(3)
「おねえさん、あのときどうやって急にいなくなったの?」
金の瞳は警戒心と好奇心、それから不思議そうな色合いが混ざって、複雑な感情を呈しているようだった。
「……わかんない」
私は金の瞳からわずかに目をそらし、曖昧に微笑んで言った。
事実、私はなぜここにいるのか、どのような手段あるいはきっかけによって来たのか、前回、いかようにしてあのマンションの一室へと戻ったのか――すべてがわからないままだ。
そしてあの日と同じように、私はまた日本ではあまり見慣れない、平坦な森の中の巨木のうろにいた。前と同じように、ベッドに入り就寝しようと格闘していたところ、また気がつけばここにいた。
森の中ゆえに、周囲にはどこか暗さがあったものの、夜の闇からはほど遠い明るさである。
私はとっくに日が暮れて、完全な夜中にベッドへ入ったというのに。
「おねえさんは……妖精?」
「こんな大きな妖精っているの?」
「知らない」
金の瞳がふてくされたように私からそらされる。男の子の顔にはまだわずかに緊張があったが、しかし私に背を向けて逃げるほどの、不信感や恐怖心は持っていない様子だ。
「……このあいだ名前聞きそびれたから、また教えてくれない?」
「ええ? おねえさんが勝手に帰っちゃったんでしょ」
「帰りたくて帰ったわけじゃないんだよ」
「……タイグ」
私は口の中で飴玉でも転がすように、小さく「タイグ」という音を出した。
間違いなく、あの漫画で死を迎えたばかりの、彼と同じ名前だった。
黒い髪も特徴的な金の瞳も、彼と同じで、よくよく見れば彼を幼くすればこんな感じかもしれない……という感想を、目の前にいる男の子――タイグに対して抱いた。
とは言えども、私が知る彼は平面の存在で基本的には白黒で、目の前にいるタイグは三次元の存在であるわけだから、漫画の彼とタイグを早々にイコールで繋げるのはちょっと難しい。
「『タイグ』って、よくある名前?」
「……昔の王様の名前なんだって」
「へえ」
「おねえさんは?」
「私? ああ、私の名前の由来はなにかってこと?」
「そう」
「『周囲を照らす太陽のような存在になって欲しい』みたいな由来だったかな……」
自分で言って、なんて大それた由来なんだろうと思った。それは、小学生のときに自分の名前の由来を聞くという宿題が出され、両親から話を聞かされたときにも思ったことだ。
私には荷が重すぎるし、あまりにも名が体をあらわしていなさすぎて、恥ずかしさすら覚えるほどだ。
「そうなんだ」
タイグはどう感じたのかは定かではないものの、その質問に強い関心を持っていたわけではないらしく、私の回答を聞いても、そっけない言葉しか口にしなかった。
私はそのことに拍子抜けするやら、ほっとするやらで忙しい。
「……今日は長くいるんだね」
「そうだね。前より長いこといるね」
前回、ここに来たときの滞在時間はさすがにわからないが、五分にも満たなかったように思う。
それを考えると、今回の滞在時間は、タイグの言う通りに前回よりも長いように感じられる。
今の私はスマートウォッチだとか、スマートフォンだとかを所持していないので、正確な時間を測る手段がなく、どうしても感覚での話になってしまうのだが。
「タイグはいつもこのあたりで遊んでるの?」
鬱蒼とした、森の中である。遊具などは軽く見回しても見当たらなかったが、案外と虫取りだとか、あるいは鳥を追ってみたりだとか、遊びの手段があるのかもしれないとは考えた。
「……まあ」
歯切れの悪い言葉が返ってきた。その返事だけで、「友達いないんだな」と私は思った。
私も同じだから、なんとなくその気まずさが理解できた。
けれどもタイグは友達を作りたくても作れないのか、ハナから作る気がないのかどうかまでは、わからなかった。
昔の私は前者だが、今の私は後者だ。
昔は少しでもまともになりたくて、友達という存在に憧れ、欲していたが、今はもうすべてをあきらめている。
これまでの経験から、私は友達というものを持つに値する人間ではないと思い知ったからだ。
友達を大切にできる自信がなかったし、傷つける未来しか見えないなら、あきらめて独り閉じこもっているほうが、社会にとって無害だろうと考えている。
実際に、私は「にいさん」の婚約者に復讐することで傷つけたし、あの女の周囲の人間にも不快な思いをさせた。
相変わらず後悔や反省の心はなかったが、私が他者に対して有害であるという、その事実は認識できる。
「そういうこともあるよね」
前と繋がらない私の言葉に、タイグは不思議そうな目を向けた。
そのとき、また再び白い光が奥から出てきて、私の視界を覆い始める。
「また帰れるみたい」
私がそうつぶやくと、タイグは右手を軽く挙げて、遠慮がちに「バイバイ」とでも言うように左右へ振った。
その仕草がなんだか可愛らしいなと思いながら、私もタイグに倣って、右手を挙げてふらふらと横に振る。
そのときの私は、なぜかタイグにまた会えるという予感を強く持っていた。
「またね」
口から突いて出た言葉が嘘になるかもしれないという思いはあったものの、取り消すことはしなかった。




