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子爵家次男のありふれない日常  作者: kishi
風説の流布
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第02話:市場調査

 週末の朝、俺は一人で外に出た。

 目的地は市場だ。


 小麦の値段が上がるかもしれない。ならば、今のうちに買い付けておいて、値上がり後に売り捌けば利益が出るのではないか。靴乾燥機でうまくいったじゃないか。次もいける……そんなことを考えながら、馬車を呼ばずに石畳を歩いた。

 春の王都は朝からにぎわっている。荷馬車が行き交い、店の準備をする商人たちの声が響いている。八百屋が木箱を積み上げ、布屋が色とりどりの反物を表に出し、どこかから揚げ物の香りが風に乗って漂ってくる。子供が走り抜け、犬が追いかけ、怒声と笑い声が混ざり合う。市場というのはいつ来ても、ちゃんと動いている。


 まず情報だ。実際の値段を確認しよう。


 ふと、商人ギルドに立ち寄ろうかという考えが頭をよぎった。相場のことなら、そちらの方が正確な数字を持っているかもしれない。


(……いや、違。ギルドの窓口に行って『小麦の相場を教えてほしい』と言う子爵家の次男。それは目立つ気がする。今日のところは、地べたで話を聞く方がいい)


 それに、ギルドに詳しい顔を持っているわけでもない。正式な手続きを踏んでいけば、大げさになりそうだ。思いとどまって、足を市場の奥へ向けた。


 最初に向かったのは、市場の一角にある小麦の量り売り屋だ。

 間口の広い店で、麻袋が通りに向かって何列も積み上げられている。それぞれに品種や産地を書いた札が差してあって、奥には大きな秤が据えてある。がっしりした体格の店主が、腕を組んで店の前に立っていた。日焼けした顔に、人を選ぶような目つきだ。


(……手ぶらで来るものじゃなかったかもしれない)


 話を聞きに来ておいて、何も買わないというのも気まずい。とはいえ、聞いてみれば案外教えてくれるかもしれない。もし何か言われたら、小麦を一袋買えばいい。ただ、あの麻袋を持って帰るのはきつい。家まで抱えて歩くのか。


(まあ、そうなったら考えよう)


「すみません、少し聞かせてもらえますか。最近の小麦の仕入れ値ですが、変化はありましたか」


 店主がこちらをちらりと見た。品定めするような、一拍があった。


「仕入れ値か。農家からの直接仕入れは変わってないよ。ただ、卸業者の方がちょっとね。気持ち上がった感じはするかな」

「どのくらい上がりましたか」

「うーん。気のせいかもしれんし、大きくはないよ。ほんの少しだ。うちの値段は変えていないが」


 俺は積まれた麻袋を眺めた。一袋いくらだろう。普段、小麦の値段なんて考えたこともない。比較する基準がない。


(……これは困った。値段の変化を見るには、過去の数字が要る。俺にはその履歴がない。何も変わっていないのか、少し変わったのか、それさえ判断できない。値段を見ても、高いのか安いのかが分からない。調査のつもりで来て、何も分からずに帰るのか)


 礼を言って店を出た。麻袋は買わなかった。


 次はパン屋だ。小麦を直接仕入れて商品にしているなら、変化に敏感なはずだ。

 通りに面した場所に、木の板で作られた看板が掛かっている。扉を開けると、焼き立てのパンの香りがどっと押し寄せてきた。棚いっぱいに丸パンや細長いパンが並んでいて、ガラスケースの中には惣菜を挟んだものがいくつか見える。奥ではまだ焼き音がしていた。店主の女性が奥から出てきた。恰幅の良い、笑顔の似合うオカミさんだ。


「いらっしゃい。何にしましょうか?」

「惣菜パンを三つください。……あと、少し聞いてもいいですか。最近、小麦の仕入れ値に変化はありましたか」


 オカミさんが惣菜パンを包みながら、少し眉を上げた。


「小麦の話? 言われてみれば、卸業者からの値段に少し変化があるかもしれないねえ。安い小麦が手に入りにくくなったかな、という感じかしら。でも、うちのパンの値段はまだ変えていないよ。お客様に申し訳ないしね」

「値上がりはあるが、まだ軽微だということですか」

「そうだねえ。まだそこまで意識するものではないかな」


 包みを受け取って店を出た。量り売り屋と似たような話だ。兆候はある。ただ、小さい。


 昼頃、いつもの喫茶店に入った。顔なじみのウェイトレスが迎えてくれた。


「あら、いつもと違う時間ですね」

「週末なので。ランチをいただこうかと。スープセットをひとつ」

「かしこまりました」


 窓際の席に落ち着いて、しばらく待った。ほどなくしてウェイトレスがスープとパンを運んできた。テーブルに並べるその手が離れる前に、俺は声をかけた。


「一つ聞いてもいいですか。最近、小麦の値段の話、何かありましたか」


 ウェイトレスが少し考える顔をした。


「そういえば、オーナーからそんな話を聞きました。うちは農家との直接契約と、卸業者の両方から仕入れているんですが、農家との分は長期契約なので値段は変わらないんですよ。でも、卸業者の方が少し上げてきた感じがすると」

「お店のメニューの値段は」

「それはまだ変えられないですよ。お客様に離れられたら困りますから。なるべく頑張ろうって話してました」


 三か所で聞いて、傾向は一致している。変化はある。ただし、まだ軽微だ。


 スープを一口飲みながら、俺は頭の中で整理した。ヴィクトルの話は嘘ではなさそうだ。ただ、どの程度動くのかは分からない。履歴がないから、今の値段が高いのか安いのかの判断もできない。


 難しいな。考える材料が足りない。

 そう思いながらランチを食べ終わった頃には、俺はまったく理解していなかった。自分が今日、市場で聞いて回ったという事実が、どんな意味を持つかを。

お読みいただき、ありがとうございました。

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カクヨムにて、新しく連載を開始いたします。

 白鳥准教授は行動する

 https://kakuyomu.jp/works/2912051599228660757

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