12.それは天才棋士が一手詰めで頓死する様な錯覚で
「わは、また勝ってるー♪」
連盟のアプリで対局結果をみて声を弾ませているのは、小手指アリス。現在時の人となっている将棋界の天才少女だ。
そんなわけで日々、周囲からの視線を一身に集めるアリス。そんな彼女だが…彼女自身が見ているのはたった一人の男であった。
「でも、当然だよね。だって深浦さんだもん」
自分よりも半年遅れでプロになった深浦邦雄である。
かつて、アリスは学校で浮いた存在だった。
それは周囲より圧倒的に賢く、可愛く、そしてハーフという存在感からだ。低学年男子は『好きな子に意地悪してしまう』者が多く、女子は子供の頃から『女』だったのである。
自分という存在を理解してくれる友人がいないと感じたアリスは徐々に不登校気味となる。
そんな彼女に祖父が教えてくれたのが将棋だった。『棋は対話なり。これなら、性別も年齢も関係なく仲間ができるよ』と。
しかし、アリスは強すぎた。盤上ですら対等なコミュニケーションが成立しなかった。
大人達でもまるで歯が立たず、負け惜しみに『いや、子供の……しかも女の子にはどうしても本気が出せないよねぇ』なんて言う始末である。
そこで祖父に才能を見出され、また対等に戦える相手を求めてプロの養成機関である奨励会に入ったアリス。
プロの卵達は確かに強かったが、それでもアリスにはまだ二歩程及ばす……また対局内容も『棋は対話なり』とは違うものの様に感じた。
人間よりも強くなった将棋ソフトの影響で、対局は昔よりも『研究勝負』や『最善手の追求』という側面が強くなったからだ。
(でも……深浦さんだけは全然違ったんだよね)
そこでアリスは目を閉じて、当時の事を思い出す。
それは上位二名がプロになれるという『三段リーグ戦』の中で、お互い12勝無敗というトップ同士の対局だった。
(この人……凄く強い!)
将棋盤の反対側に座っているのは、深浦邦雄。
史上5人目となる中学生でのプロ入りが期待されている超有望株。
その棋力は大天才のアリスに極めて近いレベルにありーー
(しかもなんか……私の弱いトコロばかりピンポイントで狙って責めてきてる?こんな感覚、はじめてだよぉ……)
加えて彼は、アリスの棋風、性格、癖、強みと弱み、どんな場面でミスしやすいかなどを徹底的に研究し、彼女個人に対してのメタ的対策を張ってきていた。
振り飛車という、将棋ソフトがあまり評価しない戦法を採用した深浦に対し、穴熊という相性が良いとされる囲いをアリスが採用して開戦した対局。
アリスが十二単衣の様に重ね合わせていた守り駒の金銀が、深浦のいやらしい差し回しによって一枚一枚剥がされていく。
(うう、とうとうパンツまで……こちらから脱ぐように仕向けられちゃった……)
彼女の言動はなにもおかしくはない。穴熊の守りに使っている桂馬を攻撃参加させるのを将棋用語で『パンツを脱ぐ』というからだ。将棋連盟公認の対局アプリには専用エフェクトまである。
(うう……しかも、奪われたパンツを使われちゃってるし)
そんな将棋用語はない。
アリスがテンパっているだけである。
そして、息も絶え絶えになり真っ白だった経歴が汚されそうになった最終盤、秒読みに追われて焦って着手したアリスの一手はーー『詰めろ逃れの詰めろ』という、本人も読んでいない絶妙手になっていた。逆転だ。
結果、アリスは勝利した。
指運という、完全なラッキーパンチによって。
この勝利は、そして敗北は、双方に大きなダメージを残した。
そしてその日の内に行われた次局、ショックを引きずるアリスは前期一位だった奨励会員に、深浦は別の会員に、それぞれ敗北することになる。
そこから約一か月後、最終順位はアリスが17勝1敗でトップとなりプロ入りを決めたのに対し、深浦は16勝2敗の同率二位となり前期からの順位差でプロ入りを逃した。
彼に代わってプロに入ったのは、アリスが唯一敗れた前期一位の……しかし深浦よりは明らかに弱かった奨励会員。彼女は、強い罪悪感に苛まれることになる。
「……でも、流石深浦さん。次のリーグ戦は一位抜けでプロ入りして、そこから勝ちまくってるもんね」
回想から戻り、アリスはそう口にした。
「早くまた対局したいなぁ……きっと、また私の事をいっぱい考えてくれるんだろうなぁ……」
そう言いながら、頬を染めて身を捩る。
少し年上の、自分の事を見てくれる、将棋のメチャクチャ強いお兄さん。
彼女のストライクゾーンど真ん中である。
ちなみにテレビ企画で対局したトップ棋士達はもう少し年配の者ばかりで、しかもあれは『真剣勝負』ではなかった。
故に、現在のアリスにとって深浦は唯一無二の憧れの異性である。
「きっと対局中はまた、真剣な顔でじーっと見つめられちゃったりなんかもして……えへへ」
クッションに顔をうずめ、足をバタつかせる。
深浦が対局中に相手の顔を見るのは相手の心理状態を窺うのと、局面の形勢判断の為なのだが今の彼女に常識は通用しない。
「お互いがタイトルを分け合うようになれば、それこそ一年中一緒にいられるし……対局日以外にもお互いの事をずっと考えるだろうし……そんなのもう、ほぼ夫婦だよね」
そんなちょっとアレな事を言い始めたアリスの部屋には、大判サイズに引き伸ばされた深浦の写真が飾られていた。




