(12)
それは雪まじりの雨が降る、ひときわ寒い日のこと。
かっちりとした詰襟の、紺色の制服の肩を濡らして、急いでやって来たという風体のタイグが娼館に現れた。
「どうしたんですか?」
私がその言葉をすべて言い切る前に、タイグはずいと一歩前に出てこちらに近づく。
タイグのほうが、当たり前のように背が高かったから、なんとなく威圧感を覚えて、私は一歩後ろにあとずさった。
「不審者を見ませんでしたか?」
「不審者? いえ、見ていませんけれど」
「ああ良かった。これからは外に出ないでくださいね」
「ええ?」
タイグの突然の物言いに呆気に取られる。
とは言えども外は雪のまじった小雨が降り注いでいるような天気だ。進んで外に出たい気分にはならないし、そもそもの話として、私は超インドア派。たまに貰える休暇だって、割り当てられた狭い屋根裏部屋でごろごろと過ごしているような人間なのだ。
「このあいだ、貴女を人質に取った男が護送中にうちの隊員に大怪我を負わせて逃げ出したんです」
「それ、先に言ってくださいよ。『外に出ないで』なんてなにごとかと思ったじゃないですか」
「すいません……」
「ええと、つまり、凶悪犯が脱走中ってことですか」
「そうなりますね」
私は軽く息を吐く。
そんな私を見てどう思ったのか、タイグは申し訳なさそうな顔をした。
「ご苦労をおかけします。つきましては、貴女の警護を――」
「必要ありません」
ぴしゃりと跳ね除けると、タイグは目を丸くして何度か瞬きをした。
「必要ないです。私の警護に割く人員で、その凶悪犯の行方を追うほうがよっぽど有益ですよ」
「あの男の捕縛のきっかけを作ったのは貴女なんです。逃げた男が貴女のもとにやって来て、危害を加える可能性も」
「あくまで可能性の話でしょう? そんなこと言っていたら、キリがない」
「恐ろしくは、ないんですか?」
私はしっかりとタイグを見上げていた。
けれども視線は合わなかった。きっと私が、そらしていたからだ。
「どうでもいいです」
そのひとことが私の本心すべてを表していた。
外では雪まじりの雨が降る、寒い日のことだった。
暖炉には当然、火が入っていたけれど、寒いものは寒い。
体が寒さを感じると、心もなんだか寒くなってくるものだ。
だからここのところの私は、気分がささくれ立っていて、だれかに当り散らしたいような、最悪の気持ちに駆られていた。
それを必死にこらえて、けれどもどこかでにじみ出てしまって、タイグにとても平坦な声で返事をしたと思う。
「俺は……少しだけ嘘をつきました。だれかに言われてここに来たかのようなふりをしたけれど、本当は俺が貴女を――テルノを守りたいから来たんです」
「……そうですか。気持ちだけは受け取りますから、どうぞお帰りください」
放っておいてほしかった。
不機嫌な態度を取る自分が、ひどく矮小で醜悪な存在に感じて、その場から消えたくて仕方がなかった。
「嘘つき」
いつの間にか、私はうつむきがちになっていた。
そんな私の頭に、タイグの少しかすれた声が降って来る。
「受け取るなんて嘘だ。受け取ったふりだけして、捨ててしまうくせに」
「タイグさ――」
「そんな他人行儀な呼び方だって、ずっと嫌だった。覚えていないなんて、嘘だ。そうでしょう――お姉さん」
もしかしたら。
もしかしたら、タイグも私と同じ気持ちだったのかもしれない。
寒いから、心まで寒くなって、寂しくなって、当り散らしたい気持ちになって。
だから、ここで決壊した。
「――そうだよ」
「! お姉さ――」
「そんな風に呼ばれる資格は、私にはない」
「どうして……」
「どうしてって? 私は最低な人間性の、異常者だから」
吐き捨てるように事実を言えば、タイグが息を呑むのがわかった。
「あの日。タイグに別れを告げたのはね、死ぬことを決めたから」
「……え?」
「ここに来たのも、きっとそうしたから。わかった? 私は身勝手な最低最悪の人間で、だれかに守ってもらったり、気にかけてもらったりする資格も、価値もない」
「お姉さ――」
「お願いだから、わかって。私の前から消えて」
わざとタイグが傷つくような言葉選びをした。
自己嫌悪でぐちゃぐちゃになって、加害者のくせに声が震える。どこか涙が混じる。
タイグの中で、綺麗な思い出のままの自分を守ることだって出来た。
でも、それはたぶんタイグのためにはならない。
綺麗な思い出のままにしておいたら、タイグは私に囚われたままなのだと気づいた。
「そんなことない!」
タイグは叫ぶようにそう言うと、私を抱き寄せた。
突然の出来事に、私の体は固まって、ろくな抵抗も出来なかった。
「だれにだって『愛される資格』がここにあるって、教えてくれたのはお姉さんだ」
タイグの大きな男性の手が、私の頭を覆うように触れ、それからそっと肩口に押しつける動きをする。
タイグの心臓の音がした。
心なしか、速い。タイグの鼓動が私の耳を、規則正しく震わせているような気持ちになる。
「そ、んなの……口先だけ、なんだよ」
「……口先だけだとしても、俺はその言葉に救われた。俺を救ってくれたのは、お姉さんだ。『愛される資格』が確かにここにあるって、そう思って俺は生きてきた。もしお姉さんの言葉がなかったら、俺はきっと、もっとろくでもない人間になっていたと思う」
――知っている。知っているから、教えたんだ。あなたには「愛される資格」がちゃんとあるって。
物語の中の彼と、タイグは今、明確に違う道を歩んでいる。
だからこそ、私は。
「お姉さんは死んでない。ここに生きてる。だから、今度こそ俺と」
……私はタイグの言葉の先を聞きたくなくて、渾身の力でタイグの胸を突き放した。




