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「私は、あなたに出会えただけでもう十分だもの。役に立つとか立たないとか、考えたこともないわ」
「じゃあ、なんで神殿まで俺のこと助けに来たの? あの時、急いできたのは俺に特別な力があると思っていたからじゃないの?」
「子どもが迷子になったり事件に巻き込まれたりしたら、とっさに身体が動いて当然でしょう?」
「俺じゃなくても、助けようと思った?」
「それは、まあ、たぶんそうじゃないかしら? でも、あの時の私は秋人だから助けたいと思ったの。それは間違いないわ」
アンナがそっと胸を抑える。子どもたちは大きくなっていく。子どもの好きなものも言葉遣いも変わっていくのに、自分だけがそれを覚えていて、僕たちはもう赤ちゃんじゃないと笑われてしまう。それでも前世の春香にとって、子どもたちと過ごした時間は大切な記憶だった。それは生まれ変わった今でも、なかったことにしたいとは思えない。
「死ぬ前も、そう思ってたの? 俺なんか大嫌い、死んじゃえばいいと思わなかったの?」
「……秋人と夏実が私のことを選ばなかったことで、傷ついたというのは本当よ。全然気にしなかったなんて言えない。ああ、私は必要とされていなかったんだとは思ったわ。それでも、あなたたちが不幸になればいいとは思わなかった。私たちは、お互いに別の場所で生きていくべきだと思ったの」
「父さんとばあちゃんも?」
「あのふたりは、ちょっと好き勝手に生きすぎだかしらね。死ねばいいとは思わなかったけれど」
「毎日足の小指をぶつけるとか、買いたい商品が自分の目の前で品切れになるとか、晴れ時々雨みたいな天気だったら必ず外で雨に降られるとか、そういう風な人生を過ごしてほしいなくらい?」
「ふふふ、具体的に考えたことはなかったわ。それは結構大変そうね」
「でも、生きていたらどうとでもなるっしょ」
なんだかおかしくてくつくつと笑いをこらえていれば、きゅうと変な声が聞こえた。さきほどまで顔をしかめていた秋人が、頭を抱えてしゃがみ込んでいる。
「俺たち、本当はおふくろと一緒にあの家を出て行くつもりだったんだ」
アンナは秋人の言う意味がわからずに、わずかに眉根を寄せた。
「でもその前に、親父をこらしめてやろうと思ってさ。俺も姉貴も、最初はスパイごっこをやってるつもりだったんだよ。代わりに復讐して、浮気の証拠もしっかり積み重ねて慰謝料ゲットってね」
「そう簡単にいくわけないでしょう?」
「でも、動画サイトのショートとか見てたら自分たちでも試したくなったんだ。結構面白そうだったし。だってあいつらさ、にこにこ笑って仲良くしていたら、何だって買ってくれるし、お小遣いだってたっぷりくれるんだ。おふくろには、食費も生活費も渡さないくせにね」
買った覚えのない高価な品々を持っていた子どもたちを見て、まさか万引きをしたのではないかとはらはらしたことは覚えている。そして、夫や愛人からたっぷりとお小遣いをもらったことを知ってがっかりしたことも。
秋人の唇がへの字に曲げられた。
「でも姉貴は馬鹿だからさ、途中から自分のついた嘘を本当だって思いこんじゃったんだ」
「素直って言ってあげなさい」
「それこそ馬鹿って言っているようなもんじゃん。情報を聞き出すために相手を持ちあげておいて、その嘘くさいお世辞を自分でも真実だって思い込むようになるとかどうかしてんだろ」
前世の夫の浮気相手のことを、新しい女性、お母さんとは違う強く賢い女性だと褒め称えていた長女の声が脳裏をよぎる。嘘を吐き続けていたらいつの間にか真実だと思い込むようになってしまっただなんて、娘らしいと言えば娘らしい。
「それはきっとおばあちゃんの影響も大きかったのよ」
「ああ、昭和の昼ドラかって勢いで悪口言ってたもんな。俺、ばあちゃんのお陰で悪口の語彙力は上がったと思う。とはいえ、ばあちゃんの悪口をうのみにして、おふくろのことを役立たずだって思い込むとか、やっぱりおかしいだろ。あんだけ一日中働いてたのに」
「パートだったから、正社員と比べるとカッコ悪かったのかもしれないわね」
「いや、目の前で家事してたじゃん! 外が暗いうちから起きて弁当、洗濯、朝食作りに、俺たちが家を出るのと同じ時刻にパートに出て、帰ってきてからはばあちゃんの世話やらなんやらやってるのを見ておいて、何もしていない扱いは意味がわかんねえよ」
「人間は見たいものしか見ないから」
「まあ、おふくろが出て行ってからはその負担が姉貴の方にのしかかってきて、姉貴、発狂してたんだけどな。最初は家事をやらせるためにおふくろを呼び戻せって言い出すし。まあとんでも発言くりかえしているうちに一周回って、ようやっと自分のおかしさに気が付いたらしんだけど」
アンナは小さくため息をつくと、ゆっくりと頭を振った。前世の春香は、子どもたちを守るために耐えるという選択肢を取ったが、その選択肢を選んだことが最大の失敗だったのだろう。秋人には、逃げるが勝ちという戦術があることも教えてやれなかったし、夏実には母親のようなみじめな女にはなりたくないという嫌悪感だけを植え付けてしまった。何より自分はさっさとひとり死んでしまった。その後に残された子どもたちのことをもう少しだけ考えてあげるべきだったのに。
「本当に、ごめんなさい」
秋人が絞り出すような声で謝ってきた。一瞬だけ驚いたが、何度も目をぐしぐしと擦る様子にそっとその手を押さえる。このままでは目が真っ赤になってしまう。子ども扱いするなとその手を振りほどかれるとおもっていたのに、秋人はアンナの手を払いのけはしなかった。
「秋人、話してくれてありがとう。お母さんこそ、いいお母さんになれなくてごめんね」
自分の行いもまた子どもたちを傷つけていたのだ。秋人の謝罪の言葉を受け入れた上で、自分もまた頭を下げれば、胸のつかえがようやく取れたような気がした。




