(13)
夕食はなんだかんだで無事に済ませることができた。神殿の食事は現代日本からこちらにやってきた秋人にはどうにも薄味で物足りないものだったらしい。食べさせてもらえるだけありがたいという感覚はあったようだが、久しぶりのしっかりとした食事をとんでもない勢いで食べていた。
「アッキー、いっぱい食べて偉いね。マシューおじさんみたい」
「俺はまだお兄さんだ」
「うん、知ってるよ。何でも好き嫌いしないで食べられるのはとってもいいことなんだよ。アンちゃんもよく僕に、マシューおじさんを見習ってねって言うもん」
「へえ。そのマシューおじさんは、食卓についてはいないみたいだけど?」
「マシューおじさんは、もうご飯を食べ終わってるよ。毎日、誰よりも先に畑で採れたての野菜を食べてるの。今日はたくさんトマトを食べてたよ」
「……うげ、マジかよ」
生のトマトが大の苦手な秋人は、若干顔を引きつらせていた。そして同じく生のトマトが苦手なエドワードは、久しぶりにトマト嫌いな同士を見つけて瞳を輝かせている。食事中だというのに、ふたりしてトマトの悪口を言い始めた。
「僕ね、トマトソースなら食べられるの」
「わかる。俺もトマトケチャップは別物だと思うし。っていうか、生のトマトってちょっと気持ち悪くね? 外側と内側の食感の違いが耐えられない」
「うん。僕、トマトのあのどろっとしたところ、嫌い」
「……ふたりとも、嫌いではなく口に合わないと言いましょうね。苦手なものをどうにかして好きになりなさいとは言いませんが、あなたたちの苦手なものを好きなひとだっているのですから。言葉に気を付けなさい」
アンナの指摘に、ふたりは「今怒られたのも全部トマトが悪いんだ」と目を合わせ、お互いに深々とうなずいていた。特定の敵を作ると、集団内の結束は強くなると言われている。秋人とエドワードは放っておいても仲良くなれたかもしれないが、ここまで時間をかけずに友人になることは難しかっただろう。
秋人が久しぶりに素直に子どもらしくて、そして普段はお利口なエドワードがいたずら坊主みたいなことを言い出している姿が面白くて、アンナはどうにかしてトマトを残そうとするふたりの行動に目をつぶることにした。
「アンナ、少しいいだろうか?」
そんな賑やかな夕食後のこと。タイミングを見て離れに戻ろうとしていたアンナは、侯爵に呼び止められた。そのまま普段は足を踏み入れたことのない部屋に案内される。ウォルトの書斎にほど近い、けれど書斎よりも広い奥まった部屋。扉を開ければ最初に目に入ったのは、非常に大きな寝台だ。キングサイズよりも大きなベッドをアンナはこの世界で初めて見た。何かいけないものを見てしまったような気がして、慌てて目を逸らす。そんな彼女の様子を困った顔で見ていたウォルトが、ひとつ咳払いをした。
「これは神官長とも事前に話をした上での提案なのだが。今日から離れではなく、この屋敷で暮らしてみてはどうだろうか。そして、夫婦として同じ部屋を使ってほしい。もちろん、君が望まない限り不埒な真似はしないと誓おう」
同じ部屋というのは、今案内されているこの部屋のことだろう。アンナの戸惑いが伝わったのか、ウォルトが慌てたように付け加えた。こんな行き遅れに、麗しの侯爵閣下が欲情することなどないことくらいわかっている。アンナはわずかに口元をゆるめた。
「なるほど。閣下、ご配慮ありがとうございます。つまり、私が離れで暮らしているのは、外聞が悪いということですよね?」
「外聞が悪いというのは語弊があるな。イーノック殿は、君が侯爵家で虐げられているのではないかと心配しているだろう? そんな中で君が離れで暮らしている姿を見せるのは誤解を加速させるだけだ。何せ、彼の中での侯爵家はまさに羅刹の家。仲睦まじい様子を見せつけるくらいでないと、彼は君が不当に扱われていると頑なに主張し続けるに違いない」
「それは……確かにそうかもしれません」
