第11話「生徒会長は、笑っている」
生徒会室の扉の前で、私は小さく深呼吸をした。
ここに来るまでに、すでにひと騒動あった。
「あたしも行く!」
「だめです。招待状には、ミヤビさんだけとありました」
「でも、ミヤビちゃん一人じゃ心配だよ」
茜と凛と小春が、廊下の真ん中で顔を見合わせていた。どうやら、ここまで追いかけてきたらしい。
「大丈夫よ。ちょっとしたお話だと思うから。戻ってきたら、みんなに報告するわ」
「……必ずですよ」
凛は念を押すように言いながら、ノートを取り出した。
私は三人の頭を順番に撫でる。
「はいはい。いい子で待っていてね」
「子ども扱いしないでよ!」
茜が抗議する声を背に、私は生徒会室の扉を開けた。
「やっほー! ようこそ、生徒会室へ!」
開けた瞬間、元気いっぱいの声が飛び込んできた。
室内の中央、大きな机の向こうで、水色の髪がぴょんと跳ねる。外向きにはねた毛先に、きらきらと輝く琥珀色の瞳。
腕章を斜めにつけた女子生徒が、満面の笑みでこちらに手を振っていた。
「来てくれてありがとう! わたし、生徒会長の蒼井ひなた! 三年生だよ!」
(元気いっぱいで可愛いわね)
『……騒がしいな』
(でも、可愛いわ。こういう明るい子、好き)
「初めまして。ミヤビです」
私は丁寧にお辞儀をした。
部屋には、ほかにも三人の姿があった。
窓際のソファでは、緑髪の千草が足を組んでこちらを眺めている。ピンクのツインテールを揺らす桃香は、書類の束を抱え、不機嫌そうに私を見つめていた。
そして部屋の奥では、黒髪ボブの地味な書記が、こちらに背を向けてお茶を淹れている。
「さあさあ、座って座って! お茶、飲む? お菓子もあるよ!」
「ありがとうございます。では、いただきます」
「やったー!」
ひなた会長は嬉しそうに手を叩き、さっそくお茶を注ぎ始めた。
――ところが、自分のコップに注ごうとした拍子に、ばしゃっと花瓶を倒してしまった。
「あっ、しまった! ごめんごめん!」
「……会長。落ち着いてください」
桃香がげんなりした顔でタオルを投げ渡す。
(ドジっ子ね)
『……そう見えるが、油断するな』
(あら、気づいているの?)
『花瓶を倒す直前、会長の視線がお前の手元を見ていた』
(ふーん、細かいところまで見ているわね)
『俺は常に周りを警戒しているんだ』
(貴方らしいわね)
私は何食わぬ顔でお茶を口に運んだ。
お茶とお菓子が行き渡り、ひと通りの雑談が終わった頃。
ひなた会長は、ぱんっと手を叩いて姿勢を正した。
「さてさて。そろそろ本題に入っていいかな?」
さっきまでの賑やかさが、ほんの少しだけ引っ込む。
「生徒会の仕事の一つに、『問題を起こしそうな生徒の監視』っていうのがあるの。毎年、新入生の中から何人かを選んで、様子を見ているんだ」
「……監視、ね」
「うん。で、今年の対象の一人が、あなた」
室内の空気が、すっと静かになった。
私はカップを置き、会長の目を見返した。
「理由を、聞いてもいいかしら?」
「もちろん!」
ひなた会長は、相変わらず明るい声で答えた。
「体育祭ですごく目立っていたから! それに、変身系の能力って聞いていたのに、魔法も物理もびっくりするほど強いし」
「……」
「さらに――」
そこで会長は、くすりと笑った。
「閉会式の直前、旧体育倉庫で何かあったみたいだしね。この学園の記録には、どこにも残っていないんだけど」
さっきまでの、どこか気の抜けた表情。
それが、ほんの一瞬で変わった。
琥珀色の瞳から、余計な感情が消えている。
(……この人、本質的に鋭い人ね)
『落ち着け。目を逸らすな』
私は内心の動揺を押し隠し、静かに答えた。
「別に何もなかったわ。友達を探しに行っただけ。」
「うん。そうだよね」
会長はあっさりとうなずいた。
「でも、その直後に、先生が三人と、真っ黒な服の人たちを外へ連れ出しているのを見た人がいるのよね」
「……」
「ただ、ここで詳しく話を聞くつもりはないよ」
会長は、再びにっこりと笑った。
「だって今日は、あなたを責めるために呼んだわけじゃないから」
明るく、無邪気で、親しみやすい笑顔。
けれど、その奥には、こちらの反応を見極めようとする鋭さがあった。
「だから、監視を。週に一度、生徒会室に顔を出してね。生徒会の誰かが、近くで様子を見るから」
「……ふーん、しっかり私を監視したいのね」
「形式的にはね。ただ、貴方を見守るための決まりだよ。よくあるじゃない、言葉のあやって!」
ひなた会長は楽しそうに笑う。
その琥珀色の瞳が、すうっと細められた。
「――でも、守るためには、こちらもあなたのことを知る必要があるでしょう?」
(なるほど。私を警戒しているだけじゃない。何かあったとき、対処できるようにしておきたいのね)
私は、くすりと笑って肩をすくめた。
「ふふ。可愛い会長さんに見守ってもらえるなら、悪い気はしないわね」
「でしょ?」
「でもね。守られるより、可愛いあなたを守りたいわ」
私は机越しに手を伸ばし、ひなた会長の手を取った。
そして、その甲に軽く口づけをする。
「…………え?」
水色の毛先が、ぴくりと揺れた。
