7 年収も家も負けている……? 社内MVP美女からのド直球告白!
「天野さん、いくらなんでも無防備すぎます。独身で43歳の男の部屋で、二人きりで酒なんか飲んで……万が一、俺に『何かされたら』どうするんですか」
修平の口から出た、今日一番の「正論」。
43歳、社会人の理性が振り絞った最後の防衛線だった。
言葉を発した瞬間、修平は「言った……! 言ってやったぞ俺は!」と心の中で自分を称賛した。
(よし! これで完璧だ! 自分を『くたびれたオッサン』と卑下することで相手を傷つけず、同時に『男としての危険性』を匂わせることで危機管理能力を促す! どんな箱入り娘だろうと、これでハッと正気に戻って『失礼しました』と帰るはずだ!)
修平は腕を組み、厳格な近所の頑固オヤジのような顔で彼女を見つめた。
しかし——
バーナーを手にしたまま、天野玲奈はゆっくりと修平に向き直った。
逃げ出すどころか、その瞳には怯えの色など1ミリもなく、むしろ「待ってました」と言わんばかりの強い光が宿っている。
「……『何かされたら』、ですか?」
天野は手に持っていたバーナーをそっと調理台に置くと、一歩、また一歩と修平に向かって歩み寄ってきた。
「え……あ、いや、だから防犯意識の話でだな……」
思わず半歩後退する修平。だが天野は止まらない。
つい数分前、修平が包丁の手ほどきをした時と同じくらいの至近距離。
見上げるような角度で、彼女は修平の目を真っ直ぐに見つめた。
「野島さん。私、都内出身ですし、今年27歳です。田舎から出てきた世間知らずでも、警戒心ゼロの子供でもありません」
(……え? 都内出身?? 27歳??)
脳内の「上京してきた可哀想な隣人少女」という大前提が一瞬で崩れ去り、修平の思考がフリーズする。
「会社も、書道教室も、ジムも、釣りも、原画展も……全部、野島さんが好きだから追いかけてたんです」
(……は?)
「『何かされたら』なんて心配、最初からしてません。……だって私、野島さんになら、何かされたって構わないと思ってここに来てますから」
ド直球の、特大ストレート。
夕暮れ時のリビングに、彼女の告白がはっきりと響き渡った。
「………………え?」
ポーカーフェイス? リスク管理? 防衛ライン?
43年間積み上げてきた修平の高度なリスクヘッジ回路が、あまりの衝撃に一瞬で全システム沈黙した。
「あ……いや……あの……俺、43歳のおっさんだぞ……? 勘違い……じゃなくて……?」
喉をヒクヒクさせながら、かろうじて絞り出した情けない声。
それに対して、パステルカラーのエプロンを着た超絶美女は、これ以上ないほど愛らしく、いたずらっぽく微笑んだ。
「勘違いじゃありません。……さ、野島さん。タチウオ、炙ってもいいですか?」
固まったままの野島修平(43歳・独身)。
彼のリスク管理との戦いは、ここから本当の「地獄(天国)」を迎えることになったのだった。
「いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいや。無い無い無い無い無い無い無い無い無い無い無い無い! そういうのいいから!!」
修平は大きく両手をブンブンと横に振った。
過去43年間の人生で出したことのないハイトーンボイスが部屋に響き渡る。
「あのね、天野さん。こんな事言いたく無いけど、ちゃんと働いて稼ぎなさい!」
修平の脳内回路は、あまりのパニックに「若い子が年上に媚びてラクしようとしている(パパ活的・ヒモ的構図)」という超絶謎の勘違いロジックを無理やり弾き出していた。
そうでも思わなければ、目の前の超絶美女からの決死の告白という現実を受け止めきれなかったのだ。
「いいか!? 人の金や優しさに甘えようとしちゃダメだ! 自分の力で稼いで、自分の力で立つ! それが立派な社会人ってやつだろ! 営業部としても一社会人としても、俺は君のそういう甘えを許すわけにはいかない!!」
必死の形相で熱弁を振るう修平。
まさに「説教モード」に入ることで、男としての動揺を力技で押さえ込もうとする必死の防衛本能だった。
しかし——
「……あの、野島さん?」
天野は首をちょこんと傾げると、どこからか自分のスマートフォンを取り出し、画面をサッと修平に見せた。
「私、マーケティング部で最年少グループリーダーやってまして……昨年度の社内MVP表彰もいただいてます。年収も同年代の平均よりはだいぶ上ですし、マンションも自力でローン組んで買いました。……私、ちゃんと働いて稼いでますよ?」
スマホの画面には、社内報の「年間最優秀社員賞:マーケティング部 天野玲奈」の華々しい記事。
「…………………………え?」
「それに私、野島さんの優しさに甘えたいんじゃなくて、野島さんが好きなだけです。お金も求めてませんし、なんなら野島さんのお給料より私の方がちょっと高いかもしれません」
ドスッ。(年収でも負けている可能性という追加のダメージ)
修平の「パパ活的甘え説」という都合の良い妄想は、完璧な数値と実績によって微塵も残さず粉砕された。
「あ……いや……その……自立……してるね……すごく立派……です……」
「はい! 自立した一人の大人として、野島さんに告白してます!」
天野は満面の笑みで、置いたままだったバーナーを持ち直した。
「説教も終わったことですし……タチウオ、炙りますね? 焦げちゃうと勿体ないので」
「カチッ……ゴーッ!!」と青い炎が吹き上がり、香ばしいタチウオの脂の匂いがキッチンに充満する。
修平は壁に背中を預けたまま、ずるずると床にへたり込みそうになるのを必死で耐えていた。
(詰んだ……。言い訳のカードが全部なくなった……。自立した超絶美女が、なぜか俺にガチ恋しているという現実しか残っていない……! 神様、俺のリスク管理マニュアルのどこに『勝ち目がない時の撤退方法』が載ってるんですか……!?)
