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その日の昼食は、秋人とエドワードの共同作業によるものだった。以前、エドワードはアンナや料理人の手助けを借りつつマルベリージャムを作ったのだが、今回は秋人と一緒にブラックベリージャムを作ったらしい。ふたりともしっかりと指先を黒ずんだ紫色に染めた状態で、得意げに胸を張っていた。
ちなみにおいしいブラックベリーは庭の畑で収穫されたらしく、畑の番をしているマシューおじさんもなんとも誇らしげな顔をしている。手だけではなく、口の周りまで赤紫色に汚れているところは、ご愛敬といったところか。
「今回のパンケーキ、いつもと違うところがあるんだけれど、父さま、わかる?」
「食感がふわふわしているような……。気のせいか?」
「正解です。先日、ウォルトさまが探してくださった大豆が届いたでしょう。あの大豆から作った豆乳を入れているんですよ」
「ああ、あの牛乳に似ている液体だな。豆から牛乳のようなものが作れるなんて本当に面白い。しかもあれひとつで、こんなに仕上がりが変わるとは。あとは『にがり』とやらが手に入れば、豆腐なるものも作れるのだろう?」
「おそらくは。やはり海辺でないとなかなか難しいようでして……」
「なるほど。だが一歩一歩着実に前を進んでいる。とても喜ばしいことだ」
領内どころか、国内での流通がなかった大豆だが、とある商会との繋がりにより手に入れることが可能となっていた。とはいえこの世界では血液検査もできず、たとえ血液検査をしてみたところでどれくらいのアレルギー反応が出るかというのは実際に食べてみなくてはわからないということも多い。大豆が手に入って、即解決という問題でもない。
ただでさえ重篤なアレルギーを持っているエドワードに、確認作業をさせることはためらわれた。ところがエドワードの強い希望で、食物経口負荷試験もどきを行うことになったのだ。ウォルトもまたエドワードの意見に賛同したため、最高級の回復薬を用意し、別室に医師も控えさせた状態で実験を行うことになった。もろもろあって無事に大豆はエドワードにとって安全な食物として認定されたのだが、エドワードが体調を崩さなかったことがアンナにとっては何より大事なことだった。
この結果をおおいに喜んだウォルトのもと、今後は作物の継続的な輸入と流通に着手する予定なのである。最終的に、領内での栽培を目指したいところだとキャリントン侯爵家の当主は、満足気に微笑んでいた。
さてそんなご当主さまはといえば、なんとも感心したようにパンケーキを口に運んでいた。前回、エドワードが一生懸命作ったブルーベリージャムは、彼の実母によって台無しにされてしまっている。そのことが妙に気にかかり、アンナはここしばらくエドワードにジャム作りを提案することをためらっていた。パンケーキが軽食として上がりにくくなったのも同じ理由だ。
けれど今回、エドワードは秋人とふたりでこのメニューを選んでいた。作りやすい、おいしいという理由が主なのかもしれない。それでもアンナは密かに安堵していた。子どもたちは自分の知らないところで成長し、彼らなりに乗り越えているのかもしれない。
「ねえ、アンちゃん! アンちゃんも食べて! おいしい? ねえ、おいしい?」
「ええ、とってもおいしいわ」
「俺が焼いたパンケーキも見てくれ。この厚み、焼き色、まさに絵本に出てくるパンケーキそのものだろ?」
「本当に、とても懐かしくなるわね」
「ねえ、それってどういうお話? 聞かせて! 聞かせて!」
「俺が話してやるよ。とある森には、二匹の野ねずみが住んでいて……」
お腹いっぱいになったところでたっぷりと異世界のお話を聞かせてもらったせいだろうか、エドワードが椅子の上でこっくりこっくりと舟をこぎはじめた。そろそろお茶の時間を切り上げようかとアンナがウォルトに問いかけようとした時、ジムが困ったような顔で近づいてきた。
先ほど手紙が届いたそうなのだが、その相手が今すぐに返信するようにと言って聞かないらしい。今をときめくキャリントン侯爵家の当主相手に、即時の返信を求めるなどよほどの相手なのだろうか。
