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第9話「人質と、ひとつの魔法」

閉会式のアナウンスが、遠くで響いている。


俺は、校舎の廊下を駆けていた。

赤いハチマキを握った手のひらに、汗が滲んでいる。 

「ミヤビさん。小春さんは見つかりましたか」


背後から、凛が走ってくる。

息を切らしている。


「いや、まだだ。茜さんも、いつの間にかいなくなっている」

「……先生方は、関係者の誘導で忙しい。今、人手が足りていません」


凛が、ノートを強く握った。

いつもの無表情が、もう崩れかけている。


(……このタイミングで、人手が足りない)


頭の奥で、冷えた声がした。


(誰かが、わざと人を集めてるわ。閉会式の時間を狙って)

『……同感だ。学園の外からの侵入者かもしれない』

そのときだった。


――どん、という魔力の爆発音が、校舎の裏手から響いた。


「今のは……」

「体育祭の片付けの音ではありませんね。旧体育倉庫の方角です」


凛と俺は、顔を見合わせる。

この爆発音には、聞き覚えがある。茜の炎の音だ。


(この魔力の感じは茜ちゃんの魔力だわ、茜ちゃんが突っ走ってしまったかもしれない。急いで)

『言われなくても』


「……茜さんが、何かに気づいて、一人で走ったのかもしれない」

「行くぞ。急ぐ」


俺たちは、中庭を横切って走り出した。


旧体育倉庫の鉄の扉を蹴って入ると、中は薄暗かった。


埃の匂い。段ボールと、金属の棚。

そして、地面に赤い髪の少女が、今、倒れていた。


「茜さん!」


凛が駆け寄り、茜の首もとに手を当てる。


「……脈があります。気を失っているだけです」

「何とか、無事か」


俺は、拳を握りしめた。


茜の赤いジャージがところどころ、炎の名残で焼けている。

小春を助けるために、戦ったのだろう。


さらに奥。

椅子に縛られた茶髪のショートボブの少女がいる。

目を閉じている。


「――小春さん!」

「ようこそ。思ったより早かったな」


黒いローブの男が、影から現れた。


顔はフードで見えない。

その周りを囲むように、三人の黒服が立っている。


「その子には少し眠ってもらっている。死んではいない。無益な殺しは禁じられているからな」

「……あなたたちは、何者ですか」


凛が、茜を床にそっと寄り添わせて、立ち上がった。


「この学園に、『実験体α』がいるという情報を得た。だが、名前も、姿も、分からない」


男は、淡々と語った。


「人造兵器になりうる存在だ。手に入れるのが今回の目的です」


(……実験体)


頭の奥の声が、一瞬だけ、静かになった。


『……おい。今の言葉は』

(大丈夫。落ち着いてるわ)


「そこでこの子供を、餌に使う。弱そうな子を捕えれば、これだけ優秀な学生がいる学園なのだ、学生の群れの中から、助けに来る者が現れるだろう」


男は、小春の髪に、指先をすべらせた。


「その中で魔力の質が変わっている者。それが、αである可能性が高い。」

「……小春さんに、触るな」


俺は、低く言った。前に出る。


「この子は、関係ない。お前たちの探している者とは、無縁だ」

「そうか。だが、関係があるかどうかは、こちらで確かめる。それに君らが『α』であるかもしれない」


男が手を上げる。黒服たちが、一斉に魔力を構えた。


「――このルールの宣言を、使います」


凛が、床に手をついた。


「――この場での暴力を、禁じます」


空気がきしりと張り詰める。

黒服たちの動きが、わずか止まる。


だが、ローブの男は、くすりと笑った。


「子供の決めたルールに、大人が付き合うとでも?」


男が手を振ると、凛の宣言が、空気に溶けて消えた。


「……無効化された?」

「こちらには、『逆守護』というものがある。無駄だ」


凛が、唇を噛む。


俺は、拳を構えて踏み込んだ。だが、黒服の一人が、小春の喉に手を当てる。


「動くな。この子の呼吸を、止めることもできる」


――手が、出せない。


(……私の大事な子に、手を出すってことは、つまり)


頭の奥の声が、急に低くなった。


(――代わりなさい。ここからは、私の出番)

『……準備はいいか』

(いいわよ。とっくにできてる)

『小春さんを、傷つけるなよ』

(大丈夫。傷つけさせない)


俺は、息を吸った。

そして、小さく、頭の奥へ合図を送った。


『――あとは頼む』

(はい、交代)


