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【書籍化予定】継母になった嫌われ令嬢です。お飾りの妻のはずが溺愛だなんて、どういうことですか?  作者: 石河 翠
第二章

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 何か思うところがあったのか、秋人はしばらく無言になった。アンナもそこで無理に声をかけようとは思っていない。ふたりはその後、黙々と野菜を刻んだ。なにせ今彼らが作っているのは、ラタトゥイユなのだ。刻まれるのを待っている夏野菜は山のようにある。今夜のメインは鴨のローストだが、それは初心者である秋人には少々ハードルが高いので料理長にお願いしてあった。


「ラタトゥイユって、トマトのやつじゃん……」

「あら、生のトマトじゃなかったら平気なんじゃなかったの?」

「だから、俺が好きなのはトマトケチャップなんだってば」

「もう、仕方がないわね。今回は、白いラタトゥイユにしましょうか」

「白い?」

「トマトの赤がないから、白いラタトゥイユなのよ。水分が足りないから、白ワインを足せばいいわ」


 適当な大きさに切った野菜を鍋に入れて火にかけている間に、バゲットに塗るためのタプナードを作る。オリーブ、アンチョビ、にんにく、オリーブオイルをすり鉢に入れ、なめらかになるまですりつぶすのだ。力を加えれば、食欲をそそる香りが辺り一面に立ち込める。ぽつりと秋人がつぶやいた。


「……俺、大事にされてたんだな」

「急にどうしたの? トマトを抜いてもらったのがそんなに嬉しかった?」

「違うし。ってか、トマト食べられないわけじゃないし」

「そうなの? じゃあ次は普通のラタトゥイユにしましょうね」

「次も白いのにして。って、俺が言いたかったのはそういうことじゃなくて。意外となんにも覚えていないんだなって思ってさ」


 そんなことを言われて、逆にアンナは戸惑った。だって、アンナにしてみれば子どもたちに真剣に向き合うのは、ごくごく当然のことだったからだ。


「赤ちゃんの頃からの記憶を全部持っていたら、きっと大変よ」

「それは、そうだろうけど。あんなに手間暇かけて育ててもらっていたのに。何ひとつ覚えていないなんて」

「別に覚えていてほしくてあなたを育てたわけではないのよ。気にする必要なんてないわ」

「でも、小さい頃のことを覚えていたら、俺は変な風に勘違いしなくて済んだと思う……」

「変な勘違い?」


 秋人が逡巡するように、すり鉢の中ですりこぎをこねくり回している。


「ずっと、俺よりもエドワードのことが可愛いんだと思ってた。あいつ、美形だし、素直だし、何より俺と違って小さいし」

「今のあなたはイーノックの身体の中に入っているのだから、それはイーノックへの批判にならないかしら?」

「どっちにしろ、俺がエドワードよりでかいのはかわんないじゃん」


 ふてくされる秋人の前で、アンナがちょうど持っていたトングを指揮棒のように振ってみせた。


「小さくても、大きくても、いつまで経っても我が子は可愛いものよ。そうね、ひとつクイズを出しましょう。どうして赤ちゃんって可愛いんだと思う?」

「子どもの生存戦略だって聞いたけど? ぽやんとした幼い顔立ちで、守りたいって相手の庇護欲をそそるようにしているって」

「ええ。まさしくその通りよ。それは確かに事実なの。でもね、私はこうも思うのよ。我が子の、もう過ぎ去ってしまった頃を思い出すからこそ、血が繋がっていない子どもたちのことも可愛いんだってね」

「俺の、小さかった頃?」

「同じ時期のあなたはああだった、こうだった。こんなところが似ている、こんなところが違う。比べて、思い出して、とても懐かしいものよ。もちろん、子どもたちはみんな可愛いわ。それでもわたしは、小さいあなたの記憶があるからこそ、エドワードのことも同じように大切にしたくなるの」

「アレルギーやらなんやらで、手間のかかる子どもだったのに?」

「ええ。だからこそ、今ここで元気に過ごしているあなたを見られて嬉しいわ」

「俺が元気だと嬉しいの……?」

「当たり前じゃない。何を言っているの?」


 不思議そうに首を傾げるアンナに、秋人は戸惑ったような、けれどどこかはにかんだ笑顔を浮かべた。それからしばらく。出来上がった料理が並べられた食卓を見て、エドワードが歓声を上げた。


