(17)
「こんなところにいたのね」
糖分の摂取をしっかりと行ったアンナは、気持ちを切り替えて秋人を探しに出かけた。
キャリントン侯爵家は広い屋敷だが、ひとりで静かに過ごすことのできる場所は意外と少ない。屋敷内で秋人の姿を見かけなかったということであれば、候補に挙がる場所など最初から限られているのである。
屋敷から庭に出て、目の前の木立を抜けていくとやがて大きな池が見えてくる。その池の向こう岸の木陰には、夏でも心地よいガゼボが設置されていた。随分と長い間ここにいたのだろう。途方に暮れた様子の秋人が、ぼんやりと寝転がっている。
「気分転換に、美味しいお菓子はいかが?」
「一体何の用? 放っておいてほしいんだけど?」
「あら、できたてのポテトチップスなのに? 市販のスナック菓子とはまた違って結構おいしいのよ。普段は料理の付け合わせに出てくるものだけれど、今日はおやつに出してあげるわ」
「何、この世界、ポテトチップスがあるの? 食べる! 起きるから待って!」
「なんと、今なら甘いソーダもついてきちゃうの」
「え、なんで? そんなジュース、見たことないんだけど!」
「炭酸水は存在していても、もともとは健康食品的な立ち位置だったみたい。お酒で割るのが流行り始めて、最近ではシロップを割るのに使われているの。まだ割高だから、あの家では出てこなかったでしょうね」
揚げたてのポテトチップスと梅シロップソーダにつられて、秋人ががばりと起き上がる。そのまま勢いよくグラスに口をつけると、興奮したように叫んだ。
「これ、うちの梅シロップじゃん!」
「ふふふ、そっくりでしょ。でもね、それは梅じゃないの。こちらでは同じ梅が手に入らなかったから、似たような果物で作っているのよ。手順はほぼ同じだから、助かったわ」
「え、めっちゃ美味しい。すごい、お代わりちょうだい」
「お腹がちゃぷちゃぷになっちゃうから、あと一杯だけね」
夢中になっておやつを頬張っている姿をほほえましく思っていると、日本を彷彿とさせる食べ物で機嫌が直ったのか、秋人がアンナに話しかけてきた。
「あのさ、地下室と庭の一番奥になんか隠し金庫でもあんの?」
「え、急にどうしたの?」
「いや、部屋にいるのも嫌だったから、屋敷の中をほっつき歩いていたんだけど、その二か所に行くのはマシューおじさんに邪魔された。珍しく本気で威嚇されてさ」
「あらまあ。ちなみにマシューおじさんは今どこに?」
「え、おじさんならそこに……。って、いないな。どこに行ったんだ?」
「野菜畑に戻ったんじゃないかしら。マシューおじさんは、畑の番人みたいなものだから」
「番人の癖につまみ食いしすぎだろ」
「いいのよ。おじさんは、ちゃんとひとつの野菜を最後まで食べきってくれるから」
「なんだそれ」
首を傾げる秋人の隣で、アンナもまた密かに首を傾げていた。この屋敷で立ち入りが制限されるような場所をアンナは知らないのだ。だが、考えを巡らせているうちにあることを思い出した。
あの日以来、耳にすることがなくなったエドワードの実母のこと。国をも崩壊させかねない「聖者の指輪」は、今、どうなっているのだろうか。とはいえ、そんな危険な代物に秋人をかかわらせるわけにはいかない。アンナは全力で知らない振りを貫くことにした。
「それで、なんか秘密があるの?」
「地下なら、高級ワインが保管されているはずよ。うっかり瓶を割ったなら、一生このお屋敷でタダ働きになるでしょうね」
「まじやべえじゃん! 勘弁してくれよ。じゃあ、庭は? 庭にはワインはないだろ?」
「裏庭の一番奥なら、肥料を発酵させているんじゃないかしら……。ジムを呼んで、確認してみる?」
「え、わ、いい! もういい! 絶対行かない!」
さすがに厩舎の裏ならばともかく、屋敷のすぐ裏庭にたい肥が置かれているとは思えないが、マシューおじさんが止めるのならば無理をしていく必要はないのではないだろうか。マシューおじさんは時々、アンナたちの知らないことを知っているように見えるのだ。
アンナの回答に、秋人が慌てて首を横に振った。たい肥の話はもう勘弁だと言うように、慌てて自分から話題を変えてくる。
「それで、チビは?」
「テッドなら泣き疲れて眠ってしまったわ。今は、ウォルトさまが代わりに見てくださっているの」
「あいつ、寝起きが悪すぎるんだよなあ。昼寝が終わる時間帯に、不用意に近づくのはやめておくわ」
「……それで、あなたは何か言うべきことがあるんじゃないの?」
アンナの問いかけに、秋人は居心地悪そうに目をそらした。
「別に俺は、何も悪いことは言ってないから。俺が言ったのは、全部事実だし」
「事実をことさらに並べ立てたところで、誰もが幸せになれるわけではないでしょう? 嘘をつく必要はないけれど、情報の伝え方についてはもう少し考えてほしいの。配慮があるかないかで、同じことを言っているようでも全然違うものになるのよ」
