18.それは勝負師として致命的な精神状態で
地域の将棋祭りでは、イベントの目玉として棋士同士の公開対局が行われることが多い。
普通はトップ棋士同士の対戦になるんだけど、今年はお茶の間の人気者である小手指アリスが呼ばれたらしい......ところで、今更だけど俺はなんで呼ばれたんだろうな?年齢が近いからか?誰かわざわざ無名の新人を指名するとも思えないし。
まあいいや、今からは対局に集中せねば。
多くの客さん前でステージに上がり、小手指アリスと向き合う。
すると
「私が勝ったら、約束、守ってくださいね」
笑顔でそういわれた。
もう勝ったつもりってわけか?舐めやがって......
べつに負けても損はない条件だが……っとこんな事考えてちゃだめだな。
負けたいわけじゃないんだから。
ああ、そうだ。勝ったうえで相手の健闘をたたえて、「俺も君を見習って今後はクラスメイトと距離を置くことにする」とか言ってもいいな。よし、それでいこう。今は失恋のショックとか全部忘れて、ただ勝つことに集中......集中だ。
「「よろしくお願いします」」
そうして、小手指アリスの先手で始まった対局。
彼女にリベンジするために沢山してきた準備は……3手目で白紙になった。
「えい」
(ふ、振り飛車だとぉ!?)
将棋の戦法には大きく分けて『居飛車』と『振り飛車』の2種類がある。小手指アリスはバリバリの居飛車党で、これまで公式戦で......というか奨励会の三段リーグ時代から振り飛車を使ったことは一度もなかったはずだ。
予想外の一手に、沸く会場。
居飛車を高く評価する将棋ソフトの台頭によりプロでは指されることが激減している振り飛車だけど、アマチュアでは大人気の戦法だからなぁ。ただでさえ小手指アリスは人気者なのに、完全アウェーである。
(いや、自分に都合のいいように考えよう)
まず、指し慣れた戦法ではない分研究も浅いはず。つまりこれは、お好み対局に合わせたファンサ用のお遊び戦法と考えるのが普通だ。それに、勝つことで対局が増えている彼女が俺個人への対策をとる時間はほとんどなかったはず……
うん、このロジックに穴はない。完璧な予想だと思う。
墓穴を掘ったな、小手指アリス。
その辺の隙をついて、一気に局面をリードさせてもらうぜ!
*****
そして勝負は中盤戦まで進み、リードされているのは俺の方だった。
(つ、強い……)
なんなのコイツ。
振り飛車の研究がめちゃくちゃ深い上に、奨励会時代と違い、俺が個人的に苦手としているポイントまで把握して的確に攻めてきている感じがある。
『加藤九段、現局面はどうですか?』
『駒の働きが良い分、小手指さんの方が少しだけ指しやすそうですね』
大判解説を勤めている女流棋士とベテラン棋士がそんな話をしているのが聞こえる。
イベント対局で非公式戦ゆえ、マイクの大音量がこちらにも筒抜けなのだ。
確かに、現局面を将棋ソフトで判定すれば60:40くらいで小手指アリス有利と出るだろう。普通の相手なら『ちょっと苦しいが勝負はこれから』って局面だが、彼女の一番の持ち味が暴力的な読みの速度、終盤力だという事を考えると結構絶望的なリードをつけられたようにも感じる。
そんな事を考えながら指した一手に最善手で返され、また少し局面が悪化。
(……届かなかったか)
対局中に、ついそんなことを考えてしまった自分に驚く。何故だろう、あれほど必勝を誓い心待ちにしていたリベンジマッチのハズなのに、今一つ闘志が湧かない......お好み対局だからだろうか。
そう言えば、盤面と小手指アリスの方ばかり見ていたがお客さんの様子はどうなんだろう?
ワンサイドゲームでがっかりされてはいないだろうか。
そんな気持ちでふっと盤面から目を離して客席を見やると……
(えっ!?)
そこに、いるはずのない人物がいた。
羽生飛鳥だ。
このイベントは地方で行われているものだ。
ただのクライメイトを応援するために駆けつけるにしては少々......いや、かなり遠い。
俺の負けを見届けるため?いや、対局結果はネットに出るから現地で確認する必要はないはずだ。では、なぜ……
『おっと、勝負どころとみて深浦四段が長考に入ったようです。ではここで、会場のお客さんに次の一手を予想して貰いましょうか』
『そうですね。では、そちらのお嬢さんに聞いてみましょうか』
「えっ、私ですか?」
なんて思っていると、解説者から指名されていた。
まあ、基本オッサン比率の高い将棋イベントにあんな美少女がいたら目立つもんね。
『もし自分では将棋を指されない『観る将』の方なら、攻めの一手や守りの一手と言っていただければこちらでいくつか候補を出しますよ』
解説者はそう言ってるけど大丈夫かな?
彼女、あんまり人前に出るタイプじゃないし……
「今の盤面は、後手が少し悪いんですよね?じゃあ私は……深浦四段が逆転の一手を指すと予想します。」
は?
『これは面白い回答がでました!』
『もしかして今日は、深浦四段を応援ですか』
「はい、彼に勝ってほしいです」
『これは黄色い声援だ。期待に答えられるように頑張って欲しいですね』
嘘だろ?だってあの時言っていたじゃないか。
『私が彼に持っている気持ちは恋じゃない』
『今のところ、私と彼じゃつり合っていない』
しかし、先ほどの羽生飛鳥が嘘を言っているようには見えなかった。
基本的に善性の強い人間だし、こんな大勢の前で心にもない事を言えるようにも思えない。
と、そこで思い至る。
恋ではないが、あちらも友情くらいは感じてくれているんではないか。
それに今のところ釣り合っていないだけで、今後の俺次第ではワンチャンあるんじゃねーの。
(……なんか、俄然やる気出てきたな)
我ながら単純だなと苦笑する。
しかし先程までは冷めていた心に炎が灯り、今は燃える様に――
「熱い」
上着を脱ぐ。
脳に血流を回し思考をトップギアまで上げた影響で身体が火照ってきたからだ。
とはいえ、プロ同士の対局で劣勢な局面から華麗に逆転する一手などあるわけがない。だから――
(これで......どうだ!)
俺が指したのは最善手ではなく、局面を派手に荒らして盤面を複雑にする一手。
それを見て小手指アリスが眉を寄せたのが分かった。
そんな彼女が小考の末に返した一手に、俺はノータイムでさらに盤面を複雑にする一手を返す。
なんでそんなことができるのかと言うと、読み切れないままでひたすら盤面をゴチャゴチャにすることだけを考えて指しているからである。人間の処理能力の限界を超えたカオスな状況を作り、そこに活路を見出す『泥沼流』という指しまわしだ。
加えていうとこの方法、この試合のようにお互いの持ち時間が短い中で逆転を狙うようなケースとはすこぶる相性がいい。だってお互いが悪手を指しやすく、将棋は最後にミスした方が負けるゲームなんだから。
「さあ――ここからが本当の勝負だぜ」
覚悟しろ。
この先は、お前が嫌がりそうなところにしか駒を置かん!




