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【書籍化予定】継母になった嫌われ令嬢です。お飾りの妻のはずが溺愛だなんて、どういうことですか?  作者: 石河 翠
第二章

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「ああ、やっとその辺りのこと、気になったんだ」

「秋人の身体、無事なのよね?」

「どういう状態で無事っていうのさ。命に別状はないって言ったって、わりとえぐいことになっているっていうのは有名な話しじゃん。だいたい、俺は、『俺の身体、生きてる』とは言ったけど、『俺の身体、五体満足で無事』とは言ってないし」

「あの、病気でも交通事故でもないっていうのは、まさか……」


 自分が思っているよりも真っ青な顔になっていたのかもしれない。ふてくされていたはずの秋人が、慌てて付け加える。


「ごめん、言い過ぎた。死んではないし、そこまで酷いことにもなっていないと思う。確証はないから、ただの勘だけど。でもさ、俺の勘ってわりと当たるから」

「……大丈夫。あなたが無事ならそれでいいの」


 子どもの頃から、スーパーの福引やアイスの当たりくじなど、ちょっとした当たりを引くのが得意だった秋人が、きまり悪そうに言ってきた。秋人が大吉を引いた神社で、前世の春香は思い切り凶を引いたことを思い出しつつ、アンナは小さくうなずいた。


「しばらくはさ、なんかいい感じに暮らしてたんだ。でもそんなの、あっという間だったね。あれだけあの女のことを褒めていたばあちゃんは、今度はびっくりするくらいこき下ろし始めた。そしたら、あの女、あっさり家を出て行っちゃったんだ」

「それは、まあ予想通りとしかいいようがないわ」


 姑はたいそう気難しい女性だった。なにせ気に食わないことは全部嫁である春香のせいになるのである。どれだけ理不尽かといえば、天気予報が外れて雨に降られたことも、バスが時間通りに到着しないことも全部春香のせいなのだ。


 怒り出した姑は放置すると大変なことになるため、ひたすら謝罪するしかない。そのときの表情も重要で、微笑んでいるとにやついて馬鹿にしているとなじられるし、悲しそうにうつむいていると泣けばいいと思っていると怒鳴られる。かといって無表情でいると不細工で辛気臭い顔といびられる。ようは何をやっても上げ足をとられてしまう。


 春香を追い出すまでは春香の悪口で盛り上がったのだろうが、ちょうどいい八つ当たりの相手がいなくなったことで、はけ口が浮気相手に向かったのだろう。春香に対して言っていたことをそのまま伝えたのなら、気の強い浮気相手が家を出て行くのは当然のことだった。


「やっぱりこうなるってわかってたんだ」

「遅かれ早かれ、衝突するだろうとは思っていたわ。残念だけれど」

「俺もさ、ばあちゃんと揉めるかなあとは思ってた。でも、その喧嘩の矛先がこっちに向かってくるのは予想外だったんだ」


 秋人がいつも見ていたのは、ただ静かに姑の怒りを受け止める、サンドバッグ状態の春香だ。言葉で殴りつけるか、感情のゴミ箱にするか。擦り切れた春香にとっては黙ってその役割を引き受ける方が楽だったけれど、あの生命力にあふれた浮気相手が反論しないはずがないのだ。浮気相手のことは好きになれないけれど、あの命そのもののようなまばゆい力強さからはいつも目が離せなかった。


「あのひとさ、血の繋がらないでかいガキの母親になるつもりなんてそもそもなかった、自分は騙されたんだって怒ってたよ。別に母親になってほしいとは思ってもいなかったし、好きで一緒にいたわけじゃないけどしんどかったわ」

「それは子どもに向かって言うべき言葉ではないわね」

「まあ、既婚者を寝取る女なんだから、倫理観とか道徳に期待する方が間違ってんだよな」

「秋人!」

「だって事実じゃん。ほんで、親父はあのひとを連れ戻してくるから、その間ばあちゃんのことをよろしくって言っていなくなった。もちろんそれから一度も家に帰ってきてないよ」

「なんてことなの……」


 春香と離婚したとしても、自分の母親の介護は春香がしてくれると何の疑いもなく信じていた男だ。春香が出て行ったなら、姑の世話を浮気相手もとい新しい嫁に押し付けるだろう。そして彼女が耐えかねて家から出て行ったのなら、離婚するにしろしないにしろ姑の世話を子どもたちに押し付けるのは必然だったのだ。


