第6話「職員室の調査会議」
放課後の職員室は、想像より、ずっと静かだった。
俺は手を体の前で組み、担任の霧島先生の机の前に立っていた。
縦に並んだ資料と、モニター。
そして、なぜかもう一人。
「……凛さん。どうしてここに」
「先生に呼ばれました。学級委員長として、協力する義務がありますので」
凛は、ノートを腕に抱えて、背筋を伸ばしていた。
顔には、いつもの無表情。
でも、目の奥に、小さな火がある。
(……あら、凛ちゃんまで来てるの)
『起きたのか』
(賑やかな場所ですもの。寝ていられないわ)
『今は黙っていろ。ここは俺の場だ』
(はいはい。でも、ピンチになったら代わってあげるわ)
「さて、ミヤビ」
霧島先生が、モニターから目を離した。
「君を厳しく問い詰めるつもりはない。先にこちらから、分かったことを共有する」
「……はい」
「まず、魔力の測定結果だ」
先生は、モニターに波形のグラフを映した。青と赤。二種類の線が、重なっている。
「入学時の検査では、『変身系』という記録だった。だが、先日の花壇で見た魔力は、明らかに違う。精神干渉と、高度な魔法理論の領域だ」
「……どちらも、自分の能力です」
「そうだろう。では、なぜ検査のときに、変身系しか出なかったのか」
俺は、答えに詰まった。
(……それは、入学前の検査で、私が出てなかったからよ)
『おい、黙っていろと――』
(だって、嫌だったもの。あんなところで、体を測られるの)
「……答えられない部分があります」
「そうだろうな。今はそれでいい」
先生は、意外とあっさりと頷いた。
「次は凛さん、観察記録の報告をお願いする」
「はい」
凛は、ノートを開いた。
紙面には、びっしりと小さな文字。
「観察開始から、今日で七日目です。ミヤビさんは、明らかに二つの人格を持っています。口調、視線の動かし方、歩く際のリズム、選ぶ食べ物、すべてが異なります」
「……どちらが主導権を持っている?」
「女性の人格です。入れ替わるとき、出る方が自分で判断している様子はありません。いつも、女性の人格が先に動きます」
「……よく見ているな」
「ずっと観察していましたから」
凛は、まるで褒められたとも思わないような顔で、続けた。
「ただし、原因は不明です。先天的なものか、後天的なものか。術式を使った形跡があるのか、そこまでは、まだ」
(……原因は不明、ですって。ねえ、ちょっと出てもいい?)
『駄目だ。先生の前だぞ』
(凛ちゃんが、あんまり真剣な顔をするんだもの。少しだけ、からかいたいの)
『おい、やめ――』
(あなたに拒否権はないわ。はい、交代)
――視界が揺れる。髪が肩に落ち、体が軽くなった。
「あら。私のこと、そんなに詳しく調べてくれたのね。嬉しいわ」
私は、わざと小首を傾げて、凛に微笑みかけた。
凛のペンが、ぴたりと止まる。
「……今、入れ替わりましたね」
「ええ。だって、私の話をしているんだもの。本人が聞かなきゃ失礼でしょう?」
「ミヤビ、ここは職員室だ」
先生が、咳払いをした。私は気にせず、凛のノートに指先を伸ばす。
「ねえ、凛ちゃん。原因は不明、って書いてあるけれど。私が可愛いから、じゃだめかしら?」
「……ふざけないでください」
凛の耳が、うっすらと赤くなった。
それでも、視線は逸らさない。
「ふふ、そういうところ、大好き」
(満足したわ。じゃあ、あとはお願いね)
『……毎回、これだ』
(はい、交代)
――視界が揺れ、肩幅が広がる。体が、重さを取り戻した。
「……失礼しました。続けてください」
俺は、深々と頭を下げた。
先生は、苦笑しながら頷いた。
凛は、まだ少しだけ頬を染めたまま、ノートに視線を落としている。
「ありがとう。こちらの資料と、おおむね一致する」
先生は、穏やかに笑った。
「これで、こちらの調査と観察の結果が、一つに重なった」
――それでも、核心は、まだ触れられていない。
俺は、小さく息を吐いた。
「次は、入学前の資料を見てみる」
先生が、キーボードを叩いた。モニターに、学籍簿のページが映る。
出身、保護者、前所属、能力登録。ここに、すべてがあるはずだ。
「……おかしい」
「どうしましたか」
「今朝は見られたのだが。閲覧制限が、かかっている」
モニターに、赤いアイコン。「閲覧権限がありません」。
