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厨房から大急ぎでやってきたらしい。前のめりになったエドワードが、両手に抱えたお盆を秋人に見せつける。盆の上の器がひっくり返りそうになっているのを見て、秋人は大慌てで受け取った。
「こんな時になんでグラニータなんか持ってきたんだよ?」
「だって、マシューおじさんが僕に持っていけって言ったんだもん。絶対に役に立つからって」
「そもそもそのマシューおじさんは、今までどこへ行ってたんだ。俺があの地下通路を通る羽目になったのも、マシューおじさんが勝手に開いた穴の中にいきなり飛び込んだからなんだぞ。お前の代わりに来た奴だから放っておくわけにも行かなくて。俺は向こうで散々な目に遭ったんだからな」
骨は折れていなさそうだが、絶対にいろんなところにあざができるに違いないと、秋人は覚悟していた。秋人の言葉に、エドワードが唇をとがらせつつむくれている。そしてエドワードの隣にいたマシューおじさんは、じっと秋人のことを見上げていた。秋人を引き連れて小神殿に入り込んだものの、秋人がブライスと神殿騎士に拘束されている間、彼は完全に姿を消していた。その上一体いつの間に合流したのやら、一緒にこの屋敷に戻ってきていたらしい。
やれやれと肩をすくめつつ、マーモットが無事でよかったと胸を撫でおろしていた秋人の隣で、突然マシューおじさんが威嚇のポーズをする。
「急にどうした?」
「きいいいいいい」
「いや、俺、マーモットの言葉なんてわかんねえし!」
怖くないが妙な迫力があるマシューおじさんに押されながら、秋人が頭をかく。マシューおじさんの登場のせいで、先ほどまで目からこぼれ出そうだった涙は、すっかり引っ込んでいた。
「きいいいいいいいいいい」
「あのね、アッキー。マシューおじさんは、今ちょっとご機嫌ななめなの。みんなのために穴掘りしてあげたのに、汚いってジムに捕まっちゃって。さっきまでジムに洗浄魔法をかけられていたの」
「みんなのために穴掘り? そんなトンネル工事みたいなことやっていたのか。それによく見れば包帯?」
「マシューおじさん、お仕事の最中に爪が剥がれちゃったんだって。すごく泥だらけだったんだよ」
「マーモットって、穴掘りが趣味なんだろう? そこまで必死になって穴を掘る必要がどこにあるんだよ。だいたい、砂浴びする生き物が洗浄魔法をかけられるとかどういうことなんだ」
「きい」
「あ、そこは同意するんだな」
そこでもう待てないとばかりに、エドワードが秋人に渡したグラニータを指さした。
「ねえ、アッキー。早く、アンちゃんにこれをあげなくちゃ」
「確かに、ふたりで作って驚かせようとは言っていたけれど。さすがに今じゃないだろ。意識がない人間の口にグラニータなんか突っ込んだら、誤嚥するって。誤嚥性肺炎は怖いんだぞ」
「ううう、アッキー、どうしてそんな意地悪言うの? アンちゃんが死んじゃってもいいのお?」
べそをかくエドワードから懇願されるが、秋人も今の状況でアンナの口にグラニータを突っ込んでいいとは思えない。困惑していると、マシューおじさんがかかってこいやとばかりにふくらはぎにぶつかってきた。たびたび動画サイトで見られるマーモットの喧嘩スタイルだ。痛くはないが独特の物々しさに秋人はたじろいだ。
「でもさあ、今じゃなくても……」
「いや、今だな」
「父さま?」
大きな声ではないが、力強さのこもった低音が部屋に響いた。腕組をしながらふたりと一匹のやりとりを見守っていたウォルトは何かを思いついたらしい。
「え、でも、こんな時にグラニータなんか」
「こんな時だからこそだ。思い出してみろ。もともと、あの阿婆擦れ……もといあの異母妹がお前に執着していた理由は何だったのか」
「いやいやいや。実際、俺と侯爵さまで経口補水液の効果を確かめて、やっぱりあいつが話を盛っただけだってことになったじゃん」
