第8話「体育祭、開幕」
秋晴れの空に、花火の音が鳴り響いた。
「――宣誓。我々選手一同は、学園の名誉を貴び、正々堂々と戦うことを誓います」
校庭の真ん中で、凛が黒髪を風に揺らして、選手宣誓を読み上げている。
学級委員長で、体育祭の実行委員も兼ねている。
(……やっぱり、凛ちゃんは絵になるわね)
『見とれている場合ではない。今日は俺が出る。予行演習の時のように、勝手に割り込むなよ』
(もちろん、面倒なことは任せるわ。信用ないの?)
『信用されるようなことをしていないだろう』
(それは、そうね)
私は、あくびをした。観戦席には、にこにこと赤いハチマキを締めた小春がいる。
(じゃあ、私は見てる。小春ちゃんの応援、聴いてるわ)
『今日は、それでいい』
午前の競技が、テンポよく進んでいく。
俺の出番は、二人一組の障害物レースだった。
「――よし、やるぞ、ミヤビ!」
スタートラインに立つ茜は、ハチマキを額に結び、やる気満々だ。
「……よろしくお願いします。今日は、最後まで俺で走ります」
「おう! 約束だぞ!」
茜は、拳をこちらに突き出した。俺も、それに拳を合わせる。
笛が鳴った。
茜が炎で泥池を蒸発させ、俺が壁の下で茜を持ち上げる。
前回の予行で身につけた息は、本番でもぴたりと合った。
「いいぞ! このまま行ける!」
第一コーナーを抜け、首位に躍り出た。観戦席から、歓声が上がる。
――そのときだった。
「……どいて、あんたたち」
背後から、低い声。振り返ると、別のクラスのペアが、すぐ後ろに迫っていた。
編んだ髪の少女が、手のひらをこちらに向ける。
「危ない、茜さん!」
突風が、横から叩きつけてくる。茜の体が、宙に浮きかけた。
「うわっ、風? インチキじゃねえかよ、これ!」
「妨害は、ルールの範囲内だけど?」
後ろの少女が、ニヤリと笑う。
そうだ。能力の使用は自由。妨害も「ルールの範囲」だ。
俺は、迷わず茜の手を握った。
茜の腕を、強く引く。
「踏ん張れ。俺が支える」
「でも、この風じゃ――」
「大丈夫だ。信じろ」
俺は、腹に力を入れ、足を地面に深くめり込ませた。重心を落とす。
この体は、こういうときには便利だ。
風が、耳を切って逸れていく。
茜の体が、地面に戻った。
「……やばい。あんた、すげぇ」
「まだ終わっていません。走りますよ」
「おう!」
(……やるじゃない)
頭の奥から、親しみのある声がした。
『黙って見ていろと言っただろう』
(でも、ちょっとだけ。あなたの走りは、悪くないわよ)
『……褒められても、嬉しくない』
俺は、走った。茜と走った。
最後の壁を越え、最後の直線に入る。
後ろのペアが、再び風を起こした。
「これ以上は、させない――」
俺は茜の背中を押し、自分は風と向き合う。
体を盾にして、茜を前へ押し出した。
「走れ、茜さん――!」
「……おう。あんたも、絶対、追いついてこいよ!」
茜が、炎を爆発させるように加速する。
俺も、風の壁を押し分けて、その後を追う。
ゴールテープが、眼前に迫る。
――二人同時に、テープを切った。
「「首位、赤組!」」
歓声が、耳を打つ。
茜が、俺の肩にどんと飛び込んできた。
「やったぞーーっ! ミヤビ! あんたと組んで、本当によかった!」
「……ありがとうございます。俺も、同感です」
茜は、拳を高く掲げて、俺の背中をぶんぶんと叩いた。
笑顔が、眼しい。
(……だめ。これは、さすがに許せない)
『おい。今日だけは、約束を――』
(約束した記憶は、ないわよ。はい、交代)
――視界が揺れる。髪が肩に落ち、体が軽くなる。
「茜ちゃん、おめでとう」
私は、茜の首に腕を回して、そっと抱きしめた。
茜の体が、ぴしっと固まる。
「…………え。あ、あんた、いつの間に……」
「さっきから。でも、約束は、ちゃんと守ったわよ。最後まで走ったのは、『彼』の方だもの」
「そ、そうだけど……ここで抱きつくのは……」
茜の耳が、真っ赤に染まっていく。
観戦席から、くすくす笑う声が聞こえた。
「こ、ここは、みんな見てるってば!」
「あら、見られたら困る?」
「……困らねえけど!」
この子は、どこまでも素直だ。
『……約束はどうしたと言いたいが、今回は許す』
(あら、珍しい)
『今回は、だ』
昼休みを挟んで、午後の部。
最初の競技は、玉入れだった。
「玉入れは、競技ルールの範囲内であれば魔法の使用は自由です。ただし、籠への細工や相手の妨害は禁止です」
凛の凛とした声が、スピーカーから響く。
実行委員長の説明は、いつも簡潔だ。
(あら、凛ちゃんのアナウンス、ちょっと素敵ね)
『聞き流すな。ルールをちゃんと聞いておけ』
(聞いてるわよ。つまり、妨害にならなければ何でもいいんでしょう?)
