(25)
「アンちゃん、どうしよう。アッキーとマシューおじさん、食べられちゃったのかもしれない」
「落ち着いて、テッド。何があったのか話してくれる?」
エドワードはすっかり目を赤くして、アンナに抱きついてきた。どうしよう、どうしよう、そればかりを繰り返して震えている。そんなエドワードを優しく抱きしめ、背中を撫でてやった。使用人からの一報で秋人が行方不明になったとは聞いていたが、食べられたというのは一体どういうことなのか。
そもそもエドワードは秋人と一緒に、ちょっとした計画を立てていたらしい。その計画の最後の仕上げとして、秋人は庭の花を飾りに使うことを思いついたのだという。そして諸事情から、エドワードは厨房で秋人の帰りを待っていたそうだ。
自分の代わりとして、マシューおじさんに同行を頼んでいたらしい。しばらく大人しく待っていたものの、いつまで経っても秋人が帰ってこないと使用人に相談したことで、彼らの姿が消えたということがわかったのだ。
「おばあさまに言われていたの。お庭で遊びに行っていいのは、ガゼボのところまでだよって。その奥には父さまと一緒でないと行ってはいけない、お化けに食べられてしまうからって。さっきはまだ明るかったし、アッキーはもう大きいでしょう。マシューおじさんもいるから、平気だって思っていたの」
「大丈夫、きっとふたりとも無事でいるわ」
「でも、でも」
「お化けがいるかどうかは私もわからないのだけれど。少なくともこのお屋敷でお化けに会ったことはないのよ。それにテッドも言っていた通り、もしも本当にお化けが出るのだとしても、それは夜の話じゃないかしら」
「安心しなさい。この屋敷の庭にいるのは我が家の守り神だ。お化けなどではない」
ウォルトの言葉に嘘があるようには思われない。だが、実の孫相手にお化けに食べられると表現してまでその場から引き離そうとしていることを考えると、小さな子どもが近づくにはふさわしくないものがその辺りにあると考えるべきだろう。ちらりとウォルトを見れば、小さくうなずかれた。
「よい機会だ。エドワードにも話しておこう。ああ、もちろんアンナも一緒に来てくれ。家族である君も、知っておいてほしいことだ」
その言葉に、どきりとする。家族だけにしか教えられないこと。子どもを怖がらせてまで、遠ざけなければならない場所。それだけで、部外者が聞いてはいけないものがそこにはあるだろうことが察せられる。ためらったアンナが否定の言葉を出すよりも早く、ウォルトはアンナの手を取った。
手を引かれるまま案内された先には、蔦の生い茂る古びた石塀があった。ウォルトが蔦をかき分け、とある切石を押し込む。淡く光った切石が動くと同時に、石塀に小さな隙間ができた。おそらくは緊急時の脱出経路だろう。
「わたしは、彼らがここから外へ出た可能性が高いと考えている」
「けれど、こんな場所に通路があると知っていたとは思えませんが……」
「だが、ちょうどそれらしい足跡もある」
ウォルトが指さした先には、小さな動物の足跡と、それなりの大きさの人間の足跡があった。どうやら通路には、事前に灰が撒かれていたらしい。
「父さま、この通路は誰でも使えるのですか?」
「いいや。キャリントン侯爵家の血筋でないと、切石を押したところで動かせない。何せ、動かす際にはそれなりの魔力を注ぐ必要がある。魔石で誤魔化すことはできないだろう」
「それならば、なおのこと彼らにはできないのでは……」
「この際、なぜ動かせたのかは問題ではない。彼らが行きついた先が問題なのだ」
渋い顔をしたウォルトの表情に、アンナは胃がきりきりと痛くなった。
「この通路は、我が家が所有している小神殿の地下聖堂に繋がっている。もちろん、神殿側から屋敷に侵入されることはない。侯爵家の血筋、しかも家族として認められたものでなければ、入ることは不可能だ。侯爵家から出るよりも神殿側から入るほうが、さらに制約は厳しいものとなる」
なぜ彼らがこの通路から外へ出て行ったのか。その理由はわからない。けれど、自身を聖女として認めるように神殿に要求し、秋人を取り返そうとしているブライスが無関係とは思えなかった。
「……アンちゃん、ふたりとも神殿に行ったまま帰ってこなかったらどうしよう?」
大人同士の会話を黙って聞いていたエドワードが、不安に耐えきれなくなったかのように声を上げた。大きな瞳を潤ませ小刻みに震えているエドワードの姿に、アンナはことさら明るい声で答えてみせた。
「大丈夫よ。ちゃんとふたりとも連れて帰ってくるわ」
「アンちゃんが迎えに行くの?」
「だって、テッドたちはデザートの準備をしてくれていたのでしょう? だったら早めに用事を済ませてこなくちゃね。晩御飯が遅くなると、明日が大変になってしまうのだから」