自分や秋人が内容を耳にしてもよいのだろうか。戸惑いつつ、エドワードを抱きかかえ、秋人を少し離れた場所に連れ出そうとしていたアンナだったが、ウォルトはアンナに声をかけてきた。その間にジムは、アンナの腕からエドワードを受け取る。戸惑うアンナにウォルトが手紙を差し出した。
「君に手紙が届いている」
「手紙……? 一体どなたからですか?」
「君の実家……正確には、異母妹であるブライス嬢からだ」
「今さら何の用でしょうか」
アンナは思い切り眉根を寄せた。実家の人間が、アンナと繋がりを持とうとする理由がわからなかったのだ。
もともとアンナの異母妹ブライスは、アンナの名を騙り社交界で傍若無人な振る舞いをしてきている。アンナの名前は、既に阿婆擦れの代名詞として定着しているのだ。それこそ、貴族の各家門では最近生まれた女児の名づけから、「アンナ」という名前を避けるくらいには嫌われている。
アンナの名誉を地に落とすことが目的だったのであれば、その目論見は完全に成功した。ブライスも十分に火遊びを楽しんだことだし、今頃は深窓の令嬢として初々しく茶会に参加しているに違いない。猫の被り方にも長けている彼女のことだ、かつらをかぶり、露出度の高いドレスで夜会に頻繁に参加していたなんて、誰にも悟らせないだろう。
ここまで利用されたアンナには、もう旨味が残っていない。お飾りの妻なんぞでは、実家に人脈や資金を引き出すこともできないのだ。だから、キャリントン侯爵家に嫁いだ時点で、実家との縁は切れていると認識していた。この婚姻は、両家の縁を繋ぐための政略結婚ですらなかったのだから。それにもかかわらず、なぜアンナ宛に手紙を送ってきたのだろう。
「侯爵さまがいろいろ根回ししたからじゃね。そのせいで、あの馬鹿女を取り巻く状況が悪い方向に変化したんだろ。どうせ、俺が神殿に保護される前からやってたんじゃないの。効果がてきめんに出てきたのが最近ってだけでさ」
「え? ウォルトさまが根回しを? 一体なぜ?」
「いや、なんでそこでなぜって思うんだよ。普通に当然の行動だろうが」
きっぱりと言い切る秋人の言葉に、アンナはわずかに首を傾げた。
「この男が、自分の奥さんの不名誉な噂を放置するわけないだろ」
「ウォルトさまのことをこの男なんて呼んではいけません! 確かに私の評判は夫であるウォルトさまの評判にかかわることですものね。お手数をおかけして申し訳ありません」
「いや、わたしはそういうつもりで行動したのではなく」
「ところかまわず惚気話を披露しただけだったりしてな。どこまで意図的にやっているかは知らないけど。ここだけの話ってやつはあっという間に広がるもんだからさ」
「まあ、さすがは閣下ですね!」
すっかり感心していたせいか、つい以前の呼び名が口を吐く。やり手の侯爵さまは、わざわざサクラなどを用意しなくても簡単に情報操作を行ってしまえるらしい。なるほどとうなずくアンナの前で、ウォルトは妙にバツが悪そうに頭を抱えていた。
「それにしても、ブライスが私に連絡をとろうと思うくらい流れが変わったなんて……」
「亡き妻一筋だった侯爵の心を射止めた悪女。けれど彼女は悪女どころか、継子に懐かれるほどの善人である。実は彼女は家族から虐げられていた気の毒な令嬢だったのだ、なんてゴシップ好きな連中には格好のネタだろうからな」
「だからあなたは、一体どこでそんなことを学んできているの……」
「ばあちゃん」
「はあ……」
秋人は、にやりと口元を器用に片方だけ吊り上げてみせた。けれど彼の立場的には、笑ってばかりなどいられない。何せ彼は、いまだ異母妹の婚約者なのである。このまま婚約を解消することができなければ、醜聞まみれのブライスたちを引き受けなければならなくなってしまうということを理解しているのだろうか。
「それで彼女は、さっさとイーノックと結婚して領地に引っ込むために彼を返せと言っているのですか?」
「おい、マジかよ! まだ諦めてないとか、執念深すぎだろ。だいたい、なんでここにいるってバレてんだよ。貴族、怖すぎ」
「貴族の婚約というのは、契約だから……」
「そんなあ」
しかし、侯爵は首を横に振った。
「君の異母妹は、慎ましい生活をするつもりはこれっぽっちもないようだよ。もっととんでもないことを考えている」
「もうこれ以上、とんでもない事態など起こりえないと思うのですが……」
恐る恐る尋ねたアンナに、ウォルトはそっと首を横に振った。




