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子爵家次男のありふれない日常  作者: kishi
春手紙のやりとり
31/43

第02話:春の量り売り

 その夜、私は家の者に命じて、王都の登記関係の写しを取り寄せる手配をしました。


 程なくして、机の上には乾いたインクの匂いのする紙束が積まれていました。

 連名は、ヴィクトルの商会名に、子爵家と男爵家。


「子爵家と男爵家。どちらも、覚えのない家だわ」


 いいえ……「覚えがない」は嘘です。王都の名簿に載っている以上、存在は知っています。ただ、私の社交界の円に、意図的に入ってこなかったか、入る隙がなかったか。どちらにせよ、縁は薄い。


(名が並んでいるのに顔が思い浮かばない、というのは、貴族社会ではけっこう怖い話ですわね。地図の空白を見つけた気分ですわ)


 私は指先で、並んだ家名をなぞりました。もちろん、登記の写しだけで満足するつもりはありません。子爵家も男爵家も、家の者に当たりを付けさせます。名簿に載っている以上、表向きの沙汰から一族の顔ぶれまで、紙の外を洗います。


「さて、商人は資金を提供したとして、どちらかの家の誰かが、作ったのでしょう」


 仮説は単純です。形の上では共同です。問題は、どちらに最初の矢を射るか。


「先に男爵家にアプローチしてみましょう。男爵家がこういう書類に名があるのは珍しい。子爵家に命じられて実際に手を動かしたのではなくて? 少なくとも、なんらかの実作業をしたはず」


 私は独り言のように言い、すぐに付け加えました。


「少なくとも、なんらかの情報がでてくるでしょう」


 そして、最後の一句は、声を少しだけ落としてしまいました。


「間違っていても、男爵家のほうが御しやすい」


(冷酷、と言われても構いませんわ。政治は優しさだけでは回りません。退屈も、また然り。……いや、これは退屈の延長ではなく、少し楽しみですわ。靴乾燥機の製作者が、どんな顔をしているのか。どんな発想であの姿に至ったのか、どんな手で魔導回路を制御したのか。確かめたくなりました)


 窓の外では、春の風が丘を渡っていきます。王国の胃袋の話は、今夜は棚の上へしまいました。


 数日かけて文面を整え、父に一通目の発送だけ目を通していただきました。外交文書ではありませんが、家名が絡む以上、手続きとして当然のことです。

 一読の後、父は宛名を一瞥しました。


「……男爵家、か」

「登記に名が連なっておりましたので」


「そうか」とだけ言って、それ以上はございませんでした。


 便箋は紋入りの厚手、筆はいつもの物です。私は最後の一行のインクが完全に乾くのを待ちました。侍女が溶かした蝋を受け取り、封を閉じ、ベネット男爵閣下宛の手紙を送り出しました。卓の端に下書きの屑が少し残っています。侍女が無言で片づけにかかりました。


 ベネット男爵 閣下

 

 謹啓

 

 春暖の候、貴館におかせましては、御一家揃ってますますご清祥の由、心よりお慶び申し上げます。

 

 さて、筆を執りますのは、辺境の丘陵が薄緑に染まり、川岸の霧が朝ごとに短くなってまいる折、遠く離れた地からの便りとして、礼を尽くしたいと思い立ちましたためです。窓越しに見えるのは、まだ雪の残る峰並みと、風に揺れる麦の畦、国境の見張り台の影——王都の喧騒とは別の時間が流れる場所ですが、だからこそ、生活の実務に根ざした話題ほど、私の注意を引くのです。

 

 近年、王都を中心に流通し始めたという魔道具、靴乾燥機。その登記に貴家の御名が連なる由を拝見し、実務に携わられた方が貴家のご息女あるいはご一族中におわしますやと推察いたしました。

 

 貴家は長く、地に足のついた職分を重んじ、名より働きを積み上げてこられたと伺っております。その地道な誠実さは、華やかな沙汰より遥かに重い——そう信じております。もしその推察に近いのであれば、同じく物作りと生活の利便を重んじる者として、将来にわたる友好の糸口を結ばせていただきたく、ご連絡申し上げます。

 

 差し出がましいお願いではございますが、ご多忙の折、ご返翰のほど賜れれば幸いに存じます。また、貴下並びに貴館のご家族様方のご健勝と、日々の安寧を、ここに重ねてお祈り申し上げます。春の移ろいが急でも、体調だけは急がせませんよう——辺境の風も、王都の風も、人を試す季節ですから。

 

 リリアーヌ・ヴァランシエンヌ

 

 謹白


 一ヶ月。

 庭の花壇が色を替える頃、返信が届きました。封蝋の印は男爵家のもの。差出人は、当主ではありません。


 私は書斎で封を切り、紙面を広げました。指先に伝わるのは、均一に薄い紙です。インクは線の端でほんの少しにじみ、筆圧は一定でした。学園の講義用紙に似た安さの気配がします。


 リリアーヌ・ヴァランシエンヌ 様

 

 謹啓

 

