第01話:帰り道美人に呼び止められた
「食堂の新メニュー、うまかったよな」
夕刻の街道。学園から子爵邸へ向かう馬車通りを、俺とレオンは肩を並べて歩いていた。
春の空気は柔らかく、あちこちの庭先で白い花が揺れている。授業の残り香もすっかり消えた、一日の中で一番ゆるい時間だ。
「うまかったは認める。量が多すぎた」
「でも全部食べたろ」
「食べた。だから腹が痛い」
「腹が痛いのは量のせいじゃなくて、自分のせいだよ」
俺の名前はアルフ。本名アルフレッドだが、そう呼ばれるのは初対面の挨拶の時だけだ。
子爵家次男、十六歳、学園二年生になったばかり。
特別に目立つわけでも、特別に沈むわけでもない。ごく真っ当に、貴族社会の中段あたりに収まっている、至って普通の男だ。
「そういえばさ、食堂のお姉さまに気に入られてさ」
「お姉さま……ん?」
レオンの目が微妙な角度を描く。
「おば……」
「失礼なことを言うな。感じのいい方だ」
「なぜ気に入られた」
「おかわりしたら、喜んでた。『よく食べる子は好きよ』って」
「……おば……お姉さま?」
「感じのいいお姉さまだと言っている」
レオンは沈黙した。春風が吹いて、馬車が一台、砂ぼこりを上げて追い越していった。
「いくつくらいだ」
「知らない。でも感じがいい」
「感じがいいのはわかった。何歳だ」
「……聞いてない。聞く必要がなかった」
「なぜ」
「感じのいいお姉さまだからだ」
もう一度の沈黙。石畳を踏む足音だけが響く。
「……俺には理解できない生き物だな、お前は」
「俺は鷹揚なんだよ。年齢とかにとらわれない、精神的な自由人ってやつ」
「それをそのまま婚約者に言ってみろよ。どうなるか見たい」
俺の足が一瞬止まる。
「……話が変わるけどさ」
「変えるな。続けろ」
「いや。続けたら婚約が危ない気がしたから変えた」
レオンが呆れたように肩をすくめて、「賢明だな、珍しく」と呟いた。俺は気を取り直して、話を戻した。
「そういえば、続けることにしたよ」
「何を? 馬鹿を?」
「……」
「おまえは馬と鹿と、四足歩行寄りだものな」
「うすうすそう思ってたけど。やっぱりそう見える?」
「そうだな」
「純粋な悪口だよな。そうじゃなくて、婚約の話だよ」
「ああ」レオンの声が、すこし真面目なトーンに変わる。「思い直したのか。それがいい」
「そうだな」
俺は頷きながら、青い春の空を仰いだ。
ミモザの顔が浮かんで、それから女性陣三人の顔が怒涛の勢いで追いかけてきた。
あの夜の正座と、足の痺れと、二本分の香水代が俺の人生にしみ込んでいる。
(まあ、正直に言えば、結局は押し切られたんだけどな)
心の中でこっそり白状しておく。誰にも聞こえない場所で、人間は正直になれる。
「でも、なんでまた急に?」
「いろいろあった」
「いろいろって、お前の顔が三日間ずっと死んでたやつか。それか」
「……うちの女性陣の圧力という名の愛情を受けてな」
「お前んちのは強すぎるよ。うちの親戚全員より強い気がする」
「自慢じゃないけど、多分そうだ」
二人で笑った。学園の赤い屋根がだいぶ遠くなり、馬車の往来が増えてくる大通りへと差し掛かった。
ここで道が分かれる。
(まあ、婚約は続ける。それは決めた)
ミモザとの関係をどう育てるかなんて、正直まだ分からない。五歳差は厳然と存在するし、彼女はまだ十一歳だ。だけど、それは「ゆっくり考えていけばいい理由」でしかない。そのくらいのことは、三晩の説教で骨身に沁みた。
◇
「……少し、お時間よろしいですか?」
凛とした声が聞こえた。
振り向く。
夕陽の逆光の中に、見覚えのある顔があった。
同じ学園の制服。銀色がかった明るい髪。整った顔立ちと、落ち着いた立ち居振る舞い。
確か、同学年の子爵家令嬢……リーゼだ。
「あ、俺ですか?」
「……見渡す限り、他に人はいませんが」
「あはは、そうですね」
俺が情けない笑いを返すと、リーゼは周囲に視線を走らせてから、すこし近づいて声をひそめた。
「私と、交際してください」
(……は?)
心臓が、一拍だけ止まった。
美人だ。身長もあって、立ち姿が絵になる。春の光が斜めに差し込んで、その横顔がきれいで。
こういう人が「交際してください」なんて言ってくるシチュエーションを、俺は一体何回夢の中で見てきただろう。
「はい!ずっと前から好きでしっ」
口が動きかけた瞬間、横からぬっと伸びてきた手が強引に俺の口を押さえた。
レオンだ。
「待て待て待て。こいつ、婚約者がいます。あと、頭が一瞬で湯沸かしになってるので、本人の返答は無効です。いまは本人というか、なにか別の人格というか……」
俺は口を押さえられながら、全力で自制した。奥歯を噛む。心の中の「はい!」を、喉の奥に力尽くで押し込んだ。
「……事情を、聞かせてもらえますか?」
鋼鉄の意思で、血涙とともに絞り出すように言うと、リーゼは驚いたように目を瞬かせた。
「……はい。よろしければ、場所を変えて」
レオンが手を離した。
俺の顔をしばらく眺めてから、ぼそりと呟いた。
「この変質者を野放しにしていいのか? 俺は、後悔しないか?」
リーゼが先に歩き始めた。俺はひとつ深呼吸して、その後に続いた。
(……一体、何の話なんだ)
頭は混乱しているが、足は自然と動く。
春の夕暮れの街道に、三つの影が伸びていた。
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