだって行かない。行けない。
……そのはずだった。
なぜか私は娼館の下働きをしていて、冬が迫る中、中庭で冷たい水を張った桶から雑巾を持ち上げ、力いっぱい絞っているのだった。




