第10話「お目覚めと、嫌妬と、上級生」
朝の保健室は、窓から差し込む光で、白く温かかった。
「……ん、う。あれ、ここは……」
小春が、ゆっくりと目を開けた。茶色のショートボブが、寝癖でぴょんと跳ねている。
「おはよう、小春。よく寝てたわね」
私は、ベッドの端に腰をかけていた。昨夜からずっと、ここにいた。
「ミヤビちゃん!」
小春が、ばっと起き上がって、私の手をぎゅっと握った。
「あの、私、閉会式の前に……誰かにつれていかれて……」
「もう大丈夫。悪い人たちは、先生方が連れていったわ」
「……よかった。ミヤビちゃんが、助けてくれたんだね」
小春の目から、ぽつりと涙が落ちる。
私は、指先でそれを拭った。
「泣かないの。かわいい顔が台無しよ」
「えへへ……」
その隣で、もぞもぞと、赤い髪が動いた。
「……うるせえ。寝てる横で、ぎゃあぎゃあと……」
茜が、腕の包帯を気にしながら、上体を起こした。
「おはよう、茜ちゃん。痛む?」
「……痛くねえ。でも………」
茜は、布団をぐっと握りしめた。
「あたし、小春を助けようとしたのに、何もできなかった。あんたにも、凛にも、迷惑かけて」
「そんなことないわ。茜ちゃんが最初に走ってくれたから、小春を見つけられたんだもの」
「……へ?」
茜が、きょとんとした顔でこちらを見る。私は、身を乗り出して、茜の髪を撫でた。
「爆発音が、色んな人に届いたのよ。あなたは、ちゃんとヒーローだった」
「…………そ、そうかよ。へへ」
茜の耳が、ぽっと赤くなった。
「……朝から、楽しそうですね」
入口のところに、黒髪の少女が立っていた。
凛だ。手には、果物の入った紙袋。
「見舞いです。二人とも、無事でよかった」
「凛ちゃん。昨夜も、来てくれたわよね。ありがとう」
「……義務ですから」
凛は、そっぽを向いて、果物をベッドの横の棚に置いた。
でも、紙袋の中のリンゴは、形も大きさも揃った、とても良いものだった。
(あら、強がりさん)
『思っていても、口に出すな』
こうして、三人の女の子が、私の周りに集まった。
小春は私の右手を。茜は左手を。
凛は、少し離れたところで、ちらちらとこちらを見ている。
(……幸せ。人生の絶頂だわ)
『どうしようもないやつめ』
「――お疲れさまでした、ミヤビさん」
そのとき。ドアが開いた。
メガネの小柄な少女。
日和が、手に着替えの入った袋を抱えて立っていた。
「着替えを持ってきました。あと、冷蔵庫に、好きなプリンを入れておきましたよ。カラメル多めのやつ」
「あら、ありがとう。さすがね、日和」
日和は、すたすたと近づいてきて、私の寝癖を、慣れた手つきで直した。
「ここ、直しますね。いつも跳ねててるんですから」
「跳ねているのも可愛いでしょう?」
「はいはい」
この一連のやり取りが、あまりにも自然だった。
三人の空気が、ぴきっと凍りついた。
「……ミヤビちゃん。その人と、すごく仲良しね」
小春が、小さな声で言った。
「ルームメイトだから、それなりに私のことは知っているわ。日和のことは好きだけど、まだ[仲良く]なれていないの」
「それなりでプリンの味の好みを、知ってるのかよ」
茜が、腹の底から出たような声で、低く言う。
「……寝癖を直す手つきも、妥当と言い切れませんね。それなりの仲なら、あれはあり得ないです」
凛が、眼鏡のフレームをついと押し上げて、静かに言った。
「……わたしは、初日からのルームメイトですから、この程度は普通ですよ」
日和は、にっこりと微笑んで、答えた。
でも、その目は、笑ってはいなかった。
(……あらあら。面白いことになってきたわ)
『喜んでいる場合か』
(だって、この子たち、嫌妬してるでしょう? こんなに可愛いこと、ある?)
