第7話「炎の、ウブな拳」
「――今日の実技は、体育祭に向けた予行練習だ」
グラウンドに、霧島先生の声が響く。
今日の競技は、二人一組の障害物レースだった。
コースには、壁と、泥池と、魔法で動く装置。
能力の使用は自由だが、ペアのどちらか一人でも脱落したら、失格になる。
「組み合わせは自由に決めていい」
その一言で、校庭が一気にざわついた。
(あら、自由に組めるのね。じゃあ、私は小春と組むわ)
『待て。小春さんは、もう別の子と組んでいる』
見ると、小春は誘いに来た長い三つ編みの子と手を取り合っていた。
こちらを見て、申し訳なさそうに、小さく手を合わせる。
(……先を越されたわ)
自分のものを奪われた気がして少し嫉妬を滲ませる。
『自業自得だ。いつもいつも、相手を待たせるから』
「おーい、ミヤビ!」
ジャージ姿の茜が、手を大きく振って走ってくる。
赤い髪を高い位置で結び直した、やる気満々の姿だ。
「あたしと組まねえか? あんたとなら、予行演習とはいえ、絶対一位になれると思うんだ」
「……光栄です。よろしくお願いします」
俺が答えると、茜は、怪訝な顔をこちらを見た。
「……今、男のほうだよな」
「はい。見ての通り、今は俺です」
「よしっ。じゃあ、こっちと組めてよかった」
茜は、ほっとしたように笑った。
その笑顔は、男子と話しているときの、明るくて拘りのないものだった。
(……へぇ。なるほどね)
『何が』
(私のときだけ、急にガチガチになるのに。男のあなたの前では、こんなに素直なのね)
『素直でいいだろう。お前が話しかけると、彼女は恥ずかしくなって話しにくいだけだ』
(あら、失礼ね。でも、それが可愛いのよ)
『どうでもいい。今は、競技に集中させろ』
スタートの笛が鳴る。
「行くぞ、ミヤビ!」
茜が、炎をともした踏み込みで、一気に飛び出す。
俺はその背中を追い、最初の壁に手をかけた。
「踏み台になる。足を貸せ」
「おうっ!」
俺は両手を組んで茜の足を押し上げる。
壁の上に躍り出して、茜が、俺の腕を引き上げる。
「どうだ! 息ぴったりだろ!」
「ああ。悪くない」
拳を合わせる。手のひらが、熱い。
(……ムカつくわね)
『何がだ』
(だって、ずるいじゃない。私の茶色の子も、この子も、凛ちゃんもあなたの前では、あんなに安心した顔をするのに)
『「茶色の子」は、小春さんだろう。名前で呼べ』
(うるさい。とにかく、ムカつくの)
二つ目の壁を越え、泥池の前では、茜が炎で泥を蒸発させて道をつくった。
俺は、その上を走り抜ける。
この体と、この子は、相性がいい。認める。
ゴールまで、あと少し。
(――でも、絶対に、このままはさせない)
『おい、待て。さっきの話聞いてなかったのか――』
(はい、交代)
――視界が揺れる。髪が肩に落ち、体が軽くなった。
「茜ちゃん、お疲れさま。ここからは、私と走りましょう」
私は、茜の手を、そっと取った。
茜の足が、ぴたりと止まる。
「……え。あ、あんた、今、……」
「どうしたの? 走らないと、ゴールできないわよ」
「で、でも、手……つないでる……」
茜の顔が、真っ赤に染まっていく。
耳も、首も。
「こうしたほうが、息を合わせやすいでしょう?」
「う、うるせえーーー!」
茜の左足と右足が、同時に前へ出た。
躍って、そのままこけそうになる。
「あら、危ない」
私は、茜の腕をとっさに引き、腰のあたりを抱えた。茜の顔が、私の胸の上にぱっと落ちる。
「…………や、やめろよ……」
「ふふふ。ここからは、抱っこで走りましょうか」
「だ、だめだって……ここでこんな……」
茜の心臓の音が、腕を通して伝わってくる。
はやい。とても、はやい。
(……かわいい)
『おい。このバカ。前を見ろ』
(あら、ぶつかってはいけないのね)
この時。
コースの最後の壁が、目の前で、ゆっくりと動き始めた。
「――失格だ、ミヤビ、茜。ペアの相手が戦闘不能になっている」
霧島先生の声が、メガホン越しに響いた。
「……あら。やっちゃった」
「やっちゃったじゃねえよ! あんた、わかっててやってるだろ!」
茜が、真っ赤な顔で、私を睦み付ける。
「さあ、どうかしら。でも、嫌だった?」
「…………嫌じゃねえけど!」
(……どうして、ここで素直なのよ)
『だから言っただろう。競技中に出るなと』
(はいはい。交代してあげる。謝りに行ってきなさい)
『……言われなくても、行く』
(はい、交代)
――視界が揺れ、肩幅が広がる。体が重さを取り戻す。
「……申し訳ありませんでした」
俺は、茜に深く頭を下げた。
「……べ、別に謝んなくていいよ」
茜は、そっぽを向いたまま、小さく笑った。
「でも、レース、楽しかった。あんたと組めてよかった」
「……俺も、同感です」
「へへ。じゃあ、本番も、あんたと組むからな!」
(……それは、ちょっと、許せないわね)
『どうして、一日に二回も、俺を邪魔者扱いする』
(だって、ムカつくんだもの。茜ちゃんも私のものなのに)
『……お前のものではない』
この夜。寮の部屋。
「――日和」
私は、二段ベッドの下の段から、上の段に身を乗り出した。
日和は、読書用のライトをつけたまま、丸いメガネ越しにこちらを見た。
「はい、ミヤビさん。どうしましたか」
「今日のレース、見てた?」
「はい、見ていました。茜さんと、とても息のあったペアでしたね」
「そうでしょう? でも、私が一番に仲良くしたいのは、日和よ」
私は、日和のベッドの端に腕をかけ、顔を近づけた。
「ここに来たときから、ずっと気になってた。あなたとは、もっと、[仲良く]したい」
「ありがとうございます」
日和は、穏やかに微笑んだ。いつもと、同じ。色も、声の高さも、目の動きも。
「でも、ミヤビさん。それは、今日の茜さんへのやり方と、同じですね」
(……あら)
「同じ、って?」
「走りながら、他のことを考えていましたよね。手を取って、手を抜いて、相手の心を先に見る。ですから、私にも、ここにいるから、同じことをするんですね」
日和は、すっとメガネを外した。
静かな目だった。
色の薄い目の奥に、何かが、ゆらゆらと激しく動いている。
「――私は、あなたの内側を、すべて見ていますから」
私の背筋に、冷たいものが走った。
「だから、このやり方では、落とせませんよ。ミヤビさん」
「……」
「代わりに、ここに来たときの話を、聞いてくれますか?」
日和は、ふと、いつもの笑顔に戻った。メガネを、かけ直す。
「なんて、冗談ですよ。おやすみなさい、ミヤビさん」
私は、寝具の中に戻り、天井を見上げた。
(……なかなか靡かないわね)
『当然だ。あいつは、お前より、ずっとここのことを知っている』
(ここのこと、って)
『……あいつの目は、なんだ。見た目の内側を見る、とは』
(さあ。でも、自分から言ったんだもの。いつか、話してくれるでしょう)
私は、目を閉じた。
わずかに、ベッドの上で、日和が寝返りを打つ音がした。
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