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2/12

2 偶然じゃありません。私、全部追いかけてるんです〜彼女side

深夜2時、マンションのエレベーター前。


「ふぅ……今日も遅くなっちゃったな」


仕事のトラブル対応で終電を逃し、タクシーで帰宅した私は、疲れ切った足取りで1階のエレベーターボタンを押した。

ドアが開いた瞬間、そこに立っていた男性を見て、私の心臓は跳ね上がった。


(あっ……野島さんだ!)


同じマンションの隣の部屋に住む、43歳の野島修平さん。

シックなスーツを崩さず着こなし、どこか落ち着いた大人の色気を漂わせている人だ。


私が小さく頭を下げると、野島さんは視線をスッと斜め下に逸らし、無言で静かに会釈をしてすれ違っていった。


(……相変わらず、私のこと全然見てくれないなぁ)


すれ違いざまにふわっと漂う、品のある微かな石鹸の香り。

私は自分の部屋の前まで歩きながら、胸の奥がキュッと締め付けられるのを感じていた。


実は、私は意図的に野島さんの影を追っていた。

……なんて言うとストーカーみたいで怖いけれど、違うのだ。

始まりは完全に偶然だった。


半年前、マーケティング部の打ち合わせで12階の営業部を通ったとき、部下に優しく、でも的確に指示を出している野島さんを見かけたのが最初だった。

気になって調べてみたら、なんと住んでいるマンションの真隣。


そこから私の「野島さんアンテナ」は異常な精度を発揮し始めた。


野島さんが火曜の夜に大人の書道教室に通っていると知れば、私もすぐに同じ曜日の夜の部に申し込んだ。


深夜帯にフィットネスジムで汗を流していると気がつけば、本来は朝型だった生活リズムを無理やり夜型に変えて、同じ24時間ジムに入会した。


極めつけは週末の趣味だ。

野島さんのSNS――鍵アカウントだったけれど、アイコンや投稿される海の風景から奇跡的に特定できた――を隅々までチェックして、彼が乗る東京湾の遊漁船をこっそり予約。

さらに、彼が会社で「好きだ」と話しているのを耳にしたアニメの原画展にまで足を運んだ。


完全に重度の片思いだ。


だけど、野島さんは本当にガードが堅い。

同じ会社、同じマンション、同じ趣味、同じジム。

ここまで接点があるのに、彼は一度だって私に私情の籠もった視線を向けない。

いつだって「一人の洗練された大人の男性」として、完璧な距離感を保っている。


(私、魅力ないのかな……。それとも、やっぱり迷惑に思われてるのかな……)


翌週の火曜日。

書道教室。


静寂が包む室内で、私は野島さんの隣の席が空いているのを見つけ、意を決して座った。

野島さんは「温故知新」という文字を、ブレのない力強い筆遣いで書いている。かっこいい。

横顔に見とれてしまいそうだ。


(話しかけたい……でも、急に話しかけたら『隣の部屋の女が馴々しくしてきた』って引かれちゃうかも……)


緊張で手が震え、持っていた半紙が1枚、ひらりと野島さんの足元へ滑り落ちてしまった。


(あ、やっちゃった……!)


どうしようと焦ったその時。

野島さんが静かに腰を落とし、私の半紙を拾ってくれた。


表情は一切崩さず、まるで『親切な自動販売機』のように無機質な、でもとても綺麗な立ち振る舞い。


「……どうぞ」


低くて落ち着いた、最高の声。


「あ、ありがとうございます……!」


頭を下げて半紙を受け取ったけれど、私の胸はバクバク言っていた。

野島さんは「いえ」とだけ短く返すと、すぐに自分の「温故知新」に視線を戻してしまった。


(ああ……やっぱり深追いしてくれない。でも、拾ってくれた手つきも、書いてる字も、すごく丁寧で素敵……)


私は受け取った半紙を抱きしめながら、彼の横顔をじっと見つめてしまった。


その日の深夜1時。24時間フィットネスジム。


「今日こそは、もう少し自然に近くにいたい……!」


私は野島さんが走っているトレッドミルの、思い切ってすぐ左隣のマシンに乗った。

チラッと横目で見ると、野島さんは正面のモニターを鋭い目つきで凝視し、黙々と走っている。

汗をかいていても清潔感があって本当に素敵だ。


(よし、私も野島さんのペースに合わせて走ろう!)


ザッ、ザッ、ザッ、ザッ。


足音のピッチが野島さんと重なる。

それだけで嬉しくて、心の中でニヤけてしまいそうになる。

野島さんの走るスピードが少し上がったのを見て、(あ、私も頑張らなきゃ!)とペースを上げようとした——その時だった。


ポケットのスマホが滑り落ちそうになり、慌てて足を踏み外してしまった。


「きゃっ……!」

(やばい、転ぶ——!)


目を瞑った瞬間。


バシィッ!と隣のマシンの緊急停止音が響き、私の腕がガシッと力強く支えられた。

ウェア越しに伝わる、野島さんの大きな手の温もりと圧倒的な安定感。


「……大丈夫ですか」


目の前に、野島さんの顔があった。至近距離。

汗をかいているのに信じられないくらいクールで、落ち着いた大人の男の顔。

息が止まりそうだった。


「あ……っ、はい! すみません、足がもつれて……!」


「怪我がなくてよかったです。マシン、急に止めると危険なので気を付けてください」


私の身体が安定したのを確認すると、野島さんはサッと手を離し、タオルで丁寧に自分の手を拭いた。

その「絶対に下心を見せない、完璧な紳士としての振る舞い」に、私は感動すら覚えていた。


「あの……本当にありがとうございました。あの、私……」


(私、隣の部屋の天野です! いつも偶然一緒になりますよね! って言いたい……!)


勇気を振り絞ろうとした瞬間、野島さんは「フッ」と軽く会釈をして、「では」とだけ言い残し、スマートにプロテインコーナーへ去っていってしまった。


(あああっ……! また行っちゃった……!!)


残された私は、野島さんに支えられた自分の腕をそっと触った。

熱が残っている気がする。

胸がキュンとして、涙が出そうなくらい好きがあふれてくる。

ぽつりと、心の声が漏れた。


「……やっぱり、野島さんだ」


冷たいんじゃない。彼はただ、どこまでも紳士で、誠実な人なのだ。


いつか絶対に、あの固いガードを解いて、私の方を向かせてみせる——

私は去っていく彼の後ろ姿を見つめながら、密かに心に誓っていた。


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