011 エルフのキーラン
森に置き去りにされたフェイは、途方に暮れて、座り込んだままじっとしていた。
日が暮れると、明かりなんて一つもない森の中はすぐに暗闇に沈んでいく。遠くでゴロゴロと雷鳴が轟き、やがて雨粒が落ち始めた。
《フェイ、風邪ひいちゃう》
《あっちに木の洞があるから、そこで雨宿りしよう》
精霊たちに促され、フェイは鉛のように重い足を動かして、言われるがままに木の洞へと入った。大木にぽっかりとあいた穴は、フェイを包み込んでくれて、次第に激しさを増す雨から守ってくれる。それでも、風がふくと大粒の雨が降り込んできて、フェイを冷たく濡らした。
「……どうしよう」
家族で暮らした家、村、その周辺の森。そこまでが、フェイが知る世界のすべてだった。
村の爪弾き者で、両親から捨てられ、深い森の奥に捨てられた今、フェイは完全に未知の世界に放り出されたも同然。これから先どうすればいいのか見当もつかず、暗闇の怖さと心細さでぽろぽろとただ涙だけがこぼれる。
精霊たちが一生懸命慰め励ましてくれるけれど、家族を失った途方もない悲しみはどうしようもなかった。
頬を伝った涙が、膝を抱えている腕に落ち、地面へと吸い込まれていく。
フェイはやがて、声をあげて泣き始めた。
泣いて泣いて泣いて、それでも涙は枯れなくて、お腹がヒクヒク痙攣して苦しくなり、また涙が溢れた。泣き過ぎのせいか、息がまともにできないせいか、次第に頭がぼんやりしてくる。
徐々に近づいてくる雷鳴に混じり、太く低く響く魔獣の鳴き声が微かに聞こえた。
(……わたし、食べられちゃうのかな)
精霊が守ってくれるかもしれないけれど、強い魔獣に対し、小さな彼らが立ち向かえるのかわからない。
森にはたくさんの怖い魔獣がいると大人たちが言っていたし、精霊たちも遭遇を避けるように動いていた。きっと、とても強くて恐ろしいのだろう。
(食べられて、死んじゃうのかな)
そんな考えが浮かんだ時、真っ先に抱いたのは恐怖心ではなかった。
(……それでも、いいや。もう……消えちゃいたい)
物心がついて、気づいた頃にはもう、フェイは村で浮いた存在だった。
精霊が見えて、言葉を交わせることの何がそんなに悪いのだろう。弟のそばに寄り、可愛がることも許されないほどの邪悪なのか。
魔獣の餌にでもするように、森に置き去りにされるに値するの罪だというのか。
フェイにはわからない。
もう、何もかも。
親と家という、五歳にとって世界のすべてにも等しい拠り所を失い、フェイは死に等しい絶望というものを知った。
泣き疲れて、いつしか気絶するように眠っていたらしい。
《フェイ、フェイ!》
精霊たちが騒ぐ声で、フェイはハッと目を覚ました。眠っていたのはそう長くない時間のようで、森はまだ真っ暗で、雨も降り続いている。
周囲を警戒して暗闇に目を凝らし、耳を澄ませたフェイは、雨音に混じって聞こえてくる物音に気づいた。
カサ……カサ、パキッ。
森の下草や落ち葉を踏みしめて進んでくる足音だ。
「魔獣……?」
微かに震えたフェイの声に、精霊が応える。
《違うよ!》
《もう大丈夫だからね、フェイ!》
どうやら助けが来たらしいが、一体誰がフェイを助けてくれるというのだろう。フェイはただぼんやりと、木の洞から外を見ていた。
やがて、足音の主が姿を表す。
「あぁ、見つけた」
安堵の色を含んだ、柔らかな声だった。
周囲が温かな光に照らされ、フェイは光に導かれるように顔を上げる。
──そこにいたのは、美しい人だった。
滑らかな低い響きのある声からして男性だとわかるが、性別というものを超越している美貌の持ち主だ。日焼けを知らないような、白く美しい肌。明るく艶のある金の髪。そして、新緑のような柔らかい緑色の瞳。
精霊たちの“おうち”で音楽を聞かせてくれた女性の精霊と似た、この世ならざる者の雰囲気がある。彼女と違って目は淡い光を帯びていないが、先が尖った変わった形の耳をしている。精霊の中にはそういう姿の子もいるし、彼も精霊なのだろうか。
フェイが戸惑いながら見上げていると、彼は視線を合わせるように膝をついた。
「大丈夫? 怪我はない?」
フェイは小さく頷く。
よかった、と優しく微笑み、彼は手を差し出した。
「わたしはキーラン。きみの名前は?」
「……フェイ」
「そっか。よろしくね、フェイ」
それが、キーランとの出会いだった。
「とりあえず、身体を温めないとね」
次の瞬間、フェイの身体は温もりに包まれた。何も見えないのに、暖炉のそばにいるような温かさが心地よく全身を包んでいる。湿り気を帯びていた服も見る間に乾いていき、フェイは目を見開いた。
「あなたも、精霊?」
人間とは明らかに違う雰囲気や見た目、そして不思議な力。やはり精霊なのだろうかと思って尋ねると、キーランは真剣に考えはじめる。
「うーん、それは結構難しい質問だな。精霊に近いけど、人と同じような実体があるから広義では人族とも言えるし……」
よくわからない言葉も含まれていて、今ひとつ理解できずにフェイは首をかしげた。
「あぁ、ごめん。わかりやすく言うと、精霊と人間の中間って感じかな。わたしたちの種族は“エルフ”っていうんだ」
「エルフ……?」
「うん、そう。精霊と同じような力を持っているし、人よりずっと長生きでね。だけど、精霊と違って人間にもはっきり見えるし、触れることも、会話することもできるよ」
「……あなたは、みんなにも見えるの? あなたとお話ししてても、こわがられない?」
フェイが尋ねると、キーランは悲しげに微笑んで、そっと頭を撫でてくれた。
「うん。怖がられないよ。それに、わたしにももちろん精霊が見えるからね。フェイが精霊と話していても何も不思議じゃないし、一緒におしゃべりもできるよ」
「ほんとに……?」
「うん。本当」
それから、キーランはゆっくりと、色々な話をしてくれた。
旅の途中で、今日は近くで野営をしていたこと。
精霊に助けを求められてここに来たこと。
道中、フェイについて精霊から教えてもらったこと。
「ねぇ、フェイ。わたしはそろそろ旅を終えて、しばらくのんびり過ごそうと思っているんだ。……きみさえよければ、わたしと一緒に暮らそうか」
キーランに提案され、フェイは少しだけ考えたあと、「うん」と静かに頷いた。