『……罪悪感というものが、お前にはないのか』
「みんな、いい顔してるわ」
私は、三人の顔を順に見回して、にこりと笑った。
「安心して。私は日和のことも好きだけど、あなたたち三人のことは、もっと特別よ」
「「「……」」」
三人の耳が、そろって赤くなった。
日和は、無表情のまま、角の窓を見ていた。
その後。
昼食のため、カフェテリアへ向かって、廊下を歩いていたときだった。
「あらあら。この子ですね、体育祭で、先生方に注目されていた子は」
おっとりした声。
振り返ると、廊下の真ん中に、緑髪の、おさげ編みの女子が立っていた。
ブレザーの袖が、少し長め。
焼きたてのパンのような、柔らかそうな頬。
笑うと、目尻がふわっと下がる。
(……お姉さん系ね。これは反則級に可愛いわ)
『落ち着け』
「こんにちは。初めまして、ね。生徒会の副会長をしている、千草です。三年生なの」
緑髪の先輩は、ゆったりとお辞儀をした。にこにこと、こちらを見ている。
「あなたのこと、前から気になっていたの。体育祭でも、とても印象的だったわ」
「あら、それは身に余る光栄。千草先輩のような素敵な方に、覚えていただけて」
私は、すっと一歩近づいて、千草の手をとった。
「はじめまして、私はミヤビ。千草先輩さとても、お美しい」
「あらあら。この子ったら、手が早いのね」
千草が、くすくすと笑う。拒む様子はない。とても、柔らかい手だった。
(……この人と[仲良く]なりたいわ)
「――ちょっと、ミヤビちゃん?」
背後から、低い声。
「「「手を離(しなさい)して」」」
振り返ると、小春と茜と凛が、赤い顔で、三方向から私の袖を握っていた。
「あんた、朝から、あれだけ言っておいて、もう別の女に手を出すのかよ」
「どうしようもない人ですね。先ほどのキャラと、今のキャラが合っていません。誠実さに欠けます」
「……ミヤビちゃん、私と約束したよね。さっき」
「あら、約束はしてないでしょう?」
「「「したでしょっ!」」」
千草が、お腹を抱えて笑い出した。
「うふふ、賑やかでいいわね。でも、そろそろ、私の連れも紹介していいかしら」
「――ふーん。これが、噂のミヤビってやつ?」
ついっと、千草の背中から、小さな影が顔を出した。
ピンクの髪を、高い位置で二つに結んだ、小柄な女子。幼い顔だちに、生意気な目。
「私は、二年生の桃香。生徒会の会計。記憶しておいてね?」
「私は可愛い女の子は忘れないのよ」
「な、な、な、何言ってんのよ!調子に乗ってると、痛い目にあうんだからね?」
(……かわいい)
『……こいつ。すでに[仲良く]する気でいるな』
「あら、桃香ちゃん。そんな状態で言っても、説得力がないわよ」
千草が、くすくす笑う。桃香は、ぶうっと頬を膨らませた。
「う、うるさいですよ、千草先輩!」
「さっきから、あなた、ミヤビさんの顔を、ちらちら見てるでしょう」
「見てないですっ!見てないってば!」
桃香の耳が、真っ赤に染まっていく。
(……チョロいわね、この子)
私は、すっと身を屈めて、桃香と目線を合わせる。
「でも、本当に見てくれてたのなら、嬉しいわ。あなたとも、[仲良く]したい」
「なっ――、仲良く!?意味がわからないわ! でも、ちょっとだけなら、……」
「「「ミヤビ(さん)(ちゃん)っ!」」」
三人が、同時に私の腕を引っ張った。
茜は左、小春は右、凛は後ろから袖を。
「やめろってば! これ以上、手を出すな!」
「ミヤビちゃん、私だけ見ててよ!」
「ミヤビさん、これは、風紀の問題です!」
「あら、あらあら」
千草が、楽しそうに目を細めた。
「こんなに愛されているのね。でも、あいにく。生徒会は、あなたのことを、もう少し詳しく知りたいと思っているの」
「……生徒会、ね」
「体育祭で、あなたが見せた魔法。変身系の魔法ではないわよね?それに誰でも扱える類の下等魔法でもない。そこが興味深かったの」
千草の目は、ゆるやかなままだった。
でも、その奥で、何かが、一箇所だけ、静かに光った。
(……この人、見た目より、じっと見てる)
『代われ。ここは俺が出る』
(え。もう少し、イチャイチャしたかったんだけど)
『代われと言っている』
(まぁ真面目な話は私に向いてないわね。交代)
――視界が揺れる。肩幅が広がり、髪が短くなる。体が重くなった。
俺は、袖を握った三人の手を、そっと解いた。
「……失礼しました。ミヤビと申します。生徒会のお話、承知しました」
俺は、深く頭を下げた。
千草の目が、わずかに見開かれる。
「あら。こちらの方も、とてもいいわね」
「……体質のせいで、苦労しています」
「ふふ。真面目で、節度がある。素敵ですよ」
(……ムカつくわ)
『黙っていろ。今は、お前の出番じゃない』
(だって、あなただけ褒められるのは、納得いかないもの)
『……真面目な話をしている時くらい、静かにしてくれ』
桃香が、ついとこちらを見上げた。
「……さっきと、全然違う。さっきはこう、フワフワしてたのに」
「桃香ちゃん。そろそろ行きましょうか」
千草が、桃香の肩をそっと引いた。
「生徒会室には、今週中に来てね。こちらから、招待状を出すから」
「ミヤビ。ちゃんと来るんだからね。遅刻したら、ゆるさないから」
桃香は、赤い顔のまま、ぷいとそっぽを向いた。
ピンクのツインテールが、元気に揺れている。
二人の背中が、廊下の先へ消えていく。
「……あの人たち、生徒会の、」
凛が、ノートを開きかけて、手を止めた。
「……調べる必要がありますね」
「あたし、あのちっこいのは、苦手だな」
「あの、でも、あの子、すごく、かわいい」
「小春さん。そこは、論点じゃありません」
三人が、それぞれの言葉を交わす。
俺は、その光景を、しばらく眺めていた。
(みんな私のこと考えてるわね)
『……本当にどうしようもないやつめ』
廊下の先の陰で、メガネの小柄な少女が、手元のスマホをそっと開いた。
「今週、生徒会。要注意、と」
送信。
静かな目だった。
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