――視界が揺れる。肩幅が狭まり、髪が肩に落ちる。体が、軽くなった。


世界が、色を変えた気がした。


「……あなたたち。私の大事な子達に、何をしているの」


私は、静かに口を開いた。


黒服の一人が、驚いたように私を見た。

さっきまで、ぜんぜん違う人間がいたはずだ。

体格も、姿も。


「……入れ替わった?」

「低脳なあなたたちにもわかりやすいように、言い換えてあげるわ。ここからは、私の時間よ」


私は、指先をひとつ、ひらりと振るった。


小春の喉に当てられた黒服の手が、弾かれるように離れた。黒服たちの魔力が、一斉に霧散する。

空気が、ぶるりと震えた。


「なっ――」

「逆守護?まだ使えるかしら。」


(少し、眠りなさい)


黒服の三人が、時を同じくして、膝をついた。

三人の視点がぐらつく。

精神、思考に干渉されている感覚を辛うじて感じる、


立つ、という行動の思考すら阻害されている。

黒服の男たちは、立っていることができない。


今、眠らなくてはいけない、そういう思考に塗り替えられていく。


魔法陣が、足元で優しく光っている。


これは、茜に使った、優しい魔法じゃない。


「……この魔力の質は。まさか、記録にある、あの――」


ローブの男が、かすれた声を漏らした。


「お前が、αだというのか。二つの――」

「あら、そこまで。それ以上は、口にしないで」


私は、男の口に、指先を当てた。


男の目の光が、すうっと消えていく。

気を失い、その場にころりと倒れた。

黒服たちも、順に眼を閉じていく。


――私の能力を使えば殺すのは、簡単だった。でも、しない。


小春や茜、凛に残酷な場面を見せることはできない。


(……近くに、誰かいる)

『凛さんだ。入口のところに』


振り返ると、凛が、小春を椅子から解きながら、こちらをじっと見ていた。見ていたのは、一瞬だけ。

光と、触れる前の、魔力の質。


「……ミヤビさん。今の光は――」

「あら、見てたのね」


私は、ゆっくりと振り返った。表情は、いつもの笑顔のままだ。


「こわかったでしょう。でも、大丈夫よ。小春も、茜ちゃんも、無事よ」

「……あなたは、何者なのですか。今の魔法は、変身系能力では扱えるような魔法ではありません。もっと高等な魔法……」

「これ以上は、あとで。この人たちを、私たちじゃなくて、先生方に任せて。でも、先に――」


その時だった。


「ここからは、私が引き受けますよ、ミヤビさん」


穏やかな声。入口の陰に、メガネの小柄な少女が立っていた。


「……日和さん?」


凛が、目を見開く。


「こんにちは、凛さん。ここは危ないですよ。小春さんと茜さんは、保健室へ。この人たちは、こちらで預かります」


日和は、そっとメガネの位置を直した。

その目は、いつもより、ずっと静かだった。


「魔力の濃度が、強すぎます。ここにいると、体に悪いですよ」

「……あなたは、なぜここに」

「同じ部屋のミヤビさんが、心配でしたから」


日和は、笑った。いつもの、普通の女の子の笑顔で。


(……遅いじゃない、日和)

『どこに連れていく』

(さあ。でも、あの子は、うちの人たちと繋がりがある。あと始末はしてくれるはずよ)


すべてが終わった夜。保健室の明かりは、落とされていた。


二つ並んだベッドで、小春と茜が、穏やかに眠っている。

小春の額には、温かいタオル。

茜の腕には、若干の包帯。

二人の寝息が、静かに重なっている。


俺は、すぐ近くの椅子に座っていた。


霧島先生が、入口のところに立っている。


「……侵入者は、すでに引き渡したと言う。拘束した者がいるのだろうが、詳細は、学園長からも何も聞かされていない。誰に引き渡されたのかも、だ。」


先生は、一拍置いて、俺を見た。


「君は、何を見た」

「……小春さんを、助けました。それだけです」

「そうか」


先生は、それ以上、何も聞かなかった。視線を、そっと逸らす。


「君たちを、守ることが、私の仕事だ。そのために君の情報を集めるのだと思っていた。だが、学園の中に、私の知らない目的を持つ者がいるらしい」

「……はい」

「これ以上は、言えん。だが、あとで必ず、話をしよう」


先生が去っていく。

廊下の先で、明りが、ゆらりと揺れた。


(珍しいわね、あなたが黙ってるの)

『……今回は、俺は役に立たなかったな。お前に任せっきりになってしまった』

(でも、あなたの突入は、格好よかったわよ)

『……褒められても、嬉しくない』


窓の外を見ると、月が、大きく浮かんでいた。


(……私の大事なものを、狙った。この借りは、返すわ)


私は、一人で、静かに誓った。

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