(27)
「あら、お姉さま。ごきげんよう」
「……あなた、彼に何をしたの?」
「まあ、怖いお顔ね。久しぶりに家族に会えたというのにあんまりだわ」
「私の家族は、あなたたちではないわ。あなたたちこそ、急に私のことを家族扱いするなんて一体どういうことなのかしら。意味がわからない」
これまで散々、アンナのことを家族に混じった異物として爪弾きにしてきたのだ。今さらすり寄られたところで、寒気しかわかない。家族という言葉を引き合いに出されても、馬鹿馬鹿しいだけだ。
「嫌だわ、お姉さまったら。侯爵家にお嫁に行って、自分の立場と口の利き方を忘れてしまったのではないかしら? あたしに話しかける時にはひざまずいてからだって、あれだけ教えてあげたじゃない」
「残念だけれど、私は自分の立場をよく理解しているわ。今の私はキャリントン侯爵家当主の妻なの。子爵令嬢であるあなたと、キャリントン侯爵家の正妻。口の利き方がなっていないのはどちらの方か、胸に手を当てて考えてごらんなさい」
自分がかつて実家でどれほど粗末に扱われてきたのか。それをウォルトに聞かれるのは、想像しているよりも辛いことだった。既に調べられているのだろうが、それでも実の親に愛されなかった事実は、何よりも恥ずかしい。それでもブライスの言葉を流すことができたのは、キャリントン侯爵家が自分の居場所になっていると思えているからだろう。
アンナが淡々と返事をすれば、ブライスが苛立たし気に足を踏み鳴らした。小さな子どもが駄々をこねるような仕草に、ウォルトがわずかに顔をしかめる。倒れている真横であんなに足踏みをされては相当に頭に響くと思うのだが、秋人が目を覚ます様子はない。
「まったく、偉そうに。夫の横で他の男の心配をする売女のくせに。なんてふしだらなのかしら。それとも、自分はそんなことをしても許されるくらい夫に愛されているのと自慢しているの?」
「何を言っているのか、意味がわからないわ。もう一度言うわね。ブライス、彼に何をしたの?」
「気絶しているだけよ。使っているクラバットピンが綺麗だったから、見せてちょうだいって言っただけなのに。まるで命を奪われるみたいに大騒ぎをした挙句に、ただでさえ少ない魔力を暴走させたの。どこまで愚かなのかしら」
「あなたの見せてちょうだいは、『ほしいからあたしにちょうだい』の意味だもの。嫌がるに決まっているわ」
「アクセサリーもドレスも、お姉さまやイーノックみたいなつまらない人間に使われるより、あたしに使ってもらいたがっているに決まっているじゃない。ああ、もう、嫌になっちゃう」
ブライスが苛立たし気に爪を噛む。綺麗に整えられていたはずの指先は、見るも無残なありさまだった。
「お姉さまが甘いから、イーノックは男の癖に女みたいにひょろひょろしていて、頼りないのよ。はあ、神殿騎士くらいの逞しさがあれば、隣に置いていても見栄えがするのに」
神殿騎士は、以前神官長の後ろに控えていた時と同じように、ブライスの後ろで控えている。品行方正とは言い難いブライスの発言を聞いてもなお、顔色一つ変えることはない。力さえあれば、人間性など気にもならないのだろうか。
「それじゃあなおのこと、彼と結婚する必要はないでしょう? 好みでもない相手なのだから、さっさと婚約を解消してしまえばいい」
「あたしがこの男を捨てることはあっても、この男があたしを捨てるなんて許されるはずがないのよ。お姉さまもイーノックもどうしてそれが理解できないのかしら」
「ずいぶんと身勝手な言い分ね」
「お姉さまこそ、そんなに必死になるなんて、やっぱりイーノックのことが大好きなのね。本当に昔から男好きの阿婆擦れなんだから。あたしのイーノックにちょっかいをかけたことに対して、慰謝料を請求しなくっちゃ」
「ウォルトさまは、真実をご存じよ。そんな風に出まかせを言ったところで、騙されたりしないわ」
今までのアンナであれば、居丈高に振舞われれば、すべてそれを受け入れてきた。自分の言いたいことを全部飲み込み、どんな理不尽にも従った。けれど、今のアンナは違うのだ。もうブライスの言いなりにはならない。
「ああ、もう、うるさい、うるさい! あたしはこれから聖女になる女なのよ。侯爵夫人がどれだけ偉いの? 神殿の聖女の方が偉いに決まっているでしょ! 神殿の聖女になりさえすれば、陛下の寵姫も夢じゃないのよ。あたしが偉くなったら、あんたなんて最下層の娼婦に堕としてやるんだから!」
ブライスの叫びに、後ろの神殿騎士が器用に片眉を上げていた。どうやら、今の段階でブライスはまだ聖女の承認を得てはいないらしい。レースの裾を踏みつけて身体を寄せてきたブライスの目が怖い。後ろに下がろうとしたところで、物理的にドレスが動かせなれば距離をとることも叶わない。
ぐっと唇を噛んだ時、ウォルトが割り込んできた。とんと軽くブライスを押しただけだというのに、彼女は勢いよく後ろに下がりたたらを踏んだ。
「あら、侯爵さまったらずいぶんなご挨拶ね。他の男のことにばかりかまける妻の行動は気にならないの? お心が広くていらっしゃるのね」
馬鹿にしたように鼻を鳴らすブライスに、ウォルトは厳しい顔で告げた。
「先ほどから黙って話を聞いていれば。君は一体何の権限があって、自分よりも身分の高いアンナとわたしを馬鹿にしているんだ」
