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【書籍化予定】継母になった嫌われ令嬢です。お飾りの妻のはずが溺愛だなんて、どういうことですか?  作者: 石河 翠
第二章

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(26)

 

 地下通路は、夏だというのにひんやりとしている。寒さ以上に怖さが大きいのだろうか、肌が粟立ち、歯の根が合わない。震えるアンナの肩に、ふわりと暖かいものがかけられた。


「すまない。今はこれで我慢してくれ」

「いいえ、ありがとうございます」


 アンナの体形からすればあまりにも大きな上着は、けれどなぜかひどく安心感があった。抱きしめられているようだと思いかけて、急いでその考えを振り払う。こんな時に不埒な感情を思い起すなんてどうかしている。


「……ブライスの味方をしているということは、神殿は敵ということになるのでしょうか」

「神殿も一枚岩ではない。特に中央神殿と、先日立ち寄った神殿は聖女に対する考え方の違いで対立している。例の神官長とは、わたしもあれから連絡を取り合っているが、ブライスを歓迎している神官は多くはないようだ。今回の件は一部の過激派の犯行だと思っていいはずだ」

「ウォルトさま……」


 まさか、ウォルトが神官長とずっと連絡を取り合っていたとは。例の避暑地で出会った神官長は、ウォルトが心を砕いてくれると見越した上で、秋人をアンナたちに預けたのだろうか。驚いているアンナに向かって、ウォルトが続ける。


「ただし、君にも知っておいてほしいことがある。例の経口補水液のことだ」

「それが何か?」

「ブライス嬢が献上した経口補水液が、夏の眠りから騎士たちを回復させただけではなく、彼らの古傷も治してしまったという噂が出回っている。麻痺して動かなくなっていた手足が問題なく動くようになったとまことしやかにささやかれている」

「……まさか、私の知る限り経口補水液にそのような効果はありません。もしも本当に可能なのだとしたら、それこそ神の領域ではありませんか」

「そうだ。それこそ加護持ちでしかありえないような治癒効果だ。おそらくこの先の神殿には、ブライス嬢が待ち受けているだろう。ありえないことを言われるかもしれないが、決して耳を貸さないように。基本的に彼女の言葉は、嘘八百だと思っていい」


 アンナは小さくうなずいた。自分の異母妹は口がうまい。それがどれだけ恐ろしいことか、彼女は身をもって理解している。ブライスの悪意に負けてはいられないのだと、アンナは気を引き締めた。そうやって話し込んでいれば、遠くにぼんやりと灯りが見えてきた。今歩いている通路よりも、ずいぶんと明るいようだ。


「出口が見えてきたが、妙だな」

「出口の場所は地下聖堂でしたか?」

「そうだ。キャリントン侯爵家の初代当主の棺が納められている」

「御遺体が保管されているのですか?」

「いいや。棺の中を改めたことはないが、おそらく中身は違うだろう。一説によれば、かつて聖女より譲り受けた聖遺物が納められているという話だが。まあ、眉唾ものだ」

「それは神殿にふさわしいものではありますが、盗まれる心配はないのでしょうか」

「この通路と同じく、血族でなければ開けない。その上、他にも鍵が必要らしい。わたしの代で、この棺を開く必要に迫られないことを願うばかりだ。そんな地下聖堂に、普段から灯りがともされているはずがない。つまり、あそこには誰かがいるというわけだ。さて、迎えの人間が穏やかな者であればいいが、希望的観測が過ぎるだろうな。物理攻撃への防壁をかけておこう」


 そのまま額に口づけが落とされる。一瞬何をされたかわからずぼうっとしていたが、数拍遅れてアンナは顔を赤らめた。通路がそれほど明るくなかったため、顔色が変わったことには気づかれなかったはずだ。これはただの防御魔術だ、平常心、平常心と言い聞かせておく。


「アンナ、防御魔術をかけたのはもしかして初めてだっただろうか? めまいや吐き気など、体調に異変があれば言ってくれ」


 頬に手を当てて、顔色と体温を確かめられる。アンナは慌てて頭を振った。ここ最近、急激にウォルトとの距離が縮まっている。それは心の距離だけではなく、物理的な身体距離も同じだ。ぼんやりとした魔導具の光に照らされた美貌を間近で見ていると、心臓が早鐘をうってしまう。こんなことが続けば、正直身体がもたない。