タチウオが炙られる香ばしい音とともに、修平の長い長い夜が本格的に始まろうとしていた。
修平は両手で顔を覆い、そのままキッチンカウンターの壁に背中を預けてズルズルと床にへたり込んだ。
「やっぱ無理……自分より給料が良くて若い女性。無理です……プライド折られた……」
完全に意気消沈し、膝を抱えて小さくなる43歳。
長年積み上げてきた「大人の男としての防衛線」も「無害で頼れる先輩おじさん」のプライドも、すべて木っ端みじんに砕け散っていた。
「えっ……そこですか!?」
パチパチと音を立てていたバーナーの炎を止め、天野が驚いたように目を丸くする。
「野島さん、年収とかプライドとか、そんなの気にしないでください! 私、野島さんの年収がいくらかとか、立場がどうとかで好きになったわけじゃないです!」
「気にするわ!! こちとら43歳だぞ!? 16歳も下で、自分より仕事できて、家も自力で買ってて、超絶美女で……俺の勝てる要素が『タチウオのFGノットが素早く結べる』くらいしかないじゃないか!!」
体育座りのまま、切実な叫びを上げる修平。
「十分すぎる要素です!!」
天野は炙り終わったタチウオのお皿をテーブルに置くと、へたり込む修平の目の前にサッとしゃがみ込んだ。
エプロン姿で視線を同じ高さに合わせ、覗き込んでくる。
「FGノットが完璧で、ジムで倒れそうな時にスマートに助けてくれて、書道で集中してる横顔がかっこよくて、下心ゼロで誠実で……そんな野島さんだから好きなんです。プライドなんて折らないでください。私野島さんを立てますから!」
「立てなくていい! 惨めさが加速する!!」
「じゃあ……じゃあ、今日のお酒代とタチウオ代は野島さんが奢る、でどうですか!? これなら男の人のメンツ保てますか!?」
「タチウオは君が釣ったんだよ!! 奢りも何も俺の獲物じゃない!!」
八方塞がりだ。
ロジックで攻めてもダメ、説教してもダメ、勝手に悲劇のヒロイン(おじさん)になっても即座に全力で肯定して追撃してくる。
(ダメだ……この子、俺が何を言っても全部『好き』に変換して返してくる……恐ろしい攻城兵器だ……!)
頭を抱える修平の目の前に、お箸を持った天野が、炙りたてのタチウオの刺身を一口サイズにして差し出してきた。
ほんのり醤油がつけられ、脂がジュワッと輝いている。
「ほら、野島さん。折れたプライドは一旦置いておいて……まずは一口食べてください。野島さんが綺麗に捌いてくれたタチウオです。……はい、あーん」
「『あーん』は絶対やらない!! 俺の最後の尊厳だ!!」
「えー! じゃあ自分で食べてください! 美味しいんですから!」
修平は天野からお箸を引っ手繰るように受け取ると、半ばやけくそでタチウオを口に放り込んだ。
香ばしい皮目の風味と、口の中でとろける甘い脂。完璧な仕上がりだった。
「……うまっ」
思わず漏れ出た本音。
「ふふっ、でしょ? 私たち、最高のペアですね!」
嬉しそうに笑う天野玲奈(27歳・高収入・超絶美女・ガチ恋勢)。
床に座り込んだままタチウオを噛みしめる野島修平(43歳・プライド崩壊・独身)。
修平のリスク管理マニュアルは完全に焼失し、彼に残された道はもう、この怒涛のラブコメ空間を受け入れること以外になくなりつつあった。




