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子爵家次男のありふれない日常  作者: kishi
交際を偽装する
20/43

第05話:攻防、継続中

 三日後、また一緒に歩いた。

 その次も、その次も。

 偽装交際とは名ばかりで、実態は「美人の隣を歩く男が、毎回徒労に終わる試み」の繰り返しだった。

 俺の無駄な努力の歴史を、ここで少し振り返っておこう。


 ◇


 二回目の帰り道。


「……そういえば、こうして歩いていると、周りからは普通に見えますかね」

「見えていると思いますよ。何か問題が?」

「いや、問題というか。もう少し、こう、見え方を工夫した方がいいかと思いまして」

「どんな工夫ですか」

「たとえば、距離をもう少し詰めるとか」

「足の小指の爪を覚えていますか」

「覚えています」

「では問題はありません」


俺は足の小指を物理的に守るような歩き方になった。


 ◇


 三回目の帰り道。


「リーゼさんって、笑うとちょっと印象が変わりますね。さっき学園の後輩に笑いかけてたの、見てました」

「そうですか」

「普段より柔らかくて。それが……なんか、いいですよね」

「ありがとうございます」

「だから、俺にも少しくらい笑いかけてもらえると」

「……人差し指の骨の話、忘れましたか」

「覚えています」

「では問題はありません」


(なんでこの人、「問題はありません」で全部終わらせられるんだ)


 ◇


 四回目の帰り道。


「……そういえば、そろそろ教えてもらえませんか。偽装の理由」

「女の秘密ですよ」

「まあ、それはいいですが、少しくらいヒントだけでも」

「暴くのは、万死に値しますよ」

「一万回、いうことですか。俺の命は一つしかないのですが」

「足りませんね」

「……足りませんね、って。好奇心を持っただけで、そんな目に?」


 リーゼは少し間を置いてから、答えた。


「刺繍針で」

「……」

「たしなみですので」

「……なんで姉との話を知っているんですか」

「存じません。ただ、たしなみですので」


(……偶然か。偶然なのか。この人は)


 俺は、物理的に身を守るような不自然な歩き方になった。


 ◇


「……ということが、ここ数日で起きた」


 俺は翌日の昼休み、人気のない中庭の隅でレオンに報告した。

 レオンは他人事の顔で聞いていた。


「まとめると。何回試みても全部封じられている。一回も成功していない」

「ゼロ回」

「それでも続けている。なぜ」

「なんか、意地になってしまって」

「そもそも、偽装交際に余計なことをする必要はないだろ。隣を歩くだけでいいんだろ」

「……そうなんだが。そうなんだが。向こうが冷静に封じてくるのが、なんか悔しくて」

「お前、子どもか」

「悔しいものは悔しい」

「……まあ、楽しそうでいいんじゃないか」

「……そうか?」

「そうだよ。目が生き生きしてる。うっとおしい、迷惑だ」


 俺は返答に困って、中庭の噴水を眺めた。


(楽しい、か)


 意地になっているのは確かだ。毎回封じられているのも確かだ。でも、並んで歩いている時間が不本意ながら、悪くはなかった。リーゼは静かで、よく観察している人で、余計なことを言わない分、たまにぽつりと出てくる一言が妙に的確だった。


(……まあ、それはそれとして)


 封じられているのは、やっぱり悔しい。


 ◇


 五回目の帰り道。


 大通りに差し掛かったあたりで、向こうから学園の生徒が数人、連れ立って歩いてくるのが見えた。

 上級生だろうか。背の高い男子生徒が中心にいて、周りが自然とその人物に向いているような、そういう空気の集団だった。


 俺は特に気にせず、そのまま歩き続けた。

 が、隣のリーゼの様子が、わずかに変わった。

 気のせいかもしれない。ただ、歩調が、ほんの少し遅くなった。視線の向きが、わずかにずれた。真っ直ぐ前を向いているのに、正面を見ていないような。そんな、不思議な気配。


(……どこを見ている?)


 すれ違いざまに、俺は横目でその集団を確認した。中心の男子生徒。端正な顔立ち。歩き方に育ちの良さが滲んでいて、周囲の視線を自然と集めるような、そういう人間だ。

 その男が、こちらには目を向けなかった。

 視線が、一瞬だけ、この方向へ来そうになって……来なかった。意図的に、逸らしたような。


 集団が通り過ぎた。

 リーゼは何も言わなかった。歩調が、元に戻っていた。


(……なんだ、今の)


 俺には分からなかった。リーゼが男を避けたのか、男がリーゼを避けたのか。あるいはその両方なのか。ただ、すれ違いのあの数秒に、何か——妙に張り詰めたものがあった気がした。


 俺は何も言わなかった。


 大通りを抜けてしばらく歩いたところで、馬車の流れが一時的に滞り、歩道に人が集まった。

 俺とリーゼも自然と人波に押され、いつもより近い間合いで立つ形になった。


 その拍子に、俺の肩がリーゼの肩に触れた。

 俺は反射的に身を引こうとした。が、リーゼは何も言わなかった。


(……あれ)


 いつもなら一言ある。足の小指か、骨か、万死か。しかし今日は、何もなかった。

 ただ、前を向いて、馬車の流れが戻るのを待っている。

 人波が散けて、また歩き始める。


「……今、何も言いませんでしたよね」


 リーゼはわずかに間を置いた。


「……そうでしたか」

「いつもなら、なんらかの破壊文句が来てます」

「……気づきませんでした」


(「気づかなかった」は、ないだろ。これだけ鋭い人が)


 俺は黙って歩いた。


(なにか動揺があった? いや、リーゼには触れることを、当たり前のこととして受け入れている相手が、いるのかもしれない。だから、とっさに反応できなかった。そういうことなのか?)


 あくまで、「かもしれない」だ。確かめる方法も、確かめる気も、今の俺にはない。

 ただ。

 さっきすれ違った男のことと、今のこととが、頭の中でなんとなく同じ棚に並んだ。何がどう繋がるのかは、まだ分からない。


 俺はそっと視線を前に戻した。

 金貨五枚の仕事が、最初に思っていたよりも、やはり入り組んでいる……それだけは、なんとなく、感じ始めていた。


お読みいただき、ありがとうございました。

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