012 キーランとの暮らし
そうして、キーランとの暮らしが始まった。
彼は何でも知っていて、まずは美味しい木の実と危ないきのこについて教えてくれた。森の恵みをいただきながらしばらく一緒に旅をして、安住の地を探す。
そうしてたどり着いたのが、ノルドルン王国の南東の端あたりに位置する森だ。村との距離感が程よくて、大きなネージュの木と綺麗な小川が近くあるのが決め手である。
「フェイはどんなおうちがいい?」
「かわいいおうち。明るくて、あったかくて、えんとつからモクモクけむりが出るの」
「いいね。じゃあ、大きさはほどほどにして、窓は多めで、暖炉がある居間を少し広めにしよう」
キーランは地面にカリカリと何やら図を書きつつ考え始める。しばらくすると「よし」と頷き、次々に魔法を使い始めた。粘土や大岩からレンガや瓦が作り出され、切り出した木からは様々な大きさの木の板が出来上がる。
「わぁ……!」
フェイが目も口も開けて眺めているうちに、土台、家の骨格、屋根や壁などが組み立てられていく。キーランは「流石にちょっと大変だな。あぁここ、寸法を間違えた」など言っていたけれど、手早く修正しつつ、あっという間に家を完成させた。
「すごい……! キーラン、すごい! フェイもぱーってできる?」
「できるようになると思うよ。これから少しずつ教えていこうか」
「うん!」
もう何百年も生きているという彼の知識は膨大だ。フェイは毎日少しずつ、植物や精霊、魔法、料理や狩りなど、たくさんのことを教えてもらった。
フェイが生活に必要な魔法を一通り使えるようになったのは、六歳になる前のことである。
「ねぇ、師匠。練習すれば誰でも、魔法を使えるようになるの?」
「ううん、誰でもではないよ。人の中でも特に魔力が強い人は、魔力による魔法を使える。あとは精霊魔法もあるけど……こっちは、フェイみたいに精霊眼がないと無理だね」
「精霊眼?」
「精霊が見える目を持つ人のことだよ。わたしは割と長いこと生きてきたし、あちこち旅をしたけれど、それでも滅多に会わないくらい珍しいんだ」
キーランをして『滅多に会わない』と言わしめるほど、精霊眼は稀有な存在らしい。ある国では、『精霊の愛し子』と呼ばれ、国王にも匹敵する権力を持つそうだ。
実際、精霊は自分たちを知覚できる人間を珍しがってよく構い手助けをしてくれるので、愛し子というのは間違いではないのだとキーランは言う。フェイも、これまでたくさん精霊たちに助けられてきたので、実感を持って頷いた。
「ただ……ごめんね、フェイ。辛いことを思い出させてしまうけれど、大事なことだから言わせてほしい」
キーランは、悲しそうに眉尻を下げた。フェイが頷くと、優しく頭を撫でながら、静かな声音で語り始める。
「珍しいってことは、それだけ、他の多くの人とは違うってことでもある。人は群れで暮らす生き物だからかな、『違う』ことを厭う人も多い。精霊眼は崇められることもあるけれど、同じくらい、迫害されることもあるんだ」
キーランと過ごすうちに難しい言葉もたくさん覚えたフェイは、彼が言っていることの意味がきちんとわかった。
「私みたいに?」
「……うん。だからね、フェイ。悲しいことだけれど、きみが人の中で平穏に生きるためには、精霊眼のことは伏せておくのがいいと思う。絶対に話したらいけないってことではないよ。信頼できる人にだけ明かすんだ」
「……信頼できる人、いるかな」
両親にすら気味悪がられ、本当の子供ではなく精霊の取り替え子だと思われたのだ。
これから先、この大きな秘密を明かせる相手が現れる気がしない。
「そうだなぁ、『絶対』って、簡単に言うことはできない。でもね、フェイ。世界はとても広いんだよ。いろんな国があって、たくさんの人がいる。いろんな人と出会ううちに、フェイが『この人なら大丈夫だ』って思える相手がきっと現れると思う」
キーランは柔らかく目を細めた。
「フェイからその報告を聞ける日が楽しみだな」
七歳くらいになると、フェイは見習いとして、キーランの仕事の一部について行くようになった。
その仕事というのが『植物医』だ。
「フェイ、この木の診断をしてごらん」
キーランと一緒に過ごすようになってから、フェイは日々植物についてたくさんのことを学んだ。
まずは、どれが安全で食べられるか。毒のあるものと美味しくて安全なものとの見分け方。
次は、何かしらの効果があるもの。いい香りで薬効のあるもの、苦いし臭いけれど効果覿面なもの、普通に摂取すると毒だが、組み合わせや量次第では薬にもできるもの。