「あら、だから何度も言っているでしょう? あたしはもうすぐ聖女になるの。そしてすぐに公妾になるわ。御寵愛賜るのも、時間の問題だもの。そうすれば、あなたたちがあたしにかしずく立場になるのよ」
そこで馬鹿馬鹿しいとウォルトが笑った。
「何を根拠に聖女になれると?」
「あら。あなた、いくら公になっていないとはいえまだ知らないの? 侯爵のくせに、ずいぶんとお耳が遠いのね。あたしが、神の秘薬を献上したことくらいは知っているでしょう?」
「まあ、それなりの効果があったそうだな」
「ふふふ、それなりどころじゃないわ。あたしは、王家に忠誠を誓った騎士たちを、夏の眠りから回復させた。それだけじゃない、彼らの古傷さえ治してしまったのよ。国境警備や、魔獣討伐、訓練中の事故。いろんな理由で、大怪我を負った騎士たちはたくさんいるの。そして彼らは、命こそあれ、手足の不自由さや冬の寒さによる古傷の痛みに耐えて暮らしている。あたしは、そんな彼らを救ってあげたのよ。こんなあたしを聖女として敬わずに、誰を敬うというの?」
ウォルトの予想通り、ブライスが経口補水液についてありえないほどの効果を謳ってみせる。思わず顔をひきつらせたアンナの隣で、ウォルトが冷ややかな笑みを浮かべた。
「では、聞こう。一体、誰がそれを証明できる?」
「あら、疑問に思うならば、騎士団長に尋ねてみたらいいわ。騎士団長本人が、左手のこわばりがとけたと大喜びしていたのよ。ああ、そういえば侯爵さまは騎士団長と交流があったのではなくって? そんなこともご存じないなんて、お互いの友情もまやかしだったみたいね」
「ブライス、あなた!」
ウォルトを嘲るブライスの暴言に、思わずアンナが抗議の声を上げる。しかし、ウォルトは涼しい顔で答えてみせた。
「いや、不思議なものだ。我が友の怪我は、聖獣を祀る鏡湖の神官長から賜った、最上級の魔法薬によって回復している。一体、君は何を言っているんだ?」
「……最上級の魔法薬? たとえ騎士団長とはいえ、そんな希少品が手に入るわけがないでしょう?」
「なぜ、手に入らないと思う?」
「だって、魔法薬の材料は特殊なものが必要で……。そんな伝説みたいな材料が、手に入るわけが……。え、嘘、まさか?」
「なんと、神官長が秘蔵の水竜の鱗を奮発してくださったそうだ。なんと神託により、数十年ぶりに、水竜が姿を現わしたのだとか。おかげで、国のために働いてきた騎士たちに報いることができると、王家も大層お喜びだ」
「嘘よ、嘘よ、嘘よ。だって、本当に治ったんだもの。あたしが持っていった薬のお陰で、騎士団長以外のひとたちも、いっぱい身体の不調が治って、みんなあたしのことを聖女さまだって!」
「本当に? それならば、君に騎士団の団員たちと面通しさせよう。証言をしてくれる人間がいるか、聞いてみるといい」
目を血走らせたブライスが、荒い呼吸を繰り返している。アンナは、今、ウォルトが話した内容を頭の中で整理していた。夏の眠り、ようは日射病で倒れた団員たちを経口補水液で救ったことは事実だ。そして、彼らの古傷まで治したというのはブライスが話を盛っている、そういう話だったはずだ。しかし、ブライスの言い方では実際に似たようなことが起きたように思われた。
冬の寒さで古傷が痛むという現象は、筋肉のこわばりが原因で体内の炎症がひどくなっているからと推察できる。それならば、日射病からの回復時に偶然身体の炎症が抑えられ、痛みが軽減されたのではないだろうか。そして経口補水液の一時的な効果とは異なり、先ほど話に出ていた最上級の魔法薬は古傷を根本から治療してしまった。だから、ブライスの功績は証明できないということなのだろう。
騎士たちも、さらに劇的な治療を受けてしまったら、ブライスのもたらした奇跡は自身の勘違いだったと思うかもしれない。あるいは、今この瞬間に自分たちに与えられた最上級の魔法薬の重みを理解し、口をつぐむかもしれない。何せ王宮の騎士たちは基本的に貴族出身なのだ。彼らは政治と家門の力関係を、身体に叩きこまれている。庶子として、遅くに貴族入りしたブライスなどと違って。
「あなたがあたしを嵌めたのね!」
「まったく、礼儀知らずのご令嬢だ。あくまで、鏡湖の神官長の好意だと言っているだろう? ああそれから、君が神殿経由で王家に献上した神の秘薬とやらだが。あれは我が領では、一般家庭で風邪の時に用いられるものだ。大したものではない。費用対効果が優れているようなので、こちらから王家に細かい作り方と一緒に、作ったものを献上しておいた」
ブライスがウォルトに殴りかかろうとしてきたが、やはりまたおかしなところでつんのめった。淑女とはいいがたい無様な格好をしたブライスが、歯ぎしりをしている。
「何を勝手なことを!」
「陛下も大層お喜びだった。それゆえに、ブライス嬢があまり知られていない民間薬を神の秘薬と言い張り、自らを聖女だとのたまったことについては不問としてくださるそうだ。よかったな。命拾いしたことに満足して、さっさと王都から出て行くといい。もちろんわかっていると思うが、イーノック殿との婚約も無効だ。白紙解消となる。何せ、聖女になると言って他家に無理難題を押し付けたり、金をむしり取っていたんだ。今後貴族として暮らすことなどできはしないさ」
だが、そこでブライスが絶叫した。
「認めない、こんなのは認めないわ。あたしはお姫さまになるのよ。全部、全部、あたしのものになるの。絶対に我慢なんてしないんだから!」