「わあ、これとっても美味しい!」

「それ、白いラタトゥイユって言うんだってさ」

「え、ラタトウィユなの? トマト入ってないよ?」

「トマトないから、白いってつくらしい」

「そうなんだあ。アッキー、僕のためにトマト抜きで作ってくれたの?」

「別に。ただ、トマトがないやつを食べたかっただけだから」

「そうなんだ。でも、とっても嬉しい。アッキー、ありがとう!」

「……ああ。今日は、あんまり優しくできなくて悪かったな」

「別にいいよお。だって、男と男の勝負だもんね。ちょっと泣いちゃったけど、僕、次こそは負けないんだから!」


 するりと仲直りしたふたりの会話を、アンナは笑顔で見守っていた。子ども同士の他愛もない会話は穏やかで、実に耳に心地いい。このまま大人は食事に徹しようと思っていたが、エドワードが目ざとくとあるものを見つけてしまった。


「アンちゃん、その手はどうしたの?」

「なんでもないのよ」

「なんでもないなら、包帯なんか巻いてないでしょ」

「……ちょっと、うっかりしていたの。料理中に手がすべってしまって。でも、すぐに傷口を水でよくすすいだから大丈夫よ。ジムにお願いをして、切り傷によく効く軟膏も用意してもらったことだし」


 アンナにしてみれば、絆創膏があればいいなと思ってジムに声をかけたのだ。それがなぜかすっかり大事になってしまった。ジムに傷のことを相談しないほうがよかったと頭を抱えたところで後の祭りだ。その上、ウォルトまで会話に割り込んできた。


「いや、火傷は跡が残ると厄介だ。今のうちに主治医を呼んで」

「大丈夫です! もうそんなにご心配なら、傷をお見せしますから!」


 食事中に包帯を解くことには抵抗があったが、わざわざこんな小さな傷のために医師を呼ばれてはかなわない。異世界の貴重なお医者さまの時間をこんなしょうもないことで浪費するわけにはいかないのである。傷の確認のためとはいえ、ためらいなく手をつかまれたことが妙に気恥ずかしい。


「あら?」


 けれど、不思議なことに包帯をとったアンナの指先には、切り傷などどこにも見当たらなかったのである。思ったよりも傷が小さかったのだとウォルトとエドワードは安心したようだったが、包帯を解いたアンナ自身は密かに首を傾げていた。


 確かに前世の記憶からすれば、それほど大騒ぎするような傷ではなかったはずだ。それでも、何の傷跡もないというのは奇妙なことだった。わりとざっくりと切ったことは確かなのだ。自分の指先から流れ落ちた血の赤い色は、鮮明に記憶している。


「もしかしてあれかな。よく切れる刀で大根を斬ると、斬った後でも元通りくっつくってやつじゃないの」


 秋人のツッコミに密かに首を傾げる。いくらキャリントン侯爵家の包丁とはいえ、さすがにそれほどまでの名刀っぷりを披露することはないのではなかろうか。


「アンナ? そんなに深く切っていたのか?」

「いいえ、まさか。ほら、傷はもう見えないでしょう? 念のため、手当してもらっていただけですので」


 慌てて微笑み、元気いっぱいだとアピールしてみせる。一緒にアンナの怪我の状態を確認した秋人は、何か気にかかることがあったのかすっかり黙りこくってしまったのだった。


 そうしてキャリントン侯爵家での食事作りには、料理人とアンナ、ウォルトに加えて、秋人が参加するようになった。仕事が忙しく、毎日参加することが難しいウォルトに比べて、時間もあり、かつ学校の家庭科の授業で多少なりとも料理の心得のある秋人は習得が早い。あるいは若さの問題もあるのかもしれないが、みるみるうちに腕前を上げていく様子にはウォルトさえも舌を巻くばかりだった。


 そして秋人が料理作りに参加することが当然になり、お腹が空いたエドワードが「今日のご飯はなあに?」と秋人にまとわりつくのがキャリントン侯爵家の日常になった頃。アンナ宛に一通の手紙が送られてきた。それはアンナの異母妹であり、イーノックの婚約者であるブライスからの手紙だったのである。

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