凛の眼が、小さく細められた。
「保護者からの要請ですね。学園長の承認もあるようです」
「学園長は、今朝は不在だったはずだが。いつの間に……」
先生の眉間に、盛り上がった皺。
(……あら、やっぱり来たわね)
『何の話だ』
(このタイミング。誰かさんが、先回りしてるのよ)
そのとき。
「失礼します。霧島先生、寮の件でご報告があります」
ドアが開く。メガネの小柄な少女が、資料を抱えて立っていた。
「日和さん……」
「こんにちは、ミヤビさん。こちらにいらっしゃったんですね」
日和は、いつもの穏やかな笑顔で、先生に一礼する。
「寮の設備点検の報告です。ミヤビさんと同じ部屋のエアコンが、少し調子が悪くて。こちらで修理の申請をさせていただきたくて参りました」
「……そうか。ありがとう」
先生は、報告書を受け取って、一瞬だけ、見ていた。
日和の手元を。
「では、後ほど修理依頼を手配しておく」
「はい、お願いします」
日和は、俺のほうをちらりと見て、微笑んだ。
「ミヤビさん。早めに戻ってください。今日は、あまり遅くならないように。美味しいものを用意してますから。」
そう言い残して、日和は職員室を後にした。
――部屋の空気が、少しだけ、軽くなった気がした。
(……やるじゃない、日和)
『お前、あの子のことを、どこまで知っている』
(お目付け役でしょ。ことのあらましは、なんとなく最初から分かってたもの)
『……だからなのか。資料が見られなくなったのは』
(誰かが、今この際に、先生の目を塞いだ。でも、あの子には、まだそこまでの権限はないはずよ)
『……どういうことだ』
(ここには、寮の外の誰かが干渉しているってことよ。結構、面白いでしょ)
こいつは、結構どころではないところを、楽しんでいる。
「……ミヤビ。今日はここまでにしよう」
先生が、モニターを閉じた。
「資料が開けないなら、こちらの調査は一旦停止だ。だが、これで終わりではない」
「……はい」
「君を傷つけるつもりはない。ただ、教師として、生徒の事情を把握しておきたいだけだ」
先生の目は、嫌味でも試しているでもなかった。
だからこそ、厄介だ。
「先生」
凛が、静かに口を開いた。
「私は、引き続き観察を続けます。先生の調査が止まっても、私の調査は止めません」
「……そうか。無理はするなよ」
「承知しています」
凛は、俺のほうに顔を向けた。
「ミヤビさん。あなたが困っていることは、理解しています。でも、観察はやめません」
「……そうですか。でも、ありがたいとも、思います。[彼女]をよく見ておいてあげてください。」
凛の目が、一瞬だけ、見開かれた。すぐに、顔を背ける。
「……失礼します」
足早に職員室を出ていく。
耳元が、わずかに赤い。
(……あら、またあなたが凛ちゃんの気を引くのね)
『黙れ。今は大事な話のあとだ』
(はいはい。でも、彼女には、またちょっかいを出しに行くわよ)
『……好きにしろ。ほどほどにな。』
寮の部屋に戻ると、日和は、修理したばかりのエアコンの下で、本を読んでいた。
「おかえりなさい、ミヤビさん。職員室、どうでしたか」
「どうもこうも。あなたのおかげで、調査は止まったみたいよ」
私は、後ろ手にドアを閉めて、微笑んだ。
「何のことでしょう」
「とぼけるのが上手ね。メガネの奥の目も、笑ってなかったもの」
日和は、本を閉じて、おっとりと首を傾げた。
「あなたを守るのが、私の仕事ですから。両親から、頭を下げられていますので」
「……あら。まだ何も聞いていないけれど」
「あなたは、もう気づいているでしょうから」
日和は、ふふっと笑った。いつもの、普通の女の子の笑顔で。
「でも、これ以上は、教えませんよ。この学園では、あなたは、可愛い子を口説くだけの、普通の生徒でいてください」
「……あら、優しいこと」
「文句は、あなたを愛するパパとママに言ってください」
(……パパとママ、ね。やっぱり)
『次にあいつと話すときは、俺も同席させろ』
(どうぞ。でも、答えは、きっと同じよ)
私は、窓の外を眺めた。
夢見る学園生活は、思ったより、走りにくい。
この学園には、可愛い子と、秘密と、これから起きることが、たくさんある。
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