(12)
神官長の口添えもあり、キャリントン侯爵家に滞在することになった秋人は、アンナたちの馬車にちゃっかり同乗して王都まで戻ってきていた。本来のイーノックの年齢はアンナとほとんど変わらないが、今イーノックの身体の中に入っているのは高校生の秋人だ。アンナが前世の記憶に引っ張られているせいで、こちらの世界の実年齢よりも大人びているように、秋人はイーノックの実年齢よりも随分と言動が幼くなっている。
そのせいだろうか、同年代の友人がいないエドワードはすっかり秋人に懐いてしまった。なんといっても、アンナに続いて愛称をつけるくらいなのだからその仲良し具合には目を見張るものがある。
「それで、どうしてイーノックの愛称がアッキーになったの?」
「別にエドワードの愛称がテッドになる世界なんだから、イーノックの愛称がアッキーになっても問題ないだろ」
「返事がしやすい愛称でとても素敵だと思うわ」
「そうでしょ。僕が考えたんだよ」
得意げな顔をしてすっかりご満悦なエドワードが、えへんと胸を張ってみせた。その頭を優しく撫でてやれば、エドワードがもっともっとというように抱き着いてくる。すっかり甘えるのが上手になったエドワードがきゃらきゃらと笑い声をあげた。
「父さま、みんなにお土産を渡してもいい?」
「出迎えの際に渡すのではなく、一度部屋に戻って身支度を整えてからならば構わない」
「わあい、みんな喜んでくれるかな」
一生懸命選んだお土産を早く渡したいらしいエドワードは、馬車の扉が開くなり、体重を感じさせない軽やかさで飛び出して行く。その姿を微笑ましく思う一方で、急激に重くなった室内の空気にため息を吐きたくなった。
エドワードの前ではあからさまに険悪な雰囲気にはならないが、どうにも秋人もウォルトもお互いに対して妙な敵愾心を持っているようなのだ。
秋人の場合は、思春期というものなのだろう。母親の再婚相手――この世界でのアンナは初婚だが、秋人にしてみれば母親が知らない男と結婚しているのだ。いい気はしないに違いない。
だがウォルトは一体どうしたのだろうか。妻の元婚約者という存在は不愉快なものだろうと思ってはいたが、どうにも秋人に引っ張られてしょうもない口喧嘩を始めている。生意気な秋人が一番悪いのだが、合理性を追求するウォルトである、通常ならば切り捨てていないものとして扱えばそれでおしまいだ。にもかかわらず、いちいち相手をしている様子が少しだけ意外なのだった。
「すっげー!」
屋敷を目の当たりにした秋人が叫んでいる。その昔、秋人が好んで見ていた映画に出てくる小学生のようなセリフに、アンナは思わず苦笑した。映画内ではこの台詞を言われた建物などは、高確率で爆破等の憂き目に遭うという話がまことしやかにささやかれていたが、今でもそうなのだろうか。
秋人が大きくなってからは、映画館どころか家で一緒にテレビを見ることもなくなっていたので詳細を確認することはできない。この台詞で映画を思い出したこと自体が奇跡のようなものだった。やはり、目の前に本人がいると忘れかけていた記憶も引き出されやすくなるのかもしれない。
「口を閉じろ、阿呆が。貧相な顔がますます間抜けに見えるぞ」
「立派な家に住んでいても、そんな嫌味な性格をしていちゃモテないよ」
「悪いが、女には不自由していない」
「うわー、マジで嫌味だな。ってかこいつ、浮気してない? 『女には不自由していない』じゃなくって、妻一筋だから他の女など興味はないっていうのが正解なんじゃないの? ああ、そうか。所詮はお飾りの妻だからどうでもいいのか」
少しばかりノスタルジックな気分に浸っていたアンナは、怖いもの知らずを通り越して無礼千万な秋人の物言いに、顔を青ざめさせていた。いくら身分社会から程遠い日本からやってきたとはいえ、言っていいことと悪いことがなぜわからないのか。
「閣下、本当に申し訳ございません! この者にはよくよく言い聞かせておきますので、どうぞご容赦を!」
床にひざまずきかねない勢いでウォルトに許しを請う。そのままイーノックの頭をひっつかむと、同じように頭を下げさせた。
「……君はその男の保護者ではない。頭を下げる必要はないだろう?」
「ですが、私の縁者ということで彼を庇護していただいております。この者の無礼は、私の不始末です」
「っつか、痛いからやめろ」
「やれやれ。わたしはお前の失点をアンナの咎とするつもりはない。だが、貴族社会というものは足の引っ張り合いだ。お前の失態が彼女を窮地に追い込むことになる。そのことをゆめゆめ忘れるな」
「寛大なご対応、痛み入ります」
「アンナ、君は……。いや、何でもない」
注意されたことに腹を立てそっぽを向く秋人の代わりに、アンナはまた深々と頭を下げる。そんな彼女に向かってウォルトは何かを言いかけたが、そのまま言葉を呑み込んだ。
注意されたばかりの秋人は不貞腐れた顔のまま、勧められたわけでもないのに、どっかりと客間のソファーに腰を下ろす。その不作法さに、再びアンナは頭を抱えた。
