それでも変わらないでいてくれた家族達
それから、私はUFO内で、キャメロン系にカツカレーとカップラーメンの中華風を出してもらい、子供の好きな食べ物ベストテンみたいな感じで、結構喜んで食べた。
そして、妹の沙耶に電話して、実家の中までは工藤ちゃんカメラで見なかったが、近所一帯は色々と見てみた。
これってライブ版グーグルアースみたいな感じだ。
もしかしたら、結構アメリカの軍部では、このUFO内と近いテクノロジー位持っているのではないのだろうか?と想像して見た。
「お兄ちゃん、凄いことになっているね!私の勤めている職場でも、私に妙に上司とかが気を使っていて、ホント仕事にならないよ」
「そうか、結構みんなに色々と迷惑かけたみたいで、大変だったな」
「それで、さ~、明日、埼玉のお兄ちゃんの家に行くから、合い鍵はこれで良いよね?」
と言っていたが、これって?と言葉を返すと
「あれ?今、私のこと、見てないの?」
と言ってきた。
そうか、沙耶もあれから色々と私が巻起す全世界電波ジャックの番組を観ていたんだろう。
だから、当然、妹は私に見られていると思っているのだ。
これからはスマホとか誰かに連絡をしたときは、今、見ているよ、とか、今は電話だけとかいちいち報告しないといけないな~とちょっとだけ反省した。
「ああ、今は見ていないよ、なんかまるで覗き見しているみたいじゃない、それになんかフェアーじゃないような気がして、でも一瞬だけ見るよ」
私はそう言って、生前、母親に渡した埼玉県の自宅の合い鍵を上に翳している妹の姿と、鍵のアップを観た。鍵には見覚えがある赤いリボンのような生地が結んであり、その合い鍵で当たっていた。
「あれから、家に帰っていないんでしょう?」「ああ、まあ、汚くしているから序でに、掃除や洗濯も頼むよ、あと、さ~、レンタルDVDも返してくれない」
妹は、え~とか言って露骨に嫌がった。
「そのDVDってエッチなやつでしょう?延滞料代も払うの?嫌だな~」
「ゴメン、しょうがないだろう、今、こんな状態で、自宅の方に中々帰りにくいし、あと、一応、そこのレンタルビデオ屋には電話連絡したからさ、延滞料は大丈夫って言っていたから、で、もし万が一には、後で必ずお金を返すからさ」
「うん、分かったけど、場所分かんないけど」
「自宅に財布も携帯も置いてきたまんまだから、さ、そこの中にレンタル店の住所とかもあるし、パソコン使ってググって調べて行ってくれない」
「分かった、財布も自宅に置きっぱなのね、分かった、あと、掃除・洗濯する時間あるか、分かんないな、そのあと、敬二兄ちゃんの所に行くからさ、目黒に行かないといけないから、リサの幼稚園の運動会だからさ」
はあ?私がこんな状態になっているのに、世界って言うか?
我が家族は何をテレビで観ているの?
っと思ったし、そうだろうな、余りにも突拍子の無いことがあったとしても、特にその後、連日、警察の事情聴取とか、嫌がらせを受けている訳でもないよう、私が咄嗟の判断でして上げたんだから、感謝して楽しんでこいよ、みたいな投げやりな自分が、俯瞰から見えた。
「親戚のおばちゃん達も、みんな心配しているから、なんだか分からないけど、兎に角、身体に気を付けて、頑張って!」
と最後に、そう言われて、私は力なく子機の通話ボタンを押して切った。
私は随分と遠い所に来てしまったと、改めて思った。
後戻りは出来ない世界、と言うのがある、それが、今の私の状況だ。
そして、UFO内で過ごすのが、今日で二日目になった。
昨日はヴァチカンの密談を全世界に素っ破抜いてしまったし、今日は、またUFO内で世界のスクープを探す見たいに、UFO内徹子の部屋スタジオでテレビモニターを、真剣でもないが、見ていた。
今日は埼玉の私の家に妹が行っているはずだ。もし、また、ホンケイの刑事が張っているかもしれないから、一応、一つのモニターに映して沙耶を観ていた。
近所のおばさんが、妹が私の家に入って行くのを遠巻きに観ていた。
なんか、気持ち、よそよそしく感じた。
私の自宅付近では若者達が車から見学するように態と自宅前はスピードを落として走っていたり、やはり遠巻きから見ている他県からの観光系もチラホラいた。
警察もパトカーで巡回していたが、警察官は反対に私の家を避けている感じで、自宅前の道路は極力通らないようにしていた。
こんな状態に妹に行ってもらうのは申し訳無かった。
今は亡き母親が使っていた赤いリボンが付いた合い鍵を見ると、今更ながら、不思議な感じがした。
今頃、天国から「潤!なんだべ」って感じで宮城県訛で怒っているんじゃないのだろうか?
早いもので、母親が無くなって4年が経過した。去年に三回忌が終わり、なんとなく、母親の死に対して悲しみを抱く時間が少なくなってきた。それとも、ただ、思いだすのが、思い出になることが怖いのかもしれないし、実はまだ整理されていないのだと思った。
身近な肉親の死を考えると、ある意味、他のことがどうだって良くなる。
あの時は、自分が入っていた広告代理店の業務が、心底、バカバカしくなった。
母親は大腸癌で亡くなったのだが、3年前に手術をして癌を取り除いたのだが、また、癌が再発していた、そのことは詳しく父親は話してはくれなかったし、詳しく話してもらっていても、私には何もすることが出来なかった。
宮城県から遠く離れた埼玉県に住み、朝早くから、夜遅くまで会社で他社の広報・宣伝の仕事をしていた。
だから、実際、母親と一緒に住んでいる妹の沙耶の方が何倍も辛い思いをしていると、今更ながらに思っていた。
そして、そんな、広告代理店から、この御時世で仕事が激減しているから、と言う感じで私の他にデザイン制作も数名一緒にリストラになった。
もともと、25名位の中小企業だし、昔と変わらない仕事内容をこなしていたから、守りに徹するしかないような会社だ。
勿論、中小企業だから退職金などスズメの涙よりも少なく、最後まで憂鬱な会社だった。
そんな会社に、朝早くから出社して、他社の仕事を行うってのは、今更ながらなんか虚しく感じる。
それは、私にとって初めての経験だった。
その起爆剤となったのが、母親の死かもしれない。




