(21)
「そう考えるのが普通だ。だが、あれは我々の予想をはるかに超えてきた。なんと自分は神託を受けて、神の秘薬を作り出すことに成功したという主張を始めたそうだ。そして、その秘薬を神殿に納める代わりに、自分に聖女の称号を与えるように要求しているらしい」
「聖女?」
「いやいや、あれが聖女とか無理があるでしょ」
ないないと言わんばかりに片手をひらひらと動かす秋人の隣で、アンナは耳慣れない言葉に首を傾げる。加護の力についてもアンナはほとんど聞いたことがなかったが、聖女などという存在がいるという話も初耳だ。
確かに、魔力のあるファンタジーな世界なのだから聖女やら勇者がいても不思議ではないのだろう。そんなアンナに、ウォルトは怪訝そうな眼差しを向けていた。やはりこの世界の常識や知識に自分は欠けているようだ。深窓のご令嬢とは真逆の理由、貴族らしい教育をまともに受けていない事実をつきつけられた気がして、アンナはうつむきそうになった。
「君は聖女について何も知らないのか」
「申し訳ございません」
「いや、君の家庭環境を考えれば神殿に関する話ももっと踏み込んでおくべきだった。だが、そうか……」
もしや貴族というものは、定期的な拝殿などが義務付けられていたりするのだろうか。自分のこれまでの記憶を必死に辿ってはみるが、いかんせん使用人以下の暮らしをしてきたアンナにはやはり何もわからない。
「では、簡単に説明するが。もともと聖女というのは、稀人を指す言葉だ。稀人というのは、この国にはない知識を持つ稀有な人々のことだ。東国の王族は稀人の子孫だという説もあるが、詳細は不明だ。王族は何か知っているのかもしれないが……。まあ、おそらくは眉唾だろう。自分たちの神秘性を高めるための、建国神話のひとつに過ぎないとわたしは考えている」
東国というのは大豆の輸入の相手国だ。閉鎖的で、伝手がなくては商談もできない。そもそも言葉が違い過ぎて、話が通じないらしい。
稀人というのは、まさか異世界人ということなのだろうか。この世界での異世界人の扱いが不明瞭なためぼんやりとした不安が募る。加護の件といい、稀人の件といい、このまま話を聞いていてもよいのだろうか。妙な居心地の悪さを感じつつ、アンナは神妙にうなずいた。秋人もまた、珍しく茶々を入れることなく耳を傾けている。
「とはいえ、それは昔の話だ。今の神殿が言う『聖女』というのは、加護持ちの人間のことになる。まあ加護が与えられる仕組みは判明していないし、加護を持っていても貴族では名乗り出ないことも多い。貴族令嬢ならなおさらだ」
思わず息を呑んだ。加護が与えられる仕組みは判明していない? あの時避暑地の神殿で話をした神官長は、加護とはこちらの世界へと渡ってきた方の中でも、選ばれた者だけに与えられた贈り物だと言っていた。今の状況では、自分の前世の話をウォルトに話してよいのか判断がつかない。
「そういうわけで、今、聖女の席は空いている。神殿の威光を高めたい神官に利用される可能性はなくはないのだ」
「へ? 聖女に選ばれることは名誉なことじゃないのか? それなのに名乗り出ない?」
「聖女は、清貧を求められる。真綿に包まれて育ってきたご令嬢には耐えられない。そして高位貴族であればあるほど、よそからの口出しを嫌う。聖女認定されたところで、厄介事が増えるだけだ」
小神殿を所有しているわりに、ウォルトは神殿に対して何やら思うところがあるらしい。
「では、ブライスは聖女となることで何をしようとしているのでしょうか。私が言うのもなんですが、清貧からは程遠い場所にいる子なのですが……」
アンナの隣で腕組みをしつつ秋人が唸り声をあげる。ウォルトがちらりと横目で見た。
「聖女と認定されれば、ある種の特権を得ることになる。孤児であろうが貧しい平民の娘であろうが、王族に謁見することが可能となるのだ」
「ですが、王族とお近づきになったところで……」
「そこで見初められれば、側室に召し上げられることも可能だ。もちろん、今までの評判から考えて、それがブライス嬢にも許されるかどうかはわからない。だが、側室ではなく妾ならば? それも公妾であれば気兼ねする必要はないだろうな」
「め、妾?」
思わずアンナは秋人の方を見るが、彼は「ふーん、公妾ねえ。あれか、世界史の資料集で出てきた奴だ」などと軽くうなずいている。ひとりで慌てていたアンナがただ恥ずかしい。確かに公妾となるのであれば既婚である必要があり、夫の存在は不可欠だ。神殿の後ろ盾を得た聖女が妾というのは納得しがたいものがあるが、その辺りは都合の良い解釈が可能なのかもしれない。今度は秋人が口を開いた。
「それで、その神の秘薬とやらは本当に効果があるのか? 適当な水を飲ませて、役者に演技をさせてるんじゃないだろうな?」