思わぬ提案に驚かなかったと言えば嘘になる。しかしウォルトの指摘はもっともだった。もともと秋人はかなり細かいことに気が付く上に、我が強いタイプだ。屁理屈をこねくり回して、アンナの前世である春香に喧嘩を吹っ掛けてきたことなど数えきれないほどある。現状でもことあるごとに、一緒に日本に帰ろうと言って来ているのだ。アンナが離れで暮らしていることを知れば、ほれ見たことかと鬼の首でもとったかのように騒ぎ立てるに違いない。
「……ええと、閣下はそれでよろしいのでしょうか?」
「アンナ、閣下ではなくウォルトと呼んでほしい。イーノック殿のいる前でそんな他人行儀な振る舞いをしていては、まとまる話もまとまらない」
そもそも元婚約者のイーノックでさえ下の名前で呼ばれているというのに、正式な夫である自分が「閣下」と呼ばれているのはあんまりではないか。愛称とまでは言わなくても、少なくとも自分とて下の名前で呼ばれるべきである。……などと思っていることはおくびにも出さず、あくまでイーノックを納得させるためだと言い募って、ウォルトはアンナを見つめた。
「ウ、ウォルトさま?」
「なんだ」
「あの、なんだか緊張してしまいますね。えーと、私、勘違いしたりしませんので。同じ部屋で休むのも、お名前をお呼びするのもイーノック対策のためです。どうぞお気を悪くしないでいただけると助かります」
「……気を悪くするはずがないだろう?」
「ええ、閣下……ウォルトさまのお心が広くて非常にありがたいです」
そうアンナが言えば、なぜかウォルトは頭を抱えてしまったのだった。なおアンナが本邸で暮らすことになって一番喜んだのは、ウォルトではなくエドワードである。エドワードはアンナが主寝室を使うと決めるやいなや、笑顔でアンナに飛びついてきた。
「アンちゃん、僕も一緒に寝てもいい?」
「ええと、そうね。大丈夫でしょう。だってここのお部屋の寝台は、かなり広いもの」
「やったあ! わあい、楽しみだなあ」
「床に落ちてしまわないように、私と閣下……ウォルトさまの間で寝ることにしましょうね」
その日の夜、実際に主寝室に足を踏み入れることになったアンナは、エドワードがいることに心から感謝していた。夫婦の寝室として設えられていた部屋は、先ほど足を踏み入れた時よりもずっとずっとロマンティックに仕上げられていたのだ。
あの堅物な侯爵がアンナ相手に一夜の過ちを犯すとはとても思えなかったが、アンナも一応年頃の女性である。この部屋で美しすぎる侯爵の寝顔を見ながら、リラックスして休むというのはどうにも難しかっただろう。アンナはエドワードのお世話に没頭することで、侯爵と同室であるという気づまりな事態から目をそらすことに成功したのだった。
ちなみに、すやすやと健やかな寝息を立てるアンナとエドワードの隣で、ウォルトはただひたすら寝返りばかりうつ羽目になっていた。ようやく眠気が訪れたのは、東の空が白み始め、小鳥のさえずりが聞こえるようになってからのことである。
「坊ちゃま、おはようございます。目覚めのお茶をお持ちしましょうか」
「ほとんど寝ていないのに、目覚めのお茶など必要あるのか」
「夜明けのコーヒーにはいまだ届かず、ですからね。仕方がないでしょう。心を通わせていない状態で、まさか無体な真似をなさるつもりだったのですか?」
「わたしを獣扱いするんじゃない」
「あわよくば初夜をと望んでいらっしゃったでしょう? アンナさまと坊ちゃまに必要なのは、まずは時間と会話でございますよ」
「だから坊ちゃま呼びはやめてくれ」
「寝室をひとつにする前に、もっとやるべきことがあったように思うのですがねえ」
「どういうことだ」
「それは坊ちゃまご自身で気が付くべきところでございます。これくらい、ご自身で治していけないのなら、まだしばらく坊ちゃま呼びから卒業できそうにございません」
ジムの返事に頭を抱えたウォルトは、これ以上の揚げ足取りを避けるために物理的に口をふさぐべく、お茶を一杯所望したのだった。




