表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
子爵家次男のありふれない日常  作者: kishi
交際を偽装する
18/43

第03話:姉の刺繍針

「今日一日、気になってなにも手につかなかった」


 翌日の夕方、俺の部屋。椅子に腰掛けたレオンが開口一番そう言った。

 こいつの場合、「気になって手がつかない」は誇張ではなく本当にそうなのだろう。学園で顔を合わせた時から、ずっとそういう目をしていた。


「学園では話せないしな」

「そうだよ。誰が聞いてるか分からないし。……で、どうなったんだ」

「まず、話を整理すると。……交際しているふりをしてほしいという依頼だった。月に数回、人目につく場所を一緒に歩くだけでいい、と。報酬は金貨五枚。理由は教えられないと言っていた」

「理由は教えられない」

「そう」

「婚約者がいる男に、美人が偽装交際を持ちかけてきた」

「そう。……あと、最後に手を握られた」

「……」

「色香に惑わされた」

「自分で言うな」


 レオンはゆっくりと目を閉じ、深くため息をついた。


「お前に依頼する理由が分からないな。……まあ、それでも、引き受けたんだろ?」

「引き受けた」

「……やっぱり。……あのな、一応確認するけど。昨日の夕方、俺がいなかったら、お前どうしてた」

「ノリで『はい!ずっと前から好きでした!』と、言ってたな」

「……」

「何も言ってくれるな」


 レオンは額に手を当てて天井を仰いだ。俺は気まずさを誤魔化すように、机の上の羽ペンをくるくると回した。


「ところで、今日の午前の数学、どうだった。お前、途中から顔が空白になってたろ」

「お前のせいだよ! 昨日からずっと頭の中がリーゼさんのことでいっぱいで、教科書の文字が全部同じに見えた」

「そんなに」

「そんなに。……あと、廊下ですれ違った時、普通に挨拶されて、心臓が跳ねた。周りに人がいなくてよかった」

「廊下で死ぬなよ」

「……で、話を戻すけど」


 レオンが改まった顔をした。こいつが真面目な顔をする時は、だいたい正論が来る。


「婚約者がいる身で、何をやってるんだ」

「それは……人助けというか、成り行きというか」

「成り行きで美人からの偽装交際を引き受けるな」

「いや、でも、断れない状況で」

「自分から踏み込んだというか、踏み抜いたんだろ」

「……そうとも言えるし、そうでないとも言えるし」

「どっちだ」

「……そうだ」


 俺は観念して認めた。言い訳をすればするほど、穴が深くなる感覚があった。


「ミモザちゃんにバレたらどうするんだ」

「バレなければいい」


 レオンが静かになった。俺も静かになった。

 沈黙が部屋を満たした。窓の外で鳥が鳴いた。


「……お前、今すごいことを言ったぞ。ミモザちゃんは、お前の侍女への視線も把握してるような人なんだろ。偽装とはいえ交際が露呈しないと思うか」

「……思わない」

「だろ」


 俺は頭を抱えた。


「まあ……引き受けてしまったものはしょうがない」


 レオンが少し考えるような顔をした。


「人目につくんだろ、偽装交際」

「まあ、そうなる」

「だったら、家族に話しておけ。協力者が必要だ、後から知られるなんて絶対に怖い」

「……分かった。今日中に話に行く」

「強く生きろよ」

「他人事みたいに言うな」

「他人事だよ」


 レオンはひらひらと手を振って、帰っていった。


 ◇


夕食後、俺は覚悟を決めてカティの部屋の扉を叩いた。


「はい」

「……姉様。ちょっといいですか?」

「どうぞ」


 扉を開けると、カティは椅子に腰掛けて刺繍をしていた。穏やかな光景だが、俺には油断できない。この姉は、刺繍をしながら人を詰めることができる。


「お話があります」

「座りなさい」


 俺は椅子に腰掛け、一呼吸おいてから切り出した。


「実は昨日、学園の帰り道で……リーゼという子爵家令嬢に頼まれて、交際を引き受けまして。それが偽装でして」


 刺繍の手が、止まった。次の瞬間、カティはその手に持っていた針を、俺の腕に向けてためらいなく繰り出してきた。


「……あぶな。今、刺そうとしましたよね」

「貴族令嬢にとって刺繍は、たしなみなの。教養なのよ」

「教養ではなく凶器でしょう。たしなみなら、そんな針で狙わないでください」

「狙ってないわよ。気のせい」

「気のせいにしては、狙いが精確でした」

「……刺繍針の扱いが上達しているだけよ。ほめてくれるかしら」

「ほめません」


 カティはふふ、と鼻で笑って、針を手の中でくるりと返した。俺はじわじわと後退して、椅子の背もたれに背中をつけた。逃げ場がない。

「……続けなさい」

「月に数回、人目につく場所を一緒に歩くだけでいい、と。報酬は金貨五枚。理由は教えられないと」

「……その、リーゼとかいう令嬢。どんな人?」

「同学年の子爵家令嬢で。銀がかった髪で、背が高くて、立ち姿が絵になる。顔も整ってるし、スタイルもいい。柔らかそうで、なんだかいい香りが。落ち着いた雰囲気で、育ちのよさが滲んでて……あと、困ってるのは確かで、放っておけなくて」


 カティの目が細くなった。


「外見のことばかりね。困っているとか放っておけないとか、最後の最後に、おまけみたいに出てきたわよ」

「……」


 姉は少しの間、俺を無言で見つめていた。

 その目は「呆れ」でも「怒り」でもなく、何かを確かめるような目だった。


 カティは刺繍を膝に置いて、ため息をついた。


「……本当に困っているんでしょうね? なら、しょうがないか。大事にならないようにしなさい。ミモザちゃんへの筋は、ちゃんと通すこと」

「……分かった」

「母様と祖母様には、私から伝えておくわ。香水、三本ね」

「三本!? 一本増えた!?」

「相談料と、口止め料と、精神的苦痛への慰謝料。内訳はちゃんとあるのよ」


 俺はうなだれながら、金貨五枚の使い道が着々と決まっていくのを感じた。


お読みいただき、ありがとうございました。

ブックマーク登録や評価欄☆☆☆☆☆から応援をいただけますと励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