「それは十分にありえそうだが、実際に彼女が王宮騎士団の騎士たちを救ったというのは事実らしい」
そこでウォルトは、王宮騎士団の一件について説明を始めた。巡回中の騎士や訓練中の騎士たちが突然昏睡状態に陥ったり、高熱や嘔吐、頭痛などに苦しむ事例が頻出しているのだという。しばらく休めば体調は回復するが、そのまま急死してしまう者もいるらしい。この謎の病については神殿の神官の癒しもなかなか効果がなく、原因不明の夏の眠り病として恐れられているのだとか。
「そんな時に、ブライス嬢が神殿経由で王宮騎士に使ってほしいと願い出たものだがある。それが、彼女が持ってきた神の秘薬だ。何の変哲もない水は、けれど確かに騎士たちの命を救ったのだそうだ」
「あの子に魔法薬の心得などありません。そもそも薬草どころか、魔法薬を作るための道具ひとつ我が家では揃えることができなかったはずです。それはただの水だったのではありませんか?」
「効果に驚いた薬師がその魔法薬を口にしたらしい。不味い水としか言いようのない味だったそうだ。しかし、倒れた騎士たちはこれほどまでに美味な水を飲んだことはないとまで言っていたのだとか」
「……悪い、それ、俺のせいだわ」
秋人の言葉に、アンナとウォルトは顔を見合わせる。それはふたりにとってあまりにも予想外のことだった。
「詳しく説明してもらえるだろうか」
「詳しくって言っても、たいしたことじゃないんだけど……。俺、高熱を出してぶっ倒れていたらしくて。意識を取り戻した時、もう喉がからからでさ。それで具合が悪いときに飲むものと言えば決まってるだろって思ってちょっと作ってみたら、妙にあの女のテンションが上がったというか……」
「あなたが以前に神殿に連れて行かれたというのは、この件のことだったのね」
「つまり、その神の秘薬を作ったのはブライス嬢ではなく、君だというのだな」
「魔法薬じゃないって。生活の知恵とか、おばあちゃんの知恵袋的なものだから!」
「証明はできるか? 彼女は、王室に現品を献上した後、手持ちの分はなくなったが、愛する婚約者がそばにいてくれたなら、神力が満ちてまた同じものを作れるだろうと言っているそうだ」
「それ、俺に作らせる気じゃん! だから別にそう大したものじゃないから」
「ならば、レシピを書き出してもらおうか。もちろん、君の監督のもとでこの後作成するからそのつもりで。侯爵家でも私設の騎士団はある。実際に使って確かめてみればいい」
「へいへい」
「……記憶を失っているというのに、魔法薬の知識があるとはおかしなものだと思っていたが、親族に口伝で伝わっているものなのか。それならば、わずかなほころびから思い出すこともありうると?」
「いや、ほんとたまたま思い出しただけだから!」
使用人にウォルトが指示を出している間に、アンナは秋人にささやいた。
「もう少し気を付けてちょうだい。聞いていて、はらはらしたわ」
「いやあ、まさか小学校の自由研究が役に立つとは思わなかったわ」
「役に立ちすぎた結果、とんでもないことに巻き込まれていると思うけれど?」
「それはそう」
アンナは痛み始めた頭をゆっくりと押さえた。現状、秋人を取り巻く状況は厳しいものがある。最悪の場合、ブライスは聖女の称号を得て、王宮で公妾という立場に就くだろう。その際、秋人はブライスの公妾の立場を維持するために、お飾りの夫となるはずだ。そして下手をすれば、経口補水液以外に有益な情報を持っていないか、探られることになるだろう。今後のことを考えて、眉を寄せたアンナの肩に、ウォルトが安心させるようにそっと手を置いた。
「この魔法薬がどれほどの効能があるかどうかは別として、我がキャリントン侯爵家ではブライス嬢が聖女の称号を得ることには反対だ。そして、イーノック殿がブライス嬢の元に戻るのも賛成できない。正直、嫌な予感しかしないという漠然としたものでは、彼を我が家に留めておくことは難しいだろう。いっそ、彼が我が家の使用人たちと同じように魔力契約をすれば、連れ去られることはなくなる。代わりに彼はわたしと敵対した際に、屋敷の外への逃亡が敵わなくなるが……」
「安全っぽいけど、極端すぎる! 敵対するつもりはないけど、ちょっと怖い! やっぱりあれだな、侯爵さま、俺のこと嫌いだな?」
「好かれる要素がどこにあると?」
「きいいいいいいいいい、本当にいけすかねえ」
「ふたりとも落ち着いてください」
最終目標が日本に帰るという秋人に対し、身の安全を図るためとはいえ内容に偏った主従契約を結ばせるわけにはいかないだろう。ひとまず手紙の返事としては、要求は受け入れられないという形で突っぱねてもらうことに決定し、今後の方針については明日以降に話し合いを行うこととなった。




