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そこでふとアンナは疑問を持った。そもそも、なぜ秋人は王都ではなく避暑地にいるのだろうか。もともとイーノックは、以前からアンナの実家で暮らしていた。婚約段階で、花嫁修業を兼ねて同居する例はまま存在する。ちなみにイーノックの場合は、彼の実家があまり裕福ではなかったこと、異母妹がアンナに見せつけるためにイーノックを同居させていたというのが婚前同居の理由だったりする。
だからこそ、秋人が単独でこの避暑地にいることはありえないのだ。イーノックの主な仕事は、異母妹の御守である。つまり彼らはふたりでひとつ。イーノックがいる場所に異母妹がいないのはおかしい。その上、イーノックの実家もアンナの実家も、こんな高級リゾート地に別荘など持ってはない。秋人がここにいる理由も、ここに来た手段もまったく想像がつかないのだった。
「ねえ、そもそもあなた、どうやってこの避暑地に来たの? ひとりなのよね? あの子があなたを手放すはずがないのだけれど……」
「あのブスみたいな名前の女、まじでやばかった。あんな話が通じない人間、見たことない。うちのばあちゃんでも、もうちょい……いや、やっぱり同じくらいダメかも」
「ブスじゃなくって、ブライスね。あなたは本当に昔から口が悪いのだから……」
「横文字の名前とか覚えられない。頼むから、名札つけといてくれ」
確かに似たような名前が多いことには、アンナも若干苦労した。社交も必要がなく、屋敷の中で決められた人間としか会わなかったので、ぼろを出さずに済んだのだ。だからといって、使用人同然の暮らしをありがたいなんて少しも思わないが。異母妹ブライスとかつての姑の非常識っぷりを同列にされたことについては、ノーコメントを貫かせてもらう。
「えっと、まあ簡単に言うと逃げて来たんだ」
「逃げる?」
「そう。ほら、日本でもさ時代劇とかであるじゃん。女性が暴力夫から離れるために、寺に逃げ込むやつ」
「縁切寺や、駆け込み寺ね」
「そうそう。で、こっちの世界だとそれが神殿になる。まあ、寄付金が必要だったり、お金がないと使用人扱いになったりと、なかなかややこしいんだけど。ほんで、男でもそれができるの。まあ、男の場合は犯罪に巻き込まれたので匿われるとか、兵役逃れとかがメインになるんだってさ。俺みたいに、結婚相手から逃げるためっていうのは珍しいらしいよ」
疲れたようにため息を吐きながら、秋人が頭をかきむしった。当時の苛立たしさまで思い出してしまったらしい。
「ブライスに何をされたの?」
「暴力は振るわれてないよ。でもさ、朝から晩まで世界は自分を中心に回っているって信じている女と一緒にいるとか無理だから」
「あれは堪えるわよね。わかるわ」
「俺、イーノックの身体に入れ替わった時、記憶を失くしたって白状してんの。ちょうどイーノックは熱でぶっ倒れてたから、高熱による記憶障害だってことで納得してもらえたのはいいんだけど。この機会に、自分にとって都合のいいようにいろんな事実を捻じ曲げたものを俺に教え込んできてさ……。この身体の持ち主が、ロマンス詐欺みたいな台詞を毎日あの女にやるとか、ありえんし」
アンナとしても地味で大人しく、異母妹の尻にしかれっぱなしだったもともとのイーノックが、急にイケメン俳優も真っ青な台詞を連発し始めたら正気を疑ってしまうかもしれない。
「神殿に行く機会があったのね。意外だわ。こう言ってはなんだけれど、あまり私の実家は信心深いほうではなかったでしょう? 寄付もほとんどしていなかったようだし……」
「ああ。なんか商談だって張り切ってた。ただ、商談っていうわりに、商品を準備するような感じじゃなかったんだよな。俺が見たときには、一生懸命、毛染めで髪を金髪にしていたような」
「……神殿の神官さまたちも、容姿の優れた女性が売り込みにくるとガードが緩むのかしら?」
「いやあ、どれだけ化粧してもあれだからなあ。いくら見た目が良くても、性格の悪さは隠せないだろ。女慣れしてないと騙されるのかな? 本当、男ってかわいそう」
わざとらしく涙をぬぐう真似をしながら、秋人が自嘲気味に笑ってみせた。
「それで、神殿に来た時にちょうど、どこかのカップルが結婚式を挙げてたんだよ。そしたらあいつがさ、せっかくだから自分たちも今すぐ結婚しようとか言い出して」
