27
グラナート家の馬車が止まったのは、王都西区の静かな通りだった。
石造りの屋敷。
装飾は少ないが、古い家特有の重厚さがある。
門が開く。
出迎えたのは、灰色がかった黒髪の執事だった。
「お待ちしておりました、リリアン様」
クラウスは淡々と頭を下げる。
以前と変わらない、感情の見えにくい顔。
だが。
「エヴァン様も」
そう付け加えた声色は、執事交換前より僅かに柔らかかった。
リリアンはその違いに気づく。
エヴァンは相変わらず無表情だった。
「久しぶりね、クラウス」
「ええ」
短い返答。
クラウスは視線だけをエヴァンへ向ける。
以前、この男は露骨にエヴァンを避けていた。
“獣まがい”。
そういう目で見ていた。
だが執事交換後、その態度は変わった。
完全に好意的というわけではない。
けれど少なくとも、
“能力を認めている”。
そんな距離感だった。
「旦那様がお待ちです」
クラウスが先導する。
屋敷の中は静かだった。
余計な装飾より、本棚や資料棚が目立つ。
記録を扱う家らしい、紙やインクの匂いがかすかに漂っている。
応接室の扉が開く。
「やあ、リリアン嬢」
凛とした、隙のない声が響いた。
セドリック・ベルニエが椅子から立ち上がる。
淡い金髪をきっちりと撫でつけた青年は、今日も一分の乱れもない。
「この度はご招待いただき、ありがとうございます」
リリアンが礼をすると、セドリックは小さく頷いた。
「構わないさ」
そして、ちらりとエヴァンを見る。
「君の執事への報酬のようなものだからね」
リリアンが瞬きをする。
セドリックはわずかに肩を竦めた。
「執事交換の時に考えを改めたんだ」
「以前は失礼な態度を取ってしまったね」
あの時のセドリックは隠そうともしなかった。
“獣まがい”。
その言葉を、確かに口にした。
だが今の声音には、あの露骨な嫌悪はない。
エヴァンは静かに答える。
「気にしておりません」
「そうか」
セドリックはそれ以上触れなかった。
代わりに、クラウスが淡々と口を挟む。
「旦那様は、エヴァン様をかなり高く評価されています」
「クラウス」
「事実ですので」
即答。
リリアンは少しだけ目を細めた。
セドリックが誰かを評価するのは珍しい。
能力主義ではあるが、同時にかなり排他的な男だからだ。
セドリックは咳払いを一つして話を戻す。
「だから今回、帳簿を見せる気になった」
その場の空気がわずかに変わる。
エヴァンの淡い水色の瞳が静かに細められた。
セドリックは続ける。
「記録は真実のみを語る……私はそう思っていた」
静かな声だった。
「だが今回、それに改竄された痕跡が見つかった」
リリアンの視線が鋭くなる。
セドリックは机上のティーカップに指を添えた。
「本来、あの帳簿は誰にでも見せられるものじゃない」
「ですが?」
リリアンが促す。
セドリックは少しだけ目を伏せた。
「君たちが追っている“事故”――いや、“事件”か」
その言い直しに、リリアンの呼吸が僅かに止まる。
「それに関与している可能性が、ゼロではないと思った」
部屋が静まり返る。
クラウスも口を挟まない。
エヴァンだけが静かにセドリックを見ていた。
リリアンはゆっくり口を開く。
「セドリック様の見立てをお伺いしても?」
「まだ単なる疑問に過ぎない段階だ」
即答だった。
「事件と紐づけるには早い」
セドリックは立ち上がる。
「憶測だけで語るのは好みじゃないのでね」
らしい答えだった。
「……まあ、とりあえず書庫を見てもらおうか」
クラウスが扉を開ける。
「こちらへ」
四人は静かな廊下を歩き出した。
奥へ進むほど、紙とインクの匂いが濃くなる。
まるで、この屋敷そのものが巨大な記録庫みたいだった。
やがて重たい鉄扉の前でクラウスが立ち止まる。
鍵を回す音。
扉がゆっくり開く。
その先には。
天井近くまで積み上げられた、膨大な帳簿が並んでいた。
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