「……あなたは、他のお宅にお邪魔する際にもこんな風に失礼な態度をとっているの? 礼儀作法については教えたはずだけれど?」
アンナは秋人をにらみつける。幼稚園に通っていた頃から春香は秋人に、しょっちゅう言い聞かせていたものだった。友だちの家に遊びに行くのなら、水筒とお菓子は持参する、お家にお邪魔する時には挨拶をする、靴は揃える、案内された部屋以外には入らない、いつも遊びに行ってばかりでは迷惑だから遊びに行ったら次はうちに招く。当たり前だが、大切なことだ。まあ秋人は、周囲の小奇麗な家とは異なる狭くて古い集合住宅を恥ずかしがって、自宅に友人を招くことはほとんどなかったのだが。
「お世話になります。これから、よろしくお願いします」
「あなたは、侯爵閣下のご厚意により滞在を許されましたが、客人ではありません。あくまで居候です。そのことを理解した上で、謙虚に過ごしなさい」
「身分をわきまえろってこと?」
「働かざる者食うべからずということです。少なくとも、一緒に炊事洗濯の手伝いをしてもらいます!」
「何それ! ありえないんだけど!」
「これはあなたの身の振り方を考える上でも、必要になることだもの。拒否権はありません」
きっぱりとアンナは言い切った。むっとしたような顔で、秋人が勢いよくまくしたてるも、不愉快そうに顔を歪めたウォルトに睨まれる。
「俺のことが心配じゃないのかよ。それでも俺の」
「アンナがお前の何だというのだ」
「なんでもねえよ」
さすがに事情を知らないウォルトに向かって、「俺の母親か」なんて言葉は吐けないと思い至ったらしい。ごにょごにょと尻すぼみになる秋人に対して、アンナはやれやれと肩をすくめた。
「誰もあなたのことが心配じゃないなんて言っていないでしょう? 心配だからこそ、今ここで一緒に練習しようと言っているの」
「ちょっとくらい楽をさせてくれたっていいじゃんか。今まで大変だったのに」
「いつかあなたは自立しなければいけないでしょう。その時に、今のようにまた私に甘えるの? いつまでもそうやって生きていけるわけではないともう知っているでしょう?」
アンナの言葉に、秋人だけでなくウォルトが目を丸くしている。なぜふたりはそんなに驚いているのだろう。当然のことではないかと、アンナは内心首を傾げた。
秋人がこの世界に留まることになっても、元の世界に戻ることになったとしても、生活能力がなければどうにもならないのだ。この世界で暮らしていくなら、一番手っ取り早いのは神殿で神官になることだ。ありがたいことに、あの避暑地で出会った神官長は必要ならばまたいつでも力になると言ってくれている。
元の世界に帰るのなら、いつか秋人は一人暮らしをすることになる。少なくとも、自分のことができない状態では、未来の恋人や配偶者に春香のような思いをさせることになってしまうだろう。よそさまの大事なお嬢さんを家政婦にしてしまってはならない。
「一緒に帰ってくれないどころか、俺のことを追い出そうとするなんて信じられない! 鬼! 悪魔!」
「おあいにくさま。今の私は、鬼婆と言われてもちっとも気にならないのよ」
何せ今のアンナは若いのだ。アンナの前世、春香だった頃には子どもをふたり産んだうえ、姑の介護も行っており、年齢的にもババアという単語は非常にセンシティブなものだった。おかげで夫の愛人に、疲れ切った姿をおばあちゃんみたいと言われたのは大変堪えたのだが、現在のアンナはこの世界では行き遅れとはいえ、前世の感覚ではまだ女ざかりである。何せ肌が水をはじくのだ。鬼婆と言われたところで、痛くもかゆくもないのであった。
「今の時代は男でも家事ができないと困るの。今日のところはもう遅いし、明日から食事の準備を一緒にやりましょう」
「ちょっと待ってよ。俺に昭和の生活をさせようっていうの?」
「昭和が全部戦前のような言い方をしないでちょうだい。魔導具があるのだから、それなりに便利よ。少なくとも、冷蔵庫、掃除機、洗濯機みたいなものは存在しているから安心しなさい」
「男でも家事をとか言うけれど、こいつはどうせやらないんだろ? そんなの差別じゃないか!」
「……居候のあなたと違って、閣下には閣下のお仕事があります。それに、そんな中でも閣下は非常に協力的なのですよ。テッドの好物を、たびたび閣下が手作りしてくださっています」
「家族のために料理を作ることは、父親として夫として幸せなことだと思っている」
にやりと笑うウォルトは、自信に満ち溢れているせいか匂い立つような色香が漂っている。侯爵のことを褒め称えつつ、そういえば彼は非常に秀麗なひとだったのだとアンナが今さらながらに見惚れていると、どことなく苛立たし気な声で秋人が叫んだ。
「俺だって料理くらいできらあ! これでも前期の家庭科の成績は4だったんだ! なめるなよ!」
なぜか秋人はウォルトを睨みつけながら啖呵を切る。そんな秋人相手に、アンナははいはいとうなずいたのだった。




