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もともと秋人に懐いていたエドワードだが、トマトの件ですっかり仲間認定となったらしい。どこへ行くにもついてくるエドワードに、秋人もまんざらではなさそうだ。兄弟のいないエドワードと末っ子長男な秋人が仲良くなっていることに、アンナは密かに感心していた。
そういえばとアンナは頬に手を当てる。かつてウォルトは、エドワードがアンナのことを「アンちゃん」と呼んでいるのを、勝手に「兄ちゃん」だと勘違いし、側仕えとして召し上げようとしていたのだった。やはり同じ年頃の同性の友人というのは、子どもの成長に大きな影響を与える、大切な存在なのだろう。
そしてアンナにとっては意外なことに、秋人はエドワードの相手が上手だった。子どもというものは、なかなかに難しい生き物だ。あからさまに手を抜かれて勝ちを譲られるのは許せないが、かといって完膚なきまでに叩きのめされるとひっくり返ってへそを曲げてしまう。同じくらいのレベルで本気で競い合うことを求められるのだから、手加減が悩ましいのだ。そんな中で、秋人はわりと本気でエドワードと競争していた。まあ実際のところ、偶然の賜物という部分も大きかったのだが。
エドワードはキャリントン侯爵家の嫡男だ。知識は彼を守るための武器になることを考えれば、勉学をおろそかにすることなど許されない。とはいえ、ひとりでの勉強というのは、どうしても張り合いがないもの。どれだけよくできたところで、実感には乏しい。
そんなエドワードの元にやってきたのが、秋人だ。いつ日本に帰ることができるのかもわからない以上、秋人もまたこちらの世界の教養を知っておくべきである。少なくとも、この国の常識を知らないのは致命的だ。とはいえ、普通に声かけをしたところで秋人が反発するだろうことはアンナには経験済みだ。だからこそ、競う相手がすぐそばにいるというのはありがたいことなのである。
「計算は俺が断トツだな!」
「でもアッキー、単語の綴りは全然書けないでしょ」
「ピアノは俺の方が得意だし!」
「テーブルマナーは、僕の方が上手だもん」
現役高校生が幼稚園児に対抗してどうするのかと言いたいところをぐっと堪える。二歳差の夏実だって、いつも年下の秋人に対して張り合っていたものだ。どこまで見守るか、どこから口を出すのか。親自身も、なかなかに問われるところだ。
「ううう、今度は計算もっと早くできるようになるんだから!」
「そうだな。まあ、いつでも勝負してやるぜ」
「あ、今度はおやつをどっちが早く食べられるか競争しよう?」
「よし、勝負だ!」
「やめなさい! おやつの早食い競争なんてしたら、明日からのおやつは全部トマトにしますからね!」
「ひゃいっ!」
「うげ!」
両手に腰を当てながらお説教をするアンナの隣で、マシューおじさんは黙々とトマトにかぶりついている。普段から一心不乱に野菜を食べているのだが、今日はなぜか時々手を止めて秋人とエドワードをじっと見つめている。アンナのお説教中にマシューおじさんと目が合うせいか、ふたりともどうにも居心地が悪そうだ。秋人など、「授業参観みてえ」とぼやいている。
マシューおじさんは畑の中でもっとも食べごろの野菜を見つけるのが大変上手なのだが、実はトマト嫌いの秋人とエドワードによってせっかく見つけた熟れ頃トマトは先ほど丁重にお断りされている。そのせいでマシューおじさんは、若干ご機嫌斜めなのかもしれなかった。
「それじゃあ、アンちゃんの好きなものをどっちがたくさん言えるか勝負しよ。それなら、僕、負けないもん」
「いいぜ。じゃあ、俺からな。アイス」
「かき氷」
「プリン」
「ゼリー」
「スイートポテト」
「焼き芋」
気を取り直して本日のおやつを食べながら、しりとり代わりにアンナの好きなものを挙げていくことにしたらしい。まあ、秋人が日本語の「り」攻めだとか、「る」攻めに相当する戦法をとっていたので、エドワードはしりとり以外の勝負をしたかったようだ。何度かやりとりを続けていくうちに、エドワードの眉間にしわが寄る。幼いなりに必死に頭を巡らせているのだ。そんな様子を面白そうに眺めながら、秋人がにんまりと口角を上げた。
「次は俺な。餃子」
「何それ。僕、そんな食べ物知らないよ」
「じゃあ、卵焼きとかオムライスは?」
「知らない……」
「ああ、この国だと中華料理とか和食はないのか? それじゃあ、フェアとは言えないな。えーと、洋食限定なら……グラタンとか」
「……」
「うん? ギブアップか? 俺はまだまだ好きなものをいっぱい言えるぞ。クリームシチュー、オムレツ、クロワッサン、フレンチトースト、ドーナツ、カステラ、クッキー、レモンパイ。まあ昔から甘い物全般好きだから、そのあたりは全部だな。俺はしょっぱいものの方が好きだけど」