「……じゃあ、おふくろは俺とエドワードの扱いの違いについてどう思うわけ? おふくろから見たら俺だって子どもだろ。もう少し優しくしてくれてもいいんじゃない?」
唇をとがらせながら文句を言っているのは、小さい頃からの秋人の癖だ。アンナは懐かしく思いつつも、静かに首を振った。
「あなたもエドワードも守るべき子どもではあるけれど、あなたはもう高校生。日本では十八歳で成人扱いになるのでしょう? それならばちゃんとそれまでに、大人としての振る舞いを身につけなくっちゃ。子どもだからって、永遠になんでも許されるわけではないの」
「つまり、あいつと違って小さくないから、俺はどうでもいいってこと?」
「全然違います。同じ子どもでも、求められる振る舞いの基準は年齢によって変わるってだけ。親から見れば子どもはいつまでも子どもだけれどね」
アンナの言葉に、なぜか秋人が考え込んだ。とはいえ、意固地になって耳を塞いだり、話を流したりしているような雰囲気は受けなかったので、アンナは話を続ける。
「でも、子どものうちに失敗しておけば、大人になってから取り返しのつかないことを仕出かさずに済むの。そしてある程度の失敗は、やり直しがきく場合が多いのよ。もちろん、何でも許されるというわけではないから気を付ける必要はあるけれどね」
「ひっどい。差別だ」
「差別じゃないの。区別なの。私はちゃんと公平になるように扱っているつもりよ」
人間はわがままな生き物だ。平等を望むと言いながら、その実誰もが求めているのは自分だけが特別扱いされること。だからアンナとて、どんな言葉をかければ階段で座り込んで不貞腐れていた秋人が満足するかはわかっていたのだ。おあつらえ向きにエドワードはこの場所にはおらず、いるのはただ秋人だけ。あなたが一番大切よ、そう言ってあげるだけでいい。簡単なことだ。
それでも、アンナは適当に口先だけで解決を図ろうとはしなかった。異世界に転生したアンナにとって、秋人に再び出会うことなど奇跡としか言いようがない。ウォルトに進められたように、少しずつ話をして、お互いの気持ちを伝えあうべきなのだ。だからこそアンナは、ここであえて明るい声を出した。
「今から、一緒に食事の準備をしない? 今日の夕食は私たちが用意するの」
「はあ? なんで俺が」
「もっと話をするべきだと思ったからよ。私も、あなたも」
「へ? 俺にエドワードに謝れって言ってるんじゃないのか?」
「あなたはわざとエドワードを泣かせたわけではないでしょう。もちろん先ほども言った通り、言い方には気を付けてほしいとは思うけれど」
予想とは異なる提案に、秋人は目を大きく瞬かせた。
「……謝れって言われると思ってた」
「一緒に暮らしていた頃、そんな風に頭ごなしに叱っていたつもりはないのだけれど……。余裕のないお母さんでごめんなさいね」
「えっと……、うん……、なんだろ。なんて言えばいいのかな。ばあちゃんは、どんな時でも他人が悪いっていうひとだったからさ。また怒られるんだって思ってた」
春香の姑は大層気難しい性格をしていた。姑に対して言いたいことはたくさんあるけれど、今、口にするべきはここにいないひとの悪口ではないだろう。
「あなたも大変だったのよね。料理をしながら、いろいろとおしゃべりをしましょう?」
「おふくろのことも、聞いてもいいの?」
「話しにくいこともあるでしょうから、厨房ではわたしと秋人だけにしてもらうようにお願いしておきましょう。」
「……そんなことできるの?」
「もちろん、完全にふたりきりというのは無理よ。今、このやりとりだってどこからか見られているでしょうし。それでも、内緒話が聞こえない程度には離れてくれるわ。だから声の大きさには気を付けて。『日本』だとか『異世界』、『転移』や『転生』みたいな単語は控えてちょうだいね」
片目を閉じて唇の前で指を立ててみれば、秋人はとんとんとこめかみを叩く。
「どうしたの?」
「いや、あの侯爵さまが許してくれるかなと思ってさ」
「あなたとちゃんと話すように言ってくれたのは、ウォルトさまなのよ。せっかくの機会をつぶすはずがないでしょう?」
「そりゃあまあ、そうだろうけどさあ。でも、俺たちの関係性、元婚約者ってことしか知らないんじゃなかったっけ? 向こうの世界――日本――のこととか」
「ええ。前世のことはまだ……。ウォルトさま相手に秘密を持っていることは、あまりよくはないと思っているのだけれど……」
「ああ、わかってないんだ」
「なんのこと?」
「いいや、こっちの話。ま、俺は、機会があれば前世のことは話しておいたほうがいいと思うけどね。秘密は女性を綺麗にするなんて聞くけれど、これこそ時と場合によるって感じだし。まあ俺の身の安全を確保しつつ、異世界調理実習とまいりますか」
なぜか急にやる気に満ちた秋人は、にんまりと口角をあげてうなずいてみせた。




