009 精霊の取り替え子
フェイが生まれたのは、ノルドルン王国のどこかにある、山間の静かな村だった。
今となっては、村の名前も場所もよくわからない。
フェイにとって、精霊が見えることは当たり前のことだった。
おそらく生まれつき見えていたのだろう。物心着く頃には、精霊が周囲にいるのが当たり前で、他の人にも同じような景色が見えているものだとばかり思っていた。
どうやらそうではないらしいと気づいたのは、いつのことだっただろうか。
二、三歳頃になり、村の子供たちと遊ぶようになってからは、少しずつ違和感を覚えるようになっていたのではないかと思う。村で暮らしていた頃の記憶は朧げなので、このあたりもよく覚えていない。
だが、村の大人たちの一部から気味悪がられていた記憶は薄っすらと残っている。
両親は、小さな村で過ごす普通の大人だった。
フェイのことを少し変わった子だと感じてはいただろうが、当初は我が子可愛さゆえかあまり気にしてなかったのだと思う。
フェイが花畑を舞う精霊を見て「おはなのようせいさん!」とはしゃいでも、「そうだね」「お花が綺麗ね」など、子供らしい可愛い言葉だと微笑んで受け流してくれていた。
——事態が急変したのは、フェイが四歳になってしばらく経ったある日のことだ。
四歳にもなると、子供たちの中でフェイはすっかり浮いた存在になっていた。
精霊を見ることができ、言葉を交わせるフェイは、はたから見ると何もない空間に話しかけてはケラケラ笑う不気味な子供だったのだろう。遠巻きに見られるようになり、誰も遊びに誘ってくれなかったけれど、フェイは一向に気にしていなかった。
なぜなら、周囲には常に精霊がいて、霧雨のような水を出して小さな虹を作ったり、花びらを舞わせたりして遊んでくれていたから。
その日、フェイは追いかけっこをして遊んでいる精霊たちに混じり、村近くの木立の中を駆け回っていた。
《次は競走だ!》と、ある精霊が言った。
出発地点の地面にはフェイが木の棒で線を引き、終着点は花の精霊たちが作った大きな花輪と決まった。フェイもきちんと通り抜けられるよう、子供なら屈まずともくぐれるくらいに立派で綺麗な花輪だ。
《準備はいい?》
《三、二、一、始め!》
風の精霊の掛け声で、競走は始まる。
空を飛べる精霊たちの方が当然早いのだが、彼らは近くを飛んだり、少し先に行ったものの《はぁ……はぁ……疲れちゃった》と体力切れのフリをしてフェイを待ったりと、競走の過程を一緒に楽しんでくれた。中には、ちょこちょこと地面を走る子もいて、皆できゃっきゃと楽しく笑いながら駆けていく。
終着点が近づくと、やんちゃな精霊が《一番は譲れないよ!》と一足先に抜け出し、花輪をくぐった。何人かの精霊が続いたあと、フェイは風の精霊に背中を押してもらいながら、花輪をくぐる。
その途端、ぐにゃりと景色が歪む。
目眩がして座り込んだフェイが次に目を開けた時、景色は一変していた。
《あれ、おうちだ》
《フェイが来るのは初めてだよね? ぼくたちのおうちへようこそ!》
そこは、夢幻のように美しい世界だった。
見渡す限り広がる花畑。ところどころに巨大な木がそびえており、光を帯びた小川が優しく流れている。大岩には美しい女性が腰掛けていて、金色に輝く楽器で、不思議でうっとりするような旋律を奏でていた。
「あら」
彼女は見慣れぬ来訪者に気づき、視線を上げる。
人にはおおよそありえない、淡い紫色の髪。そして内側から光を放つような金色の眼に見据えられ、フェイは彼女が人間ではないことを悟って目を瞬く。
精霊といえば、フェイよりも小さい子しか見たことがなかったので、大きな大人の姿をした精霊がいるなんて知らなかったのだ。
「愛い子。音楽は好き?」
彼女が弦を爪弾弾くと、なんとも言えない心地よい音色が響く。フェイは迷わず「すき」と頷いた。
返事を聴いて微笑んだ彼女は、今度は楽器を奏でながら歌い始める。花園での演奏会は本当に夢のようなひとときで、フェイは最後の一音まで、半ば呆けながら聴き入った。