珍しくエドワードに圧勝できそうなのが嬉しいのだろう。秋人は、アンナの――正確に言えば春香の――好物を列挙していく。途中で自分が口にした食べ物がこの世界にないことに気が付いて、洋食のメニュー名に寄せてきたことは一応配慮と言えるのだろうが、徐々に表情を曇らせていくエドワードの様子がアンナは心配になってきた。
「まあ他にもいろいろあるけれど、きりがないからここでおしまい。とりあえずこの勝負は俺の勝ちってことでいいよな?」
「それ……アンちゃんの好きなものなの?」
「そうだよ。俺、間違ってないよな?」
秋人がアンナの方に視線を寄こした。アンナと春香の好物はそれほど変わってはいない。とはいえ、この国ではあまり一般的ではない料理名についても好きだと肯定してしまうと、いつ食べたのかと不審がられてしまいそうだ。
何せアンナが実家でろくな食事をとることができなかったのは、ジムやウォルトには既に知られていることなのである。食べる機会がなさそうな料理の味を知っていることを、知られるのはよくない気がする。何より大差で勝負に負けてしまったエドワードのことが気がかりだ。ここまでこてんぱんにしなくても、もう少し手加減をしてやってもよかっただろうに。
どうやって勝負に負けたエドワードのことを慰めようか。もちろん、負けたことを納得させる過程だって必要なことだ。これが上手にできなければ、将来、自分が負けそうになるとチェス盤をひっくり返すようなとんでもない悪ガキになりかねない。小学生だった秋人は、鉄道を模したすごろくゲームで負けそうになるとひっくり返って泣き叫んでいたなと、困りつつも懐かしく思い出したときのことだった。ぽろぽろと大粒の涙を流しながら、エドワードが泣き始めた。
「僕、負けちゃったよお」
「テッド。次はまた別のゲームで勝負しましょう?」
「僕、アンちゃんのことが大好きなのに、アンちゃんのこと、全然知らなかった」
再び、目に涙がいっぱいたまっていく。ハンカチで優しく拭いながら、アンナはエドワードの頭を撫でた。
「だってテッドと私は一緒に住み始めてから、まだ日が浅いでしょう? それなのにあれだけ私の好きなものを覚えていてくれたじゃない。とっても嬉しいわ」
「でも、アッキーは僕よりたくさんアンちゃんの好きなものを知ってた!」
「それは、私と彼は昔からの知り合いだったもの。テッドと私は、これから一緒にいろんなことを覚えていけばいいのよ」
けれどエドワードは、首を大きく振りながらさらにひどくしゃくりあげた。
「僕、知らなかったの。アンちゃんが、卵たっぷりのオムレツが好きだってこと。一番最初にアンちゃんのお部屋に行ったときに、オムレツはいかがって言ってもらっていたのに。そうだよね、嫌いなものだったら作ろうかなんて言わないもんね」
「テッド?」
「ふわふわ甘いシュークリームも、熱々のグラタンも、シチューのパイ包みも卵や牛乳が必要なんだよね。アンちゃんと一緒にレシピを考えた料理長も、一緒にお料理のお手伝いをしていた父さまも、卵や牛乳を入れないで作るのはすごく難しいって言ってたの、僕、覚えてるもん」
「ええと、それは」
「アンちゃん、僕がいるせいで好きなものが食べられないの? 僕が食べられないから、食べるのを我慢しているの? 僕と一緒にいるの、もしかしてアンちゃんは苦しかったりする?」
そこで秋人が口を開いた。
「まあこの家を出れば、俺と一緒に好きなものを、好きなときに、好きなだけ食べられるようになるっていうのは事実だろうな」
「それは違うわ!」
アンナがぴしゃりと秋人を叱った。確かに秋人が言ったのはアンナもとい春香の好物たちだったが、それを自由に食べられない現状に不満をもっているわけではない。食事内容をそれぞれ分けるのではなく、エドワードと一緒に同じメニューを食べたいと思ったのはアンナの意思なのだ。無理矢理除去食を強制されているわけではない。けれどアンナの反応が気に食わなかったのだろう。秋人はアンナをねめつけると、忌々し気に吐き捨てた。
「何だよ、それ。俺は別に間違ったことは言っていない。ああそうだよな、あんたは俺よりも血が繋がっていないその子どもの方が百倍大切なんだよな。何せイケメンの子どもだし? 可愛げのない俺なんかと違って子どもらしさに溢れているしな」
「誰もそんなことは言っていないでしょう」
「どうだか。はっ、親の恋愛なんか見たくもねえわ」
「っ!」
秋人と叫びかけて、アンナはぎゅっと唇を噛む。そんなアンナの顔を見て、秋人はさらに皮肉気に顔を歪ませた。そのまま部屋を飛び出して行く。呼び止めようかどうか思案し、結局伸ばしかけた手を下ろしたことを後悔しながら、それでもアンナは目の前の幼子を優先させることにした。どちらを選んでも後悔するのかもしれないけれど、それでもまずはよりか弱い者がその心を痛めずに済むように。