それから、美味しい野菜の育て方、薬効が高い部分を採集するコツ。植物につく害虫と防除法、よくある病気やその治療法。
「これは……雪花病。まだ小さいけど、この小さい丸はたぶん茸だと思う」
虫眼鏡で拡大してよく観察し、「やっぱり」とフェイは頷く。
「雪花病の対処は?」
「この木の場合は……病巣になってる白花茸がまだ小さくて、切り落とせる箇所だから、このあたりから先を切る。そのあと深い穴を掘って埋める……かな。どう? 師匠」
「よくできました。付け加えると……実は、私たちみたいな魔法使いなら他の手段も取れるんだ。フェイにはまだ危ないから……そうだな、十歳くらいになったらね」
繊細な魔法操作で木くず一欠片すら落とさずに枝を切り落としたキーランは、それを風の結界で包み、離れたところまで運ぶ。
「こうして、風の結界で囲んでから……高温で、一気に燃やし尽くす」
閃光が弾けた。
光に目がくらんだフェイは、思わず顔を手で庇い、目を細めて指の隙間から覗き見る。白っぽい炎が枝を包み、あっという間に炭へと変えていった。
「埋め方が浅いと、胞子が生き残って、数年かけて一帯に被害が広がることもある。焚き火みたいな普通の燃やし方をすると、胞子が舞い上がってとんでもない範囲に被害が広がりかねない。だから実はこうするのが実は一番いいんだ」
裏技だよ、と微笑むキーランだが、フェイにはまだそこまでの繊細かつ強力な魔法が使えない。「十歳くらいになったら」と彼が言うからには、このまま三年くらいかけて練習と勉強をすれば、フェイでもできるようになるのだろうか。
(師匠みたいになりたい。すごい魔法が使えて、なんでも知ってて……植物を助けられる、格好いい植物医になりたい)
フェイは目を輝かせながらキーランの穏やかな横顔を見上げた。
十歳を過ぎると、フェイは植物医兼魔法使い見習いとして、人前での魔法使用が解禁されることになった。
ただし、キーランとフェイが日常的に使っているのは、精霊の力を借りて行使する精霊魔法だ。人が使う魔法とは全く違うものなので、精霊眼のことを伏せる以上、こちらも大っぴらに使わない方がいいらしい。
そこで、フェイはキーランから、人間が使う普通の魔法も一通り教えてもらった。フェイは魔力量もかなり多いようで、そちらもさほど問題なく使えたけれど、精霊魔法に比べると画一的で融通がきかないところがある。痒いところに絶妙に手が届かないというか、あと一歩不便なのだ。
「わたしたちにとってはやっぱり精霊魔法の方が使いやすいよね」
「……うん」
フェイが頷くと、キーランはいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「わたしはエルフだから、存在自体が珍獣みたいなもので、精霊魔法を使っても驚かれないからいいんだけど……フェイが人前で精霊魔法を使う時は、それっぽく呪文を唱えるといいよ」
「それっぽくでいいの?」
「うーん、腕のいい魔法使いの前ではちゃんと唱えた方がいいかも」
ちょっぴり自信なさそうにキーランが言い直すので、フェイは思わず笑ってしまったのだった。
人間的な“普通の”魔法と、それっぽいなんちゃって呪文付き精霊魔法を意識して使えるようになると、フェイは本格的にキーランの仕事を手伝い始めた。
魔法は十四歳で、植物医としては十六歳になってしばらく経った頃に一人前だと認められた。
「新たなる植物医にこれを」
そう言ってキーランが差し出したのは、優しい茶色の革で作られたベルトと腰袋だった。
「角鹿の革で作ったんだ。仕事道具を一式入れられるよ」
丁寧に鞣された柔らかくてしっとりとした革は、新品だというのに肌に馴染んで心地良い。早速木槌や虫眼鏡、鑷子やナイフなどを入れていく。フェイが普段使っている道具は、すべてキーランから送られたもので、どれ一つとして欠かせない大事なものだ。その全てがぴったりと収まった上で、まだ余裕がある。
「新しい道具が増えても入るように、余分に収納を作ってあるよ」
「ありがとう……! すごく嬉しい。大事にするね」
「うん、そうしてくれるとわたしも嬉しいよ」
キーランはフェイに、生きていくために必要な術を、本当にたくさん与えてくれた。
そして、大きくて穏やかで温かな愛も。
(……私、まだ師匠にちゃんとお返しできてないのに……)
目頭が熱くなり、鼻の奥がツンと痛む。
目尻から流れた涙が耳を濡らす感覚で、フェイは目を覚ました。