「浮気相手のことをバリキャリでカッコいいって言っていた姉貴は、発狂してたな。姉貴と俺で毎日家事の押し付け合い。家の中、放っておくとマジで荒れ果てるんだなってびっくりした。ばあちゃんは日に日に手に負えなくなるし、親父は家に金を入れないし、本当にヤバかった。学校の先生が、いつまでたってももろもろの費用の引き落としができないことに気が付いてさ。面談とかやってもらって、最終的に役所のひとがいろいろ片付けてくれた」

「あなた、今はどこで暮らしているの?」

「高校の寮。特待生で入ってるから、勉強は大変だけど、住む場所はあるから。姉貴は……まあ元気にしてるよ。ばあちゃんは、あの後骨折してからどんどんおかしくなっていって、今は施設に入ってる」


 思春期の子どもが体験するにはあまりにも地獄する状況に、頭がくらくらする。


「大変なときに、そばにいてあげられなくてごめんなさい」

「本当だよな。なんとか居場所がわかったと思ったら、あんたもう死んでたし。勝手に死ぬとかひどくね? 離婚したら、死んでも連絡こないんだって驚いてさ……。まあ、親父には連絡が行ったのかもしれないけど、家族ってあっという間に壊れるんだなって笑っちゃった」

「それは……」

「まあ、自業自得なんだよ。俺たちが追い出したんだもん。実の母親のこと」


 何か言うべきことがあると思ったけれど、アンナはそれ以上何も言えない。かつてのように、軽く鼻を鳴らしてそっぽを向いている秋人を見て、胸がぎゅっと苦しくなった。そんなアンナに向かって、秋人は両手を合わせて頼んできた。まるで、お小遣いが足りなくなったから、少しだけ臨時でお金をちょうだいと言ってくるような気楽さで。


「ねえ、俺、かわいそうでしょ。だからさ、おふくろ、俺と一緒に日本に帰らない?」


 ずっと「あんた」と言われていたのに、急に「おふくろ」と呼ばれてどきりとした。小さい頃は自分を「お母さん」と呼んでくれていた秋人は、いつの間にか「あんた」とまるで他人のように春香のことを呼んでいた。反抗期にあるらしい「クソババア」と呼ばれるのとどちらがマシなのかは、正直今でもよくわからない。初めて聞く「おふくろ」という呼び方に、自分がいなくなってから過ぎ去った時間を想う。


「え、返事ないけど、もしかして俺が家事をさせるために、連れ戻しにきたとでも思った?」


 アンナからの返事がなかったせいだろうか、唐突に秋人の声音が変わった。どこか茶化したような響きに、秋人の心がまた見えなくなる。


「そもそもどうやって日本に帰るつもりなの?」

「じゃあ、とりあえず侯爵家を出て、一緒に暮らそうよ。結婚指輪もくれない夫とかいらないでしょ」


 慌てて左手を隠す。お飾りの妻になる予定だったから、確かに結婚式はなかったのだ。とはいえ、一応正式な結婚指輪は用意されていた。あくまで女避けという意味で結婚指輪は必要だったのだろう。侯爵も社交の場では身に着けているはずだ。


 アンナが指輪をつけていないのはただひとつ、事前にアンナに相談された上で用意されたものではなかったので、アンナの指に入らなかった。それだけのことである。まあ、相談された上で、異母妹たちがアンナに恥をかかせるために適当な号数を伝えた可能性も高いのだが。


「私は侯爵夫人です。勝手に出て行けるはずがないでしょう」

「ああそうか。こっちの世界って貴族同士の結びつきが強いんだっけ。あれかな、女性の人権とか意志とか尊重されない感じ? うわ、前世に引き続き男運がないね」


 秋人の声に馬鹿にしたような響きはなかった。自分の息子にもひどい結婚生活だったと思われていたことを目の当たりにしたせいで、腹の底が妙に重く感じる。それでもウォルトとエドワードの名誉だけは守りたくて、顔を上げた。


「私は侯爵家の暮らしに満足しているのよ。私は私に与えられた役割をしっかりと全うしたいの」

「せっかく俺が迎えに来たのに?」

「……迎えに来たということは、やっぱり自分の意思でこの世界へ来たということなの?」


 秋人が口を引き結ぶ。しばらく黙り込んだかと思うと、やがてにんまりと口角を上げた。


「俺と一緒に日本に帰ってはくれないんだ。じゃあさ、俺のこと、面倒みてくれない? いいじゃん、前世は息子、今世は元婚約者、未来の義弟ってよしみでさ」


 先ほどまでのしおれた様子はどこへやら、けろりと平気な顔をしてとんでもない要求をしてきたのである。

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