第05話:常識の一致による安堵
一ヶ月。
庭の花壇が、色の陣形を組み替えた頃、封蝋のある便りが届きました。差出人の欄に、フォルスタ子爵家の印。宛名は、父上——ヴァランシエンヌ辺境伯閣下とあります。
私は廊下でそれを知り、足を止めました。
「……私あてではないのね」
侍女が封筒を盆の上に載せたまま、視線だけで「ご判断はお任せします」と言います。貴族の屋敷では、便りは時に家族の順序を先に踏みます。
◇
執務室で、父が封を切り、紙を一枚、また一枚と広げていきました。私は向かいの椅子に座る許可を得て、背筋だけを令嬢の規定位置に置きます。
父は一言も批評せず、紙面を私の前へ滑らせました。
「読んでみろ」
「ありがとう存じます」
私は指先で便箋を持ち上げました。手触りが、まず違います。薄く安くはない。繊維の並びが均一で、光の反射が上品に散ります。
(……格式の手触りですわ。これは、季節を量り売りする紙ではありません。少なくとも、紙の時点で)
インクの線は、頭から末まで、字形と行間の癖が通っていました。清書の一名が、体裁を揃えた筆致です。そして、最後に署名。
(本文は代書、署名は当主閣下自筆。……きちんとした社交ね)
視線を落とし、行を追ううちに、頭語から既に「正しい」春が始まっていました。正しい、とは美徳の話ではありません。予測可能性の話です。
「
ヴァランシエンヌ辺境伯 閣下
謹啓
孟春の候、貴館におかせましては、御一家揃いましてますますご清祥の由、拝察し、心よりお慶び申し上げます。
このたびは、ご丁寧なお手紙を賜り、光栄の至りに存じます。遠方の地にて、御身のご健勝と、令嬢君の御無事を、日々お案じ申し上げております。
さて、靴乾燥機の件につきましては、息子に確認いたしましたところ、発端として関与した経緯はあるようです。ただし、直接に製造にあたったわけではなく、アイディアの提示など、間接的な関与にとどまった模様でございます。過分な期待はなさらぬようお願い申し上げます。本人の器として、荷が重すぎれば、潰れてしまいましょう。
貴館とは良好な関係であらんことを、私としても願っております。王都にて興味深き出来事がございました折には、便箋を差し上げたく存じます。
末筆ながら、貴下並びにご家族様方のご健勝を、重ねてお祈り申し上げます。
ロバート・フォルスタ
謹白
」
私は、読み終えてから一度だけ目を閉じました。閉じたのは感動ではありません。安堵の反射です。
(……通じました。私の常識が、便箋の上で通じました。以前の便箋に揉まれて、私のほうが間違っていたのでは、と一瞬だけ考え始めていた自分が、恥ずかしい)
口元を整えます。令嬢は安堵を表情に載せすぎません。
私は紙の角を、爪ではなく指の腹で押さえました。ふと、別の便箋の白さが脳裏を横切りました。季節が八割のあれです。
(なぜ、あの子と友人なのかしら。いえ、今は深追いしません)
「返翰を綴ります。便箋とインクを」
侍女がインクを足し、静かに準備を整えました。
(エレナさんの塩対応を、塩のまま飲み込むつもりはありませんでした。だから便箋で踏み込み、会うのは決定事項だと書き、逃げ道を塞ぎました。怒りと退屈が、インクに混ざった自覚はあります。……今度は違います。子爵閣下は礼節を尽くしてくださった。ならばこちらも礼節の背骨の上で、お伺いしたい、と約束を取り付けにいく。言葉はどちらも『会う』に行き着きます。けれど、一方は締め出しへの突き返し、もう一方は、開けてくださった扉へ、靴を揃えて上がる挨拶です)
「
ロバート・フォルスタ子爵 閣下
謹啓
晩春の候、貴館におかせましては、御一家揃いまして益々ご清祥の由、拝察し、謹んでお慶び申し上げます。
前便のご返翰、丁寧に拝見いたしました。関与の形がいかに軽いものであれ、実際に発端となり、成果の土台へ手を伸ばされた経験は、得難いものと存じます。過分な期待を掲げるつもりはございません。ただ、礼として、機会が整いました折には王都へ参ります際、貴館にお伺いできる道が開けますよう、ご配慮だけ賜れれば幸いです。
王都の出来事の便りとのお言葉、重く受け止めました。辺境の空と王都の空は同じ色でも、風の匂いは違います。紙の上で、その差を楽しめる関係であれば、これに勝る娯楽はございません。
貴下並びにご家族様方のご健勝を、ここに重ねてお祈り申し上げます。
リリアーヌ・ヴァランシエンヌ
謹白
」
郵路へ載せる前に、私は封蝋の艶を指で確かめました。艶は嘘をつきません。礼式は、時に人を守ります。窓の外では、春が最後の押し売りをしようとしていました。
私は紅茶に手を伸ばし、喉を通しました。
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