「は?」
「そうだろ、はあってなるだろ。そもそも、準備も何もできてないんだから、結婚式なんて挙げられるはずがないんだよ。それなのに、神の前で誓ってくれるだけでいいって迫ってきて。その様子がもう本当に気持ち悪くてさ、俺、限界で逃げちゃったんだよ」
「どうして急にそんなことを言い始めたのかしら。もともとの予定では、来年だったはずよ。かなりこだわりのドレスを用意していて、通常よりもオーダーに時間がかかっていると聞いているわ。あの子、他のひとの結婚式を見てもらい泣きするようなタイプにはみえないんだけれど」
「そうなんだよ。どこでスイッチが入ったかわからないんだけど、目がらんらんと輝いててさ。とりあえず、ここにいるとマズいってことだけはわかって。それで神殿ではぐれたふりをして、逃げ出したってわけ」
そこでちらりと横を向けば、アンナと秋人の話を聞いていたらしい神官長が好々爺然とした顔で微笑んでいた。
「神殿で半べそをかきながら鬼ごっこをしているのを見つけましてな。思うところありまして、こちらで匿わせてもらったのです」
「ご迷惑をおかけして申し訳ありません。本当にありがとうございます」
「いいえいいえ、これも縁なのでございましょう。それで、落ち着くまで神殿で暮らしていただき、その間に事態の解決を図ろうかと思っていたのですが……」
なんとなく不穏なものを感じ取り、アンナは続きの言葉を待った。
「先ほど、侯爵夫人に助けを求めているのを拝見しまして。確かにそれもまたよきかなと」
「さすがにそれは私の一存では決めかねます。実の弟ならともかく、彼は私の元婚約者。異母妹と結婚しているわけではない以上、義弟という関係でもありません。侯爵邸に連れ込めば、不貞を疑われるのは確実でしょう」
「あーあ、おふくろは俺のこと見捨てるんだあ。この世界でひとりぼっちで、肉親にも頼れずに行き倒れちゃうんだなあ。あーあ、俺って超可哀想~」
「人聞きの悪い言い方をしないでちょうだい。あなたは神官長さまに保護していただいたのでしょう? そもそも、イーノックのご両親がこちらの世界にいるはずよ。まずはそちらに頼るべきだと思うわ」
「おふくろはずるいよ。俺はこんなに不幸せなのに、おふくろだけ幸せになるなんて」
いくら婚約者の姉とはいえ、元婚約者の婚家に押しかけてくるのはおかしい。春香と秋人の関係性を知らないのだから、周囲はまた好き勝手な噂を広げるだろう。それはアンナにとっても、秋人にとっても、そしてこの場にいないイーノックにとっても当然避けるべき事態だ。だが、「ずるい」という言葉の鋭さに胸が痛む。子どもの願いを聞き入れてやれない自分は、自分勝手でずるい女なのだろうか。
「俺もよく知らないんだけど、こいつの実家っておふくろの実家からかなりお金を借りているらしいよ」
「イーノックの実家が借金? 私が実家にいる頃は、そんなことはなかったはずだけれど……」
「へえ、意外と詳しいじゃん。なに、結構タイプだったの? だから婿入り相手に選んだ?」
「そんなわけないでしょう。婚約を決めたのは実父だし、お金の流れを把握しているのは私が実家の仕事の大部分を担当していたからよ。お金の使い道について口を挟むことは許されなかったけれどね」
「自分が好きなように使える訳でもないのに、お金の管理をしているなんて暇人だね」
「お金は湯水のようにあふれ出してはこないのよ。お金があればあるだけ、なければ借金してまで使うような家族に囲まれていたら、嫌でも帳簿とにらめっこをすることになるわ」
少なくともアンナの実家には、イーノックの実家に貸し付けできるほどの財産などあるはずがないのだ。とりあえず、イーノックの実家が役に立たなさそうなことだけは理解した。とはいえ先ほど秋人にも説明した通り、現在のふたりの関係性は元婚約者でしかない。無条件で面倒を見るには、問題があり過ぎる。頭を抱えたアンナに対し、神官長はとんでもないことを言い出した。
「侯爵閣下の許可がいただければ、滞在は可能という認識でよろしいですかな。それであれば僭越ながら、わたくしから侯爵閣下にお話いたしましょうか」
「それはもちろんですが……」
だがウォルトはああ見えてかなり頑固な男だ。彼を納得させることはなかなかに厳しいだろう。ところがそう考えていたアンナの予想に反して、ウォルトは意外なほどあっさりイーノックの侯爵家滞在を許可したのである。