 孟春の候、貴下におかせましてはますますご健勝のことと、お慶び申し上げます。

 早春の候、余寒厳しき折から一歩、陽光の温みが増し、草木の萌え出づる兆しが見え隠れいたします折、貴下のご清祥をお祈り申し上げます。

 初春の候、雪解けの水音が街道に響き、旅人の足取りも軽やかになる季節となりました。貴下におかせましては、春の訪れとともにご多幸が重なりますよう、心よりお祈り申し上げます。

 仲春の候、風の冷たさにまだ尾を引きつつも、芽吹きの気配が領内の野に広がりつつある由、各地より聞こえてまいります。貴下のご家族様方にも、安寧の春が訪れますことを願ってやみません。

 晩春の候、花の便りが便箋の上にも移ろいやすい季節でございますが、貴下のお心穏やかに、日々が過ごされますようお祈り申し上げます。

 春爛漫の候、鳥の声が朝昼を問わず賑わい、人の往来も再び活発になる折、貴下のご活動が実を結びますよう、謹んでお祝い申し上げます。

 春深まる候、若葉の香りが風に乗り、窓辺の茶会の話題も新緑に移ろう季節となりました。貴下におかせましては、ご清祥の日々が続きますよう、重ねてお祈り申し上げます。

 春の宵の候、灯りの下で筆を執るにふさわしい静けさが戻りつつある折、貴下のご健勝を願い、筆を進めてまいります。

 

 私ではありません。お気になさらないでください。

 

 エレナ・ベネット

 

 謹白


 私は、しばらく紙を持ったまま動けませんでした。季節の挨拶が何段落あるのか、指でなぞって数えました。指が止まりません。……止まりました。


(主文は、二文。いや、主文が成立する厚みではありませんわね。この便箋は、春が八割、否定が一割、署名が一割の、不思議なパイです。パイ職人に土下座して質問したいですわ。やめておきます。職人が気の毒ですわ)


 口元を掌で隠しました。笑っているわけではありません。口角が引きついているのを、侍女に見せたくなかったのです。紅茶のカップに手を伸ばし、途中で止めました。今は、液体を喉に通す器官がうまく機能しそうにありませんでした。


 私は紙を机に下ろし、角を直すように二度、叩きました。礼儀正しく。


「……男爵家に手紙を送ったら、その令嬢から返信が来た、と。エレナさん、ね」


 侍女にそう告げる声は、穏やかに整えていました。内心は、穏やかではありません。


(塩対応すぎませんか。要約すると、『関わり合いになりたくありません』ね。面倒くさいが滲んでますわ)


 礼式の表面を剥がすと、情報はゼロです。いえ、ゼロより悪い。ゼロなら「調べが足りない」で済みます。これは、意図的に空洞を送られた気分です。


「この手紙、情報がまったくありません」


 私は指で、紙の端を弾きました。ぴん、と小さな音がしました。紙の格は、前便の私の便箋とは明らかに違います。格式の厚みではなく、量産の均一さが先に立っていました。


「こんなの、許されるのでしょうか?」


 想像は、勝手に補完されます。

 男爵家の執務室か、食卓か。家族の前で手紙が共有され、「これはどういうことだ」となった。心当たりがエレナさん以外になかったのか、あるいは誰も名乗りたくなかったのか……とにかく、筆がエレナさんの手に渡った。

 そこでこの紙面。ご家族のチェックを受けていない。受けていれば、ここまで長い「春」は許可されないはずです。


 さて、ここからが骨です。文面は塩対応で、情報はありません。けれど、語られなかったことのほうが、耳に残りました。

 たとえば、製作者ではない誰かの名。商会側の説明。子爵家との役割の切り分け。「違います」のあとに続くはずの、社交辞令の逃げ道。それが、どこにもありません。残っているのは、短い否定だけ。


(否定の言葉が短ければ短いほど、そこに隠しきれないものが載る、とはよく言ったものですわね。釣りの気持ちです)


 私が男爵家へ投げたのは、礼式の厚い「問い」でした。

 返ってきたのは、当主ではなく令嬢個人の名で、中身はほぼ季節の量り売りと、一行の否定。……ならば、これは「無関係だから返さない」ではなく、関係があるから、短く切った匂いがします。


 かまかけとしては、粗かったはずです。登記簿の名前を見て、目を閉じて矢を射たようなものですから。それでも一発目で、水面が揺れた。


(幸運、と言って差し上げましょうか……油断は禁物ですわ。ただ、賭けの当たり引きは、悪くなかった、という程度の言い方なら、許容範囲ですわね)


 とここまで考えて、気づきました。

 この時候の挨拶。学園の教本そのままではありませんか。並べ方まで、見覚えがありますわ。まったく同じでしょう。気づかれないとでも?


(……やはり、教育改革が必要ですわね。根拠のない季節の束ね方で、便箋の八割を埋めるような知性では、この国の数十年後が心配でなりませんわ。心配を通り越して、もはや国家存亡の予告編を見せられている気分です。あの涙が証拠になるなら法廷は俳優座、あの春が証拠になるなら郵便は季節の量り売りですわよ)


 私は深く、深く息を吐きました。


「……こんなの、許されるのでしょうか?」

ご愛読ありがとうございます。

GW期間中の更新スケジュールについてのお知らせです。


以下の祝日も更新を行います。

・04月29日(水)

・05月04日(月)~05月06日(水)


引き続きよろしくお願いします。

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