演奏を終えると、彼女は優美な動作で立ち上がり、それとともに楽器が空にかき消える。
「愛い子や。精霊は好き?」
「すき」
フェイは再び、迷わず頷いた。
「そうか」
微笑んだ彼女は、白くほっそりとした指先をフェイの頬に当てる。
「ならば祝福を贈ろう」
彼女の手は柔らかくて、甘い花の香りがした。
「目を閉じて」
言われるがままに目を閉じると、彼女の親指が、フェイのまぶたを優しくなぞる。
「これでよい」と言われて目を開けると、彼女の金色の眼が満足気に細められた。
「さて、愛い子や。あまりここに長居してはいけないよ。皆、送っておやり」
《はぁい》
彼女が指先で空中に円を描くと、その円の中が水面のようにきらめき波打つ。
《行こう、フェイ》
《こっちだよ!》
精霊たちに導かれて、フェイはその空間へと飛び込む。
またぐにゃりと景色が歪んだ次の瞬間、花輪をくぐった場所へとフェイは戻っていた。
「フェイー! フェイー! どこにいるの!?」
母が自分を探している声が聞こえて、フェイは精霊たちに別れを告げ、慌てて声の方へと向かう。
「おかあさん、ただいま!」
「もう、どこに行ってたの、フェイ」
駆け戻ったフェイは、母の腿あたりにぎゅっと抱きついた。そして、先ほどの不思議な体験を聞いてもらおうとして、「あのね!」と母を見上げる。
フェイの顔を見た途端、母は驚きに目を見開き、眉根を寄せた。
「フェイ……? どうしたの、その目……!」
「おめめ?」
首をかしげるフェイの前に膝をついた母は、頬を両手で包んで固定し、食い入るように目を見つめる。
「何、この色……」
「フェイのおめめ、どうしたの?」
「色が変なの。痛くはない? 変な感じはしない?」
「うん」
と、そこへ畑作業を終えた父もやってくる。
「あなた! ちょっと来て」
「ん?」
「フェイの目を見てちょうだい」
促されてフェイの顔を覗き込んだ父も、母と同様驚きの表情を浮かべた。
「えっ……なんだ、この色」
二人は顔を見合わせ、不可解そうに首をひねる。
「ねぇねぇ、フェイのおめめ、どうなってるの?」
自分だけ何もわからず、一体何が起きているのか気になったフェイは、二人に教えて教えてとせがむ。
両親はまた顔を見合わせ、頷き合った。
「フェイの目は、俺たちと同じで薄い茶色だったんだけど……色が変わってるんだ」
「どんないろ?」
「緑色と……黄色、っていうより金色かしら。それに、薄紫も少し混じってるわ」
「わぁ、いろがたくさん!」
フェイは、よくわからず無邪気にはしゃいだ。
一方両親は、人間の目の色がある日突然変わるなんてありえないと知っている。理解できない現象を前に、堅い表情で立ち尽くしていた。
「何かの病気かもしれない。長老の奥さんに見てもらおう」
山間の小さな村には、医師も薬師もいない。森の恵みに詳しい老人たちが、その代わりだ。
中でも長生きで物知りな長老夫人ならば何かわかるかもしれないと、両親はフェイ連れて彼女のもとを訪れた。
「これは……」
緑色に、金色と僅かな薄紫が混じる不思議な目を見て、彼女は険しい顔になる。
「もしかすると……この子は取り替え子かもしれないね」
「取り替え子……?」
両親もフェイも、揃って首をかしげた。これまでに聞いたことがない言葉だったからだ。
「……古い言い伝えだがね。精霊たちは、気に入った人間の赤子がいると、自分の子と取り替えてさらってしまうことがあるという。取り替え子は、初めは拐われた人の子とそっくりだが、次第に精霊らしい特徴が出てくるとか聞いたことがあるよ」
両親は、血の気の引いた顔でフェイを見つめた。
「そんな、でも……」
「赤子の時からずっとそばで見守り育ててきた、私たちの娘なんですよ? 精霊の子だなんて……」
信じられないと主張する両親だが、夫人は悲しそうに目をつぶり、ゆっくりと首を横に振る。
「その娘の目を見たでしょう、二人とも。これは人ならざる者の目だよ」
両親は、怖気づいたように一歩後ずさった。




