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子爵家次男のありふれない日常  作者: kishi
春手紙のやりとり
30/43

第01話:辺境伯令嬢の乾かない退屈

 春のヴァランシエンヌ辺境伯領は、王都の喧騒が嘘のように、静かでした。

 卒業式の一件のあと、私は父のもとへ戻り、窓から見えるのは緑の丘と、遠くに白く連なる国境の山並みばかり。馬車の車輪が石畳を刻む音すら、ここではめったに聞こえません。


(素晴らしい休養ではありませんこと? 最初の一週間はそう思いました。二週目から、壁の模様が親しみ深くなりすぎました。三週目には、廊下の燭台の数を数えてしまいましたわ。四週目の私は、もはや貴族令嬢というより、退屈に侵された書記官の素質を発見した気分ですわ)


 王都にいた頃は分刻みの手帳に縫い付けられた人形でした。茶会、講義、公務の下準備、元婚約者の名を借りた書類仕事。

 ここでは時間がゆるやかに溶けていく。とはいえ、退屈になってきました。


 退屈に負けて、調べものを始めたのは、ほんの悪戯のつもりでした。

 講堂で我が家の名が引きずり出されたのは、剣と城壁の話ばかりではありませんでした。宰相閣下の舌が、我が領の穀物まで丁寧に並べ立ててくださったのですもの。兵を動かして国を脅すような真似は好みませんけれど、数字のほうは、刀より雄弁ですわね。……褒めているわけではありません。ただ、手が伸びたのが柄ではなく帳簿の角だった、という事実の話です。


 自領の穀物生産高が本当に国の三割に及ぶのか。納税記録、倉の出入り、川沿いの運搬量。積み上げれば、王都の食卓と直結している輪郭が浮かび上がります。数字は嘘をつきません。

 仮に王国への供給を止めたら、と悪戯のように試算する。食料価格は跳ね上がり、家畜の餌が途絶えれば養鶏場も養豚場も帳尻が合わない。王都で略奪が始まるのに何日か。隣国の使節が何を嗅ぎ取るか。


(武力を用いずに国を傾けることが可能か、などと口に出せばお茶会で白い目を買いますわね。けれど数字は下品なほど正直ですわ)


 出てきた答えは、単純で、気の利いた比喩ではありませんでした。「大きすぎて潰せない」どころの騒ぎではない。止まることが許されない。王国の胃袋の回路の一部として、すでに組み込まれている。


(自分のことながら呆れました。熱が冷めるというより、遠い目です。退屈さゆえか、発想がぶっそうになっている自覚はありますけれど)


 ついでに「真実の愛」とやらも調べました。恋歌、戯曲、流行りの詩集、法典の不倫に関する条項。後者の方がはるかに厚く、現実的で、そして退屈でした。


(愛が国を救うなら、外交官は全員に恋愛小説を配ればよろしいのに。……それは国際問題になりますわね)


 ◇


 午後、バルコニー。テーブルと椅子を置いた、風がよく通る、私のお気に入りの場所。


 対面に座るのは、王都とこの領を行き来する商人、ヴィクトル。

 近頃独立した商会の若主人で、挨拶という名目でもある商談でした。


(挨拶ということでしたが、王都での事件ゆえ、珍しいものを見に来たのでしょう。あるいは、私が弱っているとして商機と見たのかしら。目だけは値踏みから逃げませんわね)


 紅茶がセットされる。ヴィクトルは小袋と木箱を取り出しました。


「最近、王都で広がりつつありまして。こちらはグミと言います。輸入品です。そして、靴乾燥機」


 グミは噛むと弾けるような不思議なお菓子とのこと。珍しさも相まって流行の火種になりつつあるといいます。


「グミがきっかけで、新しい国が生まれるんじゃないか……なんて」


(国が生まれるほどの甘味なら、砂糖の方が先に王位を奪っているはずですわ)


 テーブルには苦めの紅茶と、グミと、靴乾燥機。私は好奇心の向くまま一粒口にしました。


「確かに斬新なお菓子ね」


 二粒目を食べ、紅茶を飲む。


「味も上々。けど、紅茶にはあわないわね。この不思議なお菓子には、どんな飲み物があうのかしら。どれも合わなさそうね」


 話題は靴乾燥機に移りました。私は木箱に入った道具を指先で撫でます。


「こちらは斬新とはいえないわね。ドライヤーで事足りそうだけど。売れているのかしら?」

「徐々にですが、広がり始めています」

「評判は?」

「上々です。辺境伯領でも取り入れてみませんか? 実はこの商品、私が考案者なのですよ」


 商人としての賢しらさが、一拍遅れて顔に乗りました。


「それは素晴らしいですね。考案者? あなたおひとりではないのでしょう? あなたの役割は、資金の提供ではなくて? あなたは作れないでしょう? 私は実際にカタチにした方に興味があります。作ったのはどなた?」

「商人は信用が大切です。軽々に明かせません。どうかご容赦を」

「どうせ、アイディアの保護は済んでいるのでしょう? 関わった人は、書類を調べれば簡単にわかることよ」

「それでも、明かせません。どうかお調べになってください」


 私は靴乾燥機を見つめました。風の出口、ホースの先。道具は正直で、作った人間の癖が形に残ることがあります。


(頑固ね。……守りたい何かがあるのかしら。退屈が、ほんの少しだけ薄れた気がしますわ)


 興味は、お菓子よりも、グミよりも、明確でした。靴を乾かすなどという地味な思いを、形にした人物へ。名前も顔も見えないのに、輪郭だけが妙にはっきりする。

 春風がバルコニーのレースを揺らしました。次の一杯の紅茶に手を伸ばします。退屈はまだ残っている。けれど今日だけは、少しだけ足が遅くなった気がしました。

お読みいただき、ありがとうございました。

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