琥珀色の目が、ぱちぱちと瞬く。
「な、な、なにを!」
桃香が書類を取り落として叫んだ。
千草は口元に手を当て、「あらあら」と楽しそうに目を細めている。
一方、ひなた会長は――。
「あはは! うひゃー! わたし口説かれてる?初めての経験だー!」
ぱっと顔を輝かせて笑った。
いつもの元気な声。いつもの明るい表情。
けれど、握られた手を引っ込めようとはしなかった。
「そっかそっか。じゃあ、わたしもあなたのことを見守りたいな。ちゃんと近くでね!」
(……口づけにも動じないなんて。この人、本当に手強いわ)
『……やりすぎだ。代われ。ここからは俺が話す』
(もう少し口説いてみたかったのに)
『相手が悪い。お前のペースでは、彼女をただ面白がらせるだけだ』
(……はいはい。交代)
私は意識を手放した。
視界が揺れ、髪が短くなり、肩幅が広がる。体が重くなり、目線が少しだけ高くなる。
俺はゆっくりと姿勢を正す。
「……失礼しました。ここからは、俺がお答えします」
「おっ! いつの間にか男の子になってる! すげぇ!」
ひなた会長は目を輝かせ、機嫌よく手を叩いた。
「これ、体格まで変わるんだよね? どうなってるの? 触っていい?」
「……やめてください。初対面ですので」
「あはは、だよね!」
会長は悪びれもせず笑った。
さっきまでの鋭い視線は、もうどこにも見当たらない。
「こっちの人、すごく真面目だね。さっきと全然違う。でも、どっちも嫌いじゃないよ」
「……変身の能力の一部ですので、気にしないでください」
「そっか。それは大変だね」
会長は、少しだけ声の調子を落とした。
「でも、監視だからって、詳しいことを無理に聞くつもりはないよ。約束する」
その言葉に、俺は会長の目を見た。
琥珀色の瞳は、さっきと同じようにこちらを見つめていた。
「だけど、目を閉じていても、先には大変なことが起きている。それだけは、分かっていてね」
俺は、返す言葉を見つけられなかった。
この人は、どこまで知っているのだろう。
そして、どこまで見通しているのだろう。
* * *
帰り際。
生徒会室の扉の横で、緑髪の千草が手を振って見送ってくれた。
「また来てね。今度は素敵なお菓子を用意しておくから」
「……ミヤビ。さっさと行きなさい。監視されているんだからね」
桃香は耳を赤くしながら、ぷいっと目を逸らした。
(……ねえ。最後に、ちょっとだけ)
『おい。まだ何かやる気か』
(はい、交代)
『待――』
俺の意識が引っ込む。
視界が揺れ、髪が肩に落ち、体が軽くなった。
私はくるりと振り返り、千草と桃香に微笑みかけた。
「千草先輩、桃香ちゃん。毎週会えるのが、今から楽しみで仕方がないの」
「あらあら。まあまあ」
千草は、目を細めて笑った。
「千草先輩の柔らかい笑顔が、今日の一番の収穫だったわ。次は、先輩の淹れたお茶もいただきたいわね」
「あら、困ったわねえ。楽しみが増えてしまうわ」
千草の頬が、ほんのり桃色に染まる。
私は満足して、今度は桃香に向き直った。
少しだけ背を屈め、目の高さを合わせる。
「桃香ちゃんに叱られるのも、楽しみなの。ちゃんと来るから、ちゃんと待っていてね」
「なっ――! ま、待ってなんかないっ!」
桃香の顔が真っ赤に染まった。
ピンクのツインテールが、ぴょんっと跳ねる。
「も、もう、早く行って!」
「ふふ。はーい」
私は満足して、今度こそ生徒会室を後にした。
『……お前な』
(なあに? ちゃんと挨拶しただけよ)
『……あれを挨拶と呼ぶのか』
(もちろん。人間関係は、第一印象が大切ですもの)
『絶対に違う』
(あら、失礼ね)
そんなやり取りをしながら、私は扉の前で一度だけ振り返った。
ところで。
お茶を淹れていた黒髪ボブの書記は、部屋の奥に立ったまま、こちらを見ていなかった。
……見ていない。
けれど、背中がどこか、こちらを意識しているように感じる。
(……あら。この子)
『どうした?』
(あの書記さん。お茶を淹れているとき、手が少しだけ震えていたの)
『どういうことだ』
(さあ。緊張しているだけかもしれないし、そうではないかもしれないし)
そのとき、部屋の奥から、ひなた会長の声が飛んできた。
「じゃあねー! また来週、会おうね!」
水色の髪が、ぴょんと揺れる。
琥珀色の目が、ちらりと書記の背中を見た。
その目は、笑っていなかった。
(……やっぱり)
『……あの会長、気づいているな』
(ええ。しかも、理解したうえで泳がせているわ)
扉が、静かに閉まった。
廊下の先では、待ちくたびれた三人の女の子が、こちらを見つけて声を上げた。
「「「ミヤビ!」」」
凛がノートを高く掲げる。
「結果を聞かせてもらいますよ」
茜が腕を組み、小春が心配そうに顔をのぞき込む。
私は三人を見渡して、ふっと笑った。
――この学園には、思ったより面倒な人たちがたくさんいる。
でも、この学園にいる理由は、まだ変わらない。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
11話の猛攻が漏れていたことに気づきました。