『……嫌な予感しかしない』
開始の笛が鳴る。赤い玉が、空に舞い上がった。
「えいっ!」
隣で、小春が玉を投げる。
小さな腕から放たれた玉は、ふわりと弧を描く。
そこへ、地面から細い蔦が伸びて、玉をやさしく籠まで押し上げた。
「入った! ミヤビちゃん、見て見て!」
「すごいわ、小春。植物とお友達ね」
私は、小春の頭をぽんぽんと撫でた。
小春の顔が、ぱっと明るくなる。
(さて、私も参加しないとね)
指先をひとつ、ひらりと動かす。
足元の玉が、一斉にふわりと浮き上がった。
私の周りに、赤い玉が、星のように回り始める。
「わあ……きれい」
「あら、ありがとう」
玉の群れが、まっすぐ籠へ吸い込まれていく。
観戦席から、歓声が上がった。
「そこまで! ミヤビさん、魔法の使用は構いませんが、籠の吸引は籠への細工にあたります!」
凛が、いつの間にか私のすぐ隣に立っていた。
腕を組み、鋭い目でこちらを見ている。
「あら、吸引じゃないわ。ちょっと、案内しただけ」
「それは、吸引です」
凛が一歩踏み出す。距離が、近い。
黒髪から、ほのかに石鹸の香りがした。
「……わざと、ですね」
「ええ。凛ちゃんに、近くで叱ってもらいたくて」
「なっ――」
凛の耳が、ぽっと赤くなった。
「か、からかわないでください! 失格にしますよ!」
「あらあら。じゃあ、大人しくするわ」
私は両手を上げて見せる。
凛は、ふん、と顔をそむけた。
そのあと、声を落として呟く。
「……さっきの魔法は、少しだけ、綺麗でした」
(あら)
『今のは、素直な感想だったな』
(ええ。やっぱりとっても可愛いわ、この子)
結果は、赤組の圧勝。
それでも、私は、小春の笑顔と凛の耳の赤さを、何度も思い返していた。
続いては、騎馬戦だった。
「騎馬戦は、三人で馬を組み、一人が騎手となる。ハチマキを奪われた馬は、脱落とする」
「ミヤビ、あたしと組もうぜ!」
茜が手を挙げる。
その後ろには、小春と、不機嫌そうな凛。
「……実行委員の都合で、人数が足りませんでした。仕方なく、です」
「ふふ。じゃあ、先頭は茜ちゃん、右は小春、左は凛ちゃん。騎手は、もちろん私ね」
『待て。俺は騎馬のほうがいい。体力があるぞ』
(私が騎手をした方が勝率が高いと思わない?)