「わたしもそう思っていた。偶然、偽薬的な効果が得られたに過ぎないのだろうと。だが」
「だが、なんだよ」
「以前、アンナが指を怪我したと話したときのことを覚えていないか?」
侯爵に問われ、秋人は記憶をたどってみる。ああ、確かにそんなことがあったなあとうなずいた。初めて一緒に料理を作った際、アンナは秋人とおしゃべりをしつつ、料理のレクチャーをするという忙しい状況だった。
もともと秋人の母親は不器用な人間だ。生来の要領の悪さを、真面目さと丁寧さで補っている。だから、手をざっくり切ったときも、やっぱりとか、だから無理するなという気持ちと、大丈夫だろうかという気持ちがないまぜになったのを覚えている。あまり傷が深くないといいなと思ったし、早く治ってほしいとも思った。それが一体どうしたのだろうか。
「あの時アンナは指を切ったと言ったが、傷跡は見当たらなかっただろう? 本人は気のせいだったと話を切り上げていたが、明らかに不思議そうな顔をしていた。おそらく、勘違いではなく確かに怪我をしていたに違いない。ならば、導き出される答えはひとつだ。お前には、いや正確に言うならばお前の作るものには、怪我を治す力があるのだ」
「いやだから、一緒に作ったものにはそんな効果なかったって」
「そうだ。では聞くが、お前はアンナと一緒に作った料理と、わたしと一緒に作った経口補水液、どちらも同じ心持ちで作ったのか?」
「はあ?」
「同じ情熱で作ったと神に誓えるか?」
「神に誓うもなにも、経口補水液は面倒くさいなあと思いながら作ったよ。途中から、変な知らんおっさんも増えて暇だったし、歌とか歌ってた」
しかも口ずさんでいた歌は最近の流行りなどではなく、ショート動画に使われるような曲ばかりだ。何せあまりにも比較実験のための作業量が多くて、縦動画配信ごっこでも脳内でやっていないとぶっ倒れそうだったのだ。
「そこだよ。料理の際には、おそらくお前はアンナのために心をこめて作ったはずだ。それこそアンナが怪我をしてからは、早く良くなってほしいと思いながら作ったのではないか。そして、検証実験の際のお前は、心ここにあらずだった。明らかに面倒くさがっているのが伝わってきた。ちなみにお前が知らないおっさんだと切って捨てた相手は、王家直属の監察官だ」
「マジか。不敬罪で死ななくてよかったわ。ってか、なんでわざわざ?」
「騎士団の主人は国王陛下だ。神の秘薬なるものの噂を、王家が把握していないはずだろう?」
「なるほど」
「まあそれで、お前の祈りによって、料理に加護が与えられているのではないかとわたしは考えているのだ。このグラニータも、お前とエドワードがアンナのために作ったものなのだろう? それならばこの氷菓にはアンナを回復させる効果があるとみて間違いないのではないか?」
そんな馬鹿なと笑い飛ばそうとしたが、あまりに真剣なウォルトの顔に秋人は開きかけた口を閉じた。自分の料理がアンナを救う? 本当に?
ウォルトの推測ならば、確かにつじつまは合うのだ。初めてこちらの世界で目を覚ました時、秋人は早く良くなりますようにと必死になって祈りながら、経口補水液を作っていた。なにせ三日三晩何も口にしていなかったらしい。命の危機を感じた秋人は、必死になってかつての記憶を手繰り寄せたのだ。
同じように、初めてアンナと料理を作ったときには、怪我したアンナの手が早くよくなるようにひたすら願っていた。侯爵が言うように、自分が作った料理でアンナの目が覚めるのだとしたら、こんなに嬉しいことはないと思う。
だが一方で、とてつもない恐怖を秋人は感じていた。グラニータをアンナに食べさせたとして、アンナが意識を取り戻さなかったとしたら? それは秋人の持つアンナへの愛情が薄っぺらく嘘くさいものだと世間に知らしめることになるのではないだろうか。




