02
重厚な扉が静かに閉じると同時に、屋敷の応接間には張り詰めた空気が残った。
「――学園で、生徒が消えているのです」
白髪混じりの学園長は、絞り出すようにそう言った。
リリアン・グラナートは、紅茶に口をつけたまま、わずかに目を細める。
「消える?」
「はい……。時間も場所も関係なく、突然。目撃証言も曖昧で、気づけばいなくなっているのです」
「ふうん」
興味があるのかないのか分からない声で、彼女はカップを置いた。
「特徴は?」
「全員、貴族の子女です」
その一言で、空気が変わった。
エヴァンがわずかに目を細める。
リリアンは頬杖をついたまま、淡々と呟いた。
「厄介ね」
「警備も強化しました。ですが……それでも」
学園長の声は震えていた。
リリアンはゆっくりと立ち上がる。
「現場を見ましょう」
⸻
石造りの学園は、外から見れば何事もない静けさを保っていた。
だが中に足を踏み入れた瞬間、分かる。
ざわめき。恐怖。不信。
「……空気が悪いわね」
「ええ。恐怖は伝染しますから」
エヴァンが柔らかく微笑む。
そのときだった。
「これはこれは」
穏やかな声が廊下に響いた。
振り向くと、長身の男が立っていた。柔らかなブラウンの髪に、静かな微笑み。
エルシオン家当主、アシュレイ・エルシオン。
「お久しぶりですね。リリアンお嬢様」
「お久しぶりです。アシュレイ様」
アシュレイは満足そうに頷いた。
この王国には、王族直属の五つの名家が存在する。軍事、外交、財政、教育。そして――治安。それぞれが国の根幹を担い、均衡を保っている。
まさしくエルシオン家もそのうちの1つ。教育を司る名家である。
「我々の管轄でもあるからね。様子を見に来ていたんだ」
「そう」
「あ、そうそう!どうだろう。君の家で、学園の警備を強化してくれないか?」
一瞬の沈黙。
リリアンはにこにこと笑みを浮かべるエヴァンを見た。
「手配を」
「かしこまりました」
⸻
その日のうちに、学園の警備は一新された。
王国直属の兵士が配置され、死角は潰され、出入りは厳しく管理される。
――だが。
「いない……!」
叫び声が上がった。
一人、また一人。
「これで……五人目だよ……」
「どうなってるんだ!!」
生徒たちの動揺は一気に広がった。
保護者たちも黙ってはいない。
「こんなところに子供は置いておけないわ!」
「うちの子はもう通わせません!」
「学園長、責任を取っていただきますよ!」
責め立てられ、学園長は顔面蒼白だった。
リリアンはその光景を、ただ冷静に見ていた。
(……妙ね)
誘拐。
そう結論づけるには、あまりにも不自然。
(痕跡がなさすぎる)
人が消えるには、必ず“過程”がある。
だがそれが、まるで――
(最初からいなかったみたい)
「……徹底的に調べなさい」
「御意」
⸻
翌朝。
差し込む光の中、リリアンは椅子に座ったまま問う。
「何かわかった?」
エヴァンは一礼する。
「過去にも、複数の児童失踪事件は存在しました。ですが、その多くは……いわゆる変質者による犯行です」
「つまらないわね」
「ええ。しかし、いくつか気になる記録が」
リリアンの視線がわずかに動く。
「遠い東の国に、“神隠し”と呼ばれる現象があるそうです」
「神隠し?」
「はい。子供が突然、跡形もなく消える。今回の件と酷似しております」
リリアンは鼻で笑った。
「ばかばかしい」
「ただ――」
エヴァンはわずかに声を落とす。
「その現象は、“神の仕業”とされているようです」
沈黙。
リリアンはゆっくりと目を細めた。
「神、ねえ」
そのときだった。
エヴァンの表情が、わずかに変わる。
「……お嬢様。お客様がいらっしゃいました」
⸻
「お邪魔するよ」
現れたのは、アシュレイ・エルシオンだった。
「これはこれは、アシュレイ様。お出迎えもせず、失礼いたしました」
エヴァンが完璧な礼をとる。
「気にしないでくれ」
アシュレイは穏やかに微笑み、リリアンを見る。
「今回の事件――手を組まないかい?」
「なんですって?」
「度重なる失踪で、国中が騒ぎになっている。一刻も早く解決しなければならない。
それに、教育を司る我が家に泥を塗るわけにはいかないからね」
静かな声だが、その奥に焦りが滲んでいた。
「君の力を貸してほしい」
リリアンは黙り込む。
その横で、エヴァンがふっと笑った。
「お嬢様は、すでに“次の手”をお考えですよ」
アシュレイがわずかに首を傾げる。
「……?」
リリアンはゆっくりと立ち上がった。
「……この方法だけは、やりたくなかったのだけれど」
その瞳は冷たく、決意に満ちていた。
エヴァンの口元が楽しげに歪む。
「ふふ……」
「何をするつもりだい?」
アシュレイの問いに、リリアンは短く答えた。
「潜入よ」
⸻
数日後。
鏡の前に立つ、小柄な少女。
質素な制服に身を包み、髪型も変えている。
どこからどう見ても、ただの学生だった。
「……似合わないわね」
「いえ、とても愛らしいですよ」
エヴァンが微笑む。
その瞳の奥には、獲物を狙う獣の光が宿っていた。
「ですが――どうかお気をつけて」
「言われなくても分かってる」
リリアンは扉に手をかける。
「全部、暴いてやるわ」
静かに扉が開いた。