片目をつぶり、指を立てて指揮者のように振ってみせる。
「え? アンちゃん、どうして、それを知ってるの?」
「だって、わたしはお母さんだもの。それに食いしん坊だから鼻が利くのよ。だから料理長を責めないであげてちょうだいね。料理長は一生懸命、秘密を守ろうとしていたのだから」
アンナが茶目っ気たっぷりに笑いかければ、先ほどまで泣いていたエドワードがつられて噴き出している。
「僕もね、早く一緒に食べたい。でもアンちゃん、今から行く場所は危なくないの?」
「大丈夫だ。ひとりで行かせるつもりは毛頭ない。息子にとって家族同然の友だちで、妻にとって弟同然の人間なのだ。父として夫として、協力するのは当然のことだろう?」
「ウォルトさま! いけません! 危険です!」
「危険だからこそ一緒に行くんだ。危ないとわかっていて、君だけを向かわせると思っているのか」
「そうだよ、アンちゃんは女の子なんだから!」
「テッド、私はもう女の子という年齢ではないのよ」
当然と言わんばかりの顔でウォルトが名乗りを上げ、エドワードもアンナの心配をしてくれる。その力強さと優しさに、涙が出そうになる。誰かに頼ることができるというのは、こんなにも安心できることなのか。
今まで何でもひとりですることに慣れていた。他人に期待しなければ、無駄に傷つくこともない。もやもやする気持ちは押し込めて、見ない振りをして過ごしていればいつの間にか何を考えていたのかだって思い出せなくなる。
それでいいと思っていたのに、キャリントン侯爵家に来てから、アンナの見る景色は見る間に色づいていった。その上なぜか秋人との関係性まで、随分と変わっているのだ。もう少しだけ頑張ってみれば、もしかしたらさらに何かが変わるのかもしれない。
ひとりならば呆然と立ち尽くしていただろう。けれど、ウォルトやエドワードが隣にいてくれると思うと、なんだってできそうな気がする。
結婚以来、すぐに周りに頼る癖がついてしまった。それなのに、それを弱さだと感じない。それどころか、昔よりもずっと幸福だと思えるのだ。そこで、きりりと何かを決意したような顔でエドワードが挙手した。
「父さま、僕も一緒に行きます!」
「それは駄目だ」
「どうして! 僕だって大事なふたりを助ける手伝いがしたいのに! 僕が邪魔になるから、置いていくんでしょう!」
エドワードがここまで自分の意見を主張することは珍しい。以前の彼ならば、自分の言いたいことがあってもウォルト相手にはなかなか言えない場面が多かった。ウォルトの威圧的な雰囲気があったことも事実だし、エドワードもいい子であることを無意識に自分に課していたのだろう。
けれど、今のエドワードは良い意味で素直に父親にぶつかっている。その成長を理解しているからこそ、ウォルトもまた落ち着いた声音で返事をしていた。
「エドワード。戦いで重要なのは、信頼できる仲間がいることだ。この屋敷の留守を、お前に任せたい。そして神殿からわたしたちが帰ってくる際に、お前がわたしたちを呼びよせるんだ。お前の中に流れる侯爵家の血が、必ず扉を開いてくれる。任されてくれるか」
「でも、どうやって?」
「お前とイーノック殿は、おそろいのクラバットピンを持っているだろう? そのクラバットピンの魔石は、偶然双子魔石に仕上がっていた。特性上、片方を壊せばもう片方も壊れるようになっている。それが合図だ。お前のクラバットピンの魔石が崩れたら、切石に魔力を注ぎなさい」
「それ、僕があちら側に引っ張られてしまわないの?」
「魔力を注いだ者の意志が反映されるようになっている。お前が強く念じることができれば、魔力の流れはお前の方に向かってくる」
こんな小さな子どもに頼むにはあまりにも荷が重すぎる内容ではないだろうか。けれど、ウォルトは当然のようにエドワードを信じた。もしかしたら自分は、エドワードのことを過度に子ども扱いしてしまっていたのかもしれない。信じて任せることもまた、健全な親子には必要なこと。大役を仰せつかったはずなのに、不思議なほど朗らかにエドワードは笑った。
「はい! 僕、ちゃんと呼びかけに応えられるように耳を澄ませておくから! アンちゃん、父さま、アッキーとマシューおじさんと一緒に、ちゃんと帰ってきてね!」
「もちろんよ。ちゃんと帰ってくるわ」
アンナとエドワードは小指を絡ませてから、指切りげんまんと声をそろえて歌う。エドワードのことを部屋に控えていたジムに託し、アンナとウォルトは通路の中へもぐりこむ。すぐに通路の入り口は閉じ、代わりに通路の両脇がぼんやりと明るくなった。