「一瞬視界が歪みましたが、気分の悪さはありません。……もしや、防御魔術は自身の魔力の有無や親族であるかどうかによって、かかりやすさが異なるのでしょうか」

「魔術は契約によく似ている。お互いの立場を明確にしなければ、展開できないものも多い。術が正確に発動して、正直ほっとした」

「それはどういう……」


 アンナが疑問を口にするよりも早く、出口の向こう側から声がかけられた。落ち着いた、心地よい低音だ。ウォルトがアンナを庇うようにして、先に足を踏み出した。慌てて上着を脱ぐ。ウォルトは受け取りを拒んだが、彼に恥をかかせるわけにはいかない。今のウォルトの姿を見れば、異母妹は鬼の首をとったように責め立てるに違いないのだ。


「お疲れのところ申し訳ございませんが、このまま主聖堂に案内いたします」


 目の前に現れたのは、ひとりの神殿騎士だった。貴族らしい挨拶の口上を述べることもなく、淡々と最低限の用事を告げてくる。「聖女さまのもとに案内する」とは言われなかったが、この神殿騎士はどの派閥に所属しているのだろうか。まじまじと神殿騎士を見つめているアンナの横で、ウォルトが底冷えのする声を響かせた。


「貴様、こんなところで何をしている。まさか、神官長を裏切ったのか」

「ウォルトさま?」

「この男は、あの神官長の右腕だ」


 確かに目の前の美丈夫には、見覚えがある。例の避暑地で溺れた子どもを助けた後、アンナは神官長から神殿で身体を休めるように誘いを受けた。その時に、神官長の後ろで控えていた神官騎士が確かに彼だったはずだ。神官も神官騎士もそれなりの数がいたが、燃えるような赤毛がとても印象的だったのだ。


「神官長が中央神殿から左遷されたときに、自ら手を挙げてついて行ったはずだ。一体なぜ、ブライス嬢の護衛のような真似をしている」

「自分はただ、真実を探し求めているだけです」

「神殿の狂信者どもが!」


 吐き捨てるようなウォルトの言葉にも、彼は動じない。アンナの姿を見た神殿騎士が、一瞬ため息を漏らしたような気がしたが、振り返った彼の瞳は先ほどと変わらず、静かなものだった。気のせいだったのだろうと、アンナはウォルトに優しく声をかける。


「ウォルトさま、参りましょう」

「ああ」


 神殿騎士の態度にウォルトが気色ばむが、アンナは侯爵をなだめて神殿騎士に従った。ここは侯爵家ではないのだ。足元をすくわれないようによくよく注意する必要がある。アンナが不安がっていると思ったのだろうか、ウォルトが繋いでいた彼女の手をさらに強く握ってきた。その力強さと温もりが泣きたくなるほど、アンナには嬉しかった。


 神殿騎士に続いて階段を昇れば、アンナたちはすぐに地上にある主聖堂に到着した。この世界で初めて足を踏み入れた場所、その異質さに思わず目を丸くする。聖女という存在を知らなかったアンナだから、当然聖堂にも足を踏み入れたことはない。例の避暑地で湖に落ちた際にも、神殿の神官居住区しか立ち入ってはいなかったのだ。


 それまでアンナは、前世で言うところの神社のような清涼な雰囲気がこの世界の神殿にもあると思い込んでいた。何せ霊感のない前世の春香ですら、神社に足を踏み入れると背筋が伸びるような感覚を覚えていた。


 今のこの世界では、神との距離感は前世よりもずっと近い。だからこそ、清浄な空気に満ちていると思い込んでいた。何せ例の避暑地で滞在した、神殿の神官居住区は確かに清々しく心地よい雰囲気だったのだ。


 しかし、ブライスが待つという主聖堂に清浄さなど漂ってはいなかった。あるのは、どこかどろりと濁った空気だけ。口元を覆いたくなるような、ねっとりとした空気に気分が悪くなる。まさか神殿騎士はこの濁りを感じとることができないのだろうか。それともこの濁りを感じ取ってなお、ブライスを聖女として祀りあげることを望んでいるのだろうか。少なくとも地下聖堂にはこのような禍々しさは漂っていなかったはずだ。


 背筋がぞくりとして、アンナは無意識にウォルトの腕を強くつかんだ。そのままのろのろと歩みを進めれば、レースやらリボンやらで最大限に装飾した趣味の悪いドレスが見えてきた。ブライスだ。神殿の掲げる清貧という言葉とは真逆の格好をした異母妹が、張り付けたような笑みを浮かべて立っている。


 彼女を飾り立てているアクセサリーは、質はそれなりに良いものだが、ブライスのドレスの雰囲気にはそぐわない。妙にちぐはぐな印象を与えている。それもそのはずで、彼女が身に着けている装飾品はかつてアンナから奪い取ったアンナの生母の形見の品なのである。そして彼女の足元には、力なくうなだれた秋人が転がされていた。

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