第4話「誠実な方と、そうでない方」
朝の音は、いつもこういう音で始まる。
「……ミヤビさん、起きてください。朝ですよ」
カーテンが開かれる音。朝日が瞬きを刺す。目を開けると、メガネをかけた薄茶髪の少女が、こちらを見下ろしていた。
二段ベッドの下の段が、私の寝場所。上の段で起きたところを見ているのは、ルームメイトの日和だ。
「……あと五分だけ」
「そう言って、昨日も五分で起きていませんでしたよね」
日和は、穏やかに微笑んでいる。色の薄い髪を一つに結んで、丸いメガネ。能力は「ちょっと目がいいだけ」と自己紹介していた。この学園にしては珍しいほど、普通の女の子だ。
(……起きたら、朝から可愛い子がいる。幸せね)
『次の朝食の当番が、日和さんだと言っていただろう。起きろ。手伝う』
(あら、優しいのね。でも、あなたは寝ていていいわよ)
『体を使うのは俺だろう』
私は、『彼』を無視してゆっくり体を起こした。日和との時間を奪われるのは、日和は、先にトーストを焼き始めている。
「日和。いつもありがとう。あなたと一緒の部屋でよかったわ」
私は、彼女の肩に手を置いて、耳元で囁いてみる。
「あなたのこと、すごく好きになりそう」
「はい、ありがとうございます。バター、つけますか?」
――動じない。
(この子、全然効かないわね。一週間、毎朝やってるのに)
『慣れているだけだろう。日和さんは負担に思っていないか、心配だ』
(あなた、日和には、いつも丁寧ね)
『当然だ。同じ部屋の人間だ』
日和は、トーストを皿にのせながら、ちらりとこちらを見た。
「ミヤビさん、今日は、どちらのミヤビさんですか?」
「……どうして、そう思うの?」
「目がいいですから」
日和は、ふふっと笑った。はぐらかされたような、そうでもないような。
(……この子、普通に見せるのが上手いのね。本当は、そうじゃないくせに)
『何の話だ』
(いいえ、独り言)
この時は、まだ気にしていなかった。日和が何者であるかを。
放課後。学級委員の仕事で、凛が大量のプリントを抱えて歩いていた。
(ねえ、あれ手伝ってきて)
『お前が行けばいいだろう。凛さんはお前に会いたがっているはずだ』
(だからよ。今の私が行ったら、また観察されて終わりじゃない。あなたなら警戒されないでしょ)
『……つまり、面倒だから押し付けたいだけだな』
(まぁいいじゃないの。役得よ?はい、交代)
視界が揺れ、体ががっしりと重くなる。俺は小さくため息をついて、廊下を駆けた。
「持ちます」
凛が驚いたように振り返る。プリントの山を半分、黙って受け取った。
「……ミヤビさん。今は、あなたの方ですか」
「はい。重そうでしたので」
凛は何か言いかけて、口を閉じた。ノートを開く気配はない。
資料室に着き、二人で棚に並べていく。しばらく、紙の擦れる音だけがした。
「ひとつ、聞いてもいいですか」
「答えられる範囲でなら」
「あなたは、あの人――もう一人のミヤビさんが何をしているか、知っていますか」
俺は、手を止めた。嘘をつくのは苦手だ。
「……全部、知っています。頭の中で聴こえていますので」
(ちょっと、余計なこと言わないで)
「それは、同じ体に二人いる、ということですか」
「はい。ただ、入れ替わるかどうかを決めるのは、向こうです。俺には決められません」
凛の手が止まる。ペンを持っていないのに、書き留めるような目をしていた。
「……あなたは、それで困っていないのですか」
「困っています。毎日」
思わず本音が出た。凛の口元が、ほんの少しだけ緩んだ。
「正直な人ですね。あちらの方とは、まるで違う」
「あいつは、あいつなりに誠実な部分もあります。口説く相手に能力を使わない、とか」
「それを誠実と呼ぶのですか」
「……少なくとも、信念はあります」
凛は小さく息を吐いて、棚に最後のプリントを置いた。
「あなたとなら、落ち着いて話ができます。これからも、観察に協力していただけますか」
「俺でよければ」
(――ストップ)
頭の奥で、低く冷えた声がした。
(私の凛に、何を笑いかけてるの)
『お前のものではない』
(………はい、交代)
『おい、今は――!』
視界が揺れ、髪が肩に落ちる。体が軽くなる。
凛は目を見開いたまま、一歩下がった。
「……今、入れ替わった。きっかけは、私の言葉ではない。内側から、ですね」
「あら、見てたの。よく気づいたわね」
私は棚に手をついて、凛との距離を詰める。
「ずるいわ。私には、そんな顔を見せてくれないのに」
「……何の話ですか」
「さっき、笑ってたでしょう。彼の前で」
凛の耳が、わずかに赤くなった。すぐに表情を戻して、私を睨み返す。
「笑っていません。それに、あなたに向ける顔は、観察対象に向けるものです」
「ふふ、じゃあ私は特別な観察対象ね」
『……嫉妬するな』
(………別にしてないわよ)
凛は鞄からノートを取り出して、何かを書き込んだ。
覗き込もうとすると、さっと閉じられる。
「入れ替わりの主導権は、ミヤビさん本人にある。そして、二人の間には対立がある。それだけは、確かめられました」
「十分すぎるくらい、鋭いわ」
私は笑ったまま、内心で小さく舌を打つ。
――この子は、男の方に心を開き始めている。
簡単には渡さない。可愛い女の子は全て私のものよ。
寮に戻ると、日和は、二段ベッドの上で座っていた。
「おかえりなさい、ミヤビさん。今日も、お疲れでしたね」
「ただいま。メールでもしてたの?」
「いえ、実家への連絡です」
日和は、何でもないように、スマホの画面を伏せた。
ちらりと見えた画面に、短い一文があった。
「本日も異常なし。ミヤビ、立ち回りは悪くないです」
(……あら)
『見たか』
(見たわよ。とっくに気づいてたけど)
『いつからだ』
(初日から。でも、放っておくわ。面白いもの)
『……お前は、どこまでも楽しむのか』
私は、そっと目を閉じた。
日和という子が、普通の女の子ではないことは、もう分かっている。
でも、それをこちらから暴くのは、もったいない。
この学園には、可愛い子と、秘密が、思ったよりたくさんある。
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