『……そうだな』
(だから、今日は私が上。可愛いお気に入りの三人に担がれて、ちょっといい気分)
『お前というやつは』
三人の少女が、一斉に私の足を支え、ぐっと持ち上げた。茜の肩、小春の腕、凛の手。
どの感触も、少しずつ違って、心地いい。
(最高だわ)
『いい加減にしろ』
(いいじゃないの。役得を味わってるのよ』
「重くねえか?」
「全然。私、とても軽いわよ」
「……嘘つき」
凛が、小さく呟いた。
笛が鳴り、騎馬戦が始まる。私は、上から、見下ろした。
「茜ちゃん、右の馬に突っ込んで!」
「おう!」
茜が、炎の勢いで踏み込んだ。
右手の馬が、のけぞる。
私は指先でハチマキの結び目にこっそりと魔力を送って、するりとほどいた。
「取ったわ」
「やった! ミヤビちゃん、すごい!」
小春が、足元で声を弾ませる。
「次は、左よ、凛ちゃん、少し左に寄って」
「……指示が、的確すぎます。腹が立ちます」
「ふふ、ありがとう。褒め言葉として受け取っておくわ」
三つ目のハチマキまで順調に奪った。
そのとき、背後から、鋭い風が吹いた。
「――きゃっ!」
小春の足元が、ぐらつく。
茜も、凛も、風に押されて体勢を崩した。
私は、馬の上で、大きく傾く。
『まずい。代われ』
(……仕方ないわね)
『やっと素直になったな』
(3人を失望させるわけにはいかないもの。はい、交代)
――視界が揺れる。肩幅が広がり、体が重くなった。
「うわっ、重っ!?」
茜が、悲鳴のように声を上げた。
「すまない。だが、持ちこたえてくれ」
俺は、重心を低くして、馬の上でバランスを取った。
三人の肩に、体重がずしりとのしかかる。
「……ミヤビさん、今、男性の姿になりましたね」
「そうだ。凛さん、支えてくれ」
「承知しました。ですが、重いです」
「すまない」
「で、でも、ミヤビくんのほうが、安心するよ」
小春が、足元から、そっと笑った。
『……聞いていたか』
(聞いてたわよ。腹が立つわ)
『静かにしていろ』
俺は、腕を伸ばした。
風を切って突っ込んでくる敵の馬の、ハチマキを、一瞬で掴み取る。
「取った」
「やったーー!」
三人の声が、重なった。
結果は、赤組の勝利。
馬を降りた俺を茜が、俺の背中を、またばんばんと叩いた。
「あんた、重いけど、頼りになるぜ!」
「……光栄です」
凛は、そっぽを向いたまま、ぼそりと言う。
「……重さは、安心感とも、言えますね」
(あら、凛ちゃんが、素直)
『……凛さんには直接いうなよ』
最後の競技は、借り物競走。
強い日差しの中、スタートラインに少女たちが並ぶ。
スタートラインに、茶色のショートボブの小柄な少女が立っている。小春だ。
「「ヨーイドン」」
笛と同時に、小春は、一目散に走り出した。
コースの途中のテーブルに置かれた、いくつもの封筒。
(あら、小春ちゃん、心配そうな顔をしてるわ)
小春は、封筒を一つ取って、中身を見た。
そして、固まった。
「……え。これ、どうしよう……」
小春の顔が、ぽっと赤くなる。
そのとき、窓際のテーブルの前で、もう一人、対照的な黒髪の少女が、封筒を広げていた。
(……あら。凛ちゃんも、出てるの)
『実行委員長が、競技に参加するのか』
(人手不足で、しぶしぶ。でも、真面目にやってるのね)
凛は、封筒の中身を見て、眉をひそめた。
そのあと、小さく、深呼吸。
二人は、ほぼ同時に顔を上げた。
視線が、観戦席の私にぶつかる。
「……ミヤビさん」
「ミヤビちゃん、お願い。一緒に来てくれる?」
小春と凛が、同時に手を伸ばしてくる。
「……ところで、お題、なんと書いてあるの?」
私が訪ねると、小春は、真っ赤になって見せた。
「「一番、気になる人」です……」
凛は、すっと目を逸らした。その耳が、わずかに赤い。
「……私のも、同じです」
観戦席が、しんと静まり返った。
(……あら。これは、素敵な展開)
『黙れ。ここは、俺が――』
(だめ。ここは、私の出番よ)
私は、ゆっくりと立ち上がった。
小春の手を取り、凛の手を取り、それぞれの手の甲に、軽く口づける。
「――どちらも、一緒に行くわ」
「「え?」」
「二人とも、一番気になる人よ。でも、割り切って、三人で走ってくれる?」
顔を赤くした二人が、同時に首を振る。
「こ、これはルール違反です!」
「……でも、ちょっとだけ、許す、かも」
凛と小春が、顔を見合わせる。
そして、同時に、小さく笑った。
(……あら。この二人、ちょっと仲良くなってる)
『……お前はそれでもいいのか?』
(だって、面白いでしょう)
『……そうだな。今日は、悪くない一日だ』
三人で走る人影を、観戦席の端から、メガネの小柄な少女が、静かに見つめていた。
手元のスマホに、短い一文を打ち込む。
「本日も、異常なし。ミヤビ、友人との距離、順調」
送信。
その目は、いつもより、すこしだけ、柔らかかった。
閉会式の準備で、校庭が慌ただしくなってきた。
「ミヤビちゃん、ごめん。ちょっと忘れ物しちゃった。すぐ戻るね」
小春が、赤いハチマキをほどきながら、駆けていく。
「あら、いってらっしゃい」
私は、手をひらひらと振って見送った。
五分たった。
十分たった。
閉会式が始まっても、小春の席は空いたままだった。
『……遅いな』
(そうね。迷子にでもなってるのかしら)
『嫌な予感がする』
(……私もよ)
席の下に、赤いハチマキだけが、ぽつんと落ちていた。
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