第07話:きつい営業と成果
いつもの喫茶店。窓際の席に三人が揃った。
レナが鞄から靴乾燥機を取り出して、テーブルに置いた。
ヴィクトルがそれを手に取り、ホースの接合部を確かめ、スイッチを押した。柔らかい温風が出た。タイマーをひねると、設定した時間で止まった。もちろん、周りに迷惑をかけない範囲で。
しばらく眺めてから、ヴィクトルが置いた。
「まあ、いいでしょう」
「まあ、って」
「褒めています」
ヴィクトルが姿勢を正した。
「アルフ様のご家族は王宮勤めですね。この製品のアイディア保護の手続き、特許の申請について、お力を借りることはできますか。」
「……聞いてみる」
「次に、営業用のプロトタイプが必要です」
ヴィクトルが小袋をテーブルに置いた。
「これで材料を。あと四つ、今あるものと合わせて計五つ作ってください」
レナが小袋を見た。それから、少し黙った。
(消耗を計算しているのだろう。そして、面倒に思っている?)
ヴィクトルが続けた。
「……ただし、この費用の分は、将来の私の取り分に上乗せさせていただきます」
「やっぱりそうなるよな」
「当然です」
レナは黙ったまま小袋を受け取った。引いている顔だった。全力で引いている顔だったが、断らなかった。
「実際に形になってみると、売れそうな気がしてきますね。自分のアイディアに酔ってしまいそうです」
ヴィクトルが珍しく少し弾んだ声で言った。
「酔うのは後にしろ」
「おっしゃる通り」
「さて、営業ですが、運送ギルド、貴族家、靴職人と順に回りましょう。町の製造職人へも手を回さないと」
「分かった。俺も一緒に動く」
「もちろんです」
ヴィクトルが少し間を置いた。
「プロトタイプを開発したのはレナ様でしょう? アルフ様は何もしていないですよね?」
「……否定できないのが悔しい」
◇
営業が始まった。
一日中、街を歩き回った。 しかも、手元には重い木箱がある。試作機が五つ入っている。ヴィクトルと手分けして持つことになった。
「商会に余剰人員はいないのです。協力してくださいますよね?」
ヴィクトルが言った時の顔に、申し訳なさは一ミリもなかった。
(乗り掛かった船だ。最後まで付き合う。でも、つらいものはつらい)
ヴィクトルは木箱を二つ持っている。もう三つが俺だ。ヴィクトルは、営業に必要な書類やら何やらを別に抱えているため、そういう按分になった。理屈は分かる。分かるが、三つは重い。石畳の上を歩くたびに足の裏が痛んだ。木箱の取っ手が手のひらに食い込む。ヴィクトルは二つ持ちながら颯爽と歩いている。
「アルフ様、ここはあなたのビジネスでもあるのですよ。売れなければ利益はゼロです。さあ、次はあそこのギルドです」
「分かってる。分かってるから、少し待って」
「足が痛いのですか」
「痛い」
「では、次の角を曲がったところで少し休みましょう」
「……ありがとう」
「休憩込みで、今日の予定は十二件です」
「多くない?」
「効率的です」
◇
貴族家への訪問は、手応えがあると思っていた。一番の見込み客のはずだった。屋敷の執事に通していただき、ヴィクトルが丁寧に説明した。俺もそれらしく横に座った。
執事は靴乾燥機を眺めてから、静かに首を振った。
「靴は使用人が手で乾かすものです。魔道具を使うなど、品がない」
「……そうですか」
「うちではけっこうです」
屋敷を出た。春の日が傾いていた。
ヴィクトルが少しの間、黙って歩いた。俺が「どうした」と聞くと、ヴィクトルが静かに言った。
「……貴族家は、難しいですね」
珍しい声だった。計算でも強がりでもない、素直な声だった。
俺は何も言わなかった。
「では次は運送ギルドです」
ヴィクトルがすぐに切り替えた。歩調が戻った。
(この商人、やっぱり面白いな)
◇
三度目の路地裏で、俺は確信した。
「……また同じ八百屋の親父と目が合った。三回目だぞ」
「次男様、地図によればこの角を左です。私の長年の勘と緻密な計算によれば間違いありません。……あ、あれ? ここ、さっき通った路地裏ですね」
ヴィクトルが地図をくるくると回しながら、真顔で言った。
「さっきも同じことを言っていた」
「地図の向きの問題です。今度こそ」
「今度こそ、と二回言った」
木箱が重かった。足が痛かった。でも、なぜか笑えた。
◇
後日談。
街を歩いていた時のことだ。運送ギルドの詰め所の前を通ると、窓の外から聞き覚えのある音がした。
柔らかい風の音と、タイマーのカチカチという音。
中を覗くと、棚の隅に靴乾燥機が置かれていた。ギルドの人間の長靴が二足、ホースに差し込まれて乾かされていた。何でもないように、当たり前の顔で、動いていた。
(……動いてる)
俺はしばらくそこで立ち止まっていた。
後日、ヴィクトルから売上の書類が届いた。
みんな手元に既にドライヤーがある。だから爆発的には売れていない。ただ、一度使い始めると便利さに気づいて、追加購入につながるらしい。水面下で、じわじわと広がっている。
最初に思い描いたような大金にはならなかった。でも、お金は入ってくる。楽しかった。まあ、よしとする。
(そういえば、『手袋』や『布団』も乾かせるんじゃないか)
俺はそんなことを考えた。またいつか機会があれば、レナに声をかけてみよう。
あの分厚い手帳には、まだ続きがありそうだったから。
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