第3話「観察者と、隣の席」
模擬戦の翌日。教室に入ると、いつもと違う視線を感じた。
窓際の席。黒髪をきっちり結んだ少女が、ノートを広げたままこちらを見ている。凛だ。
(あら、また見てる)
『気のせいではないな。昨日からずっとだ』
(ふふ、可愛い。私こと好きなのかしら?)
『お前はそればかりか』
とりあえず今は、気づかないふりをしておく。席に座ると、隣の小春がぱっと顔を上げた。
「おはよう、ミヤビちゃん!」
「おはよう、小春。今日も寝癖、ついてるわよ」
「えっ、うそ!」
慌てて髪を押さえる小春の手を、私はそっと手で払い、ショートボブの毛先を指で直す。
「ほら、これでいい」
「あ、ありがとう……」
小春の頬が、ほんのり染まる。かわいい。何度見ても飽きない。
「あのね、ミヤビちゃん。昨日の試合、すごかったね。あたし、びっくりしちゃった」
「あら、見てくれてたの?」
「うん! 変な言い方だけど、ミヤビちゃん、二人いるみたいだった」
――鋭い。
(この子、純粋なだけじゃなくて、勘もいいのね)
『感心している場合か。誤魔化せ。「体質」で通せ』
「ふふ。秘密よ、小春。でも、あなたにはいつか教えてあげる」
「えっ、ほんとう? やったあ!」
小春は、ふわっと嬉しそうに笑った。この笑顔を、誰にも渡したくない。
その間も、背中に刺さる視線は消えない。私はわざとゆっくり振り向いて、凛と目を合わせた。
にこり、と微笑み、手をふりふりと振る。
凛は一瞬だけ目を見開き、すぐにノートへ視線を落とした。ペンが走る音がする。
(ほら、観察されてる。何て書かれてるかしら)
『たぶん「二重人格の疑い」だろうな』
(失礼ね。「魅力的な同級生」でしょ)
満員バスのような人ごみで、購買はごった返していた。
朝の授業開始前。
購買は人気で、名物のパンは毎日、完売必至になる。あと三分で、最後の一個がなくなる。
(――やっぱり、あれが欲しいわ)
『やめろ。起きる前に並べばいいだろう』
(起きるのが遅かったのは、あなたでしょう)
『……否定はしない』
私は、人ごみの前で、指先をぱちりと鳴らした。
すると、人の波が、自然に左右へ割れた。誰も違和感を覚えない。ただ、「ここは通してあげよう」と思うだけ。
「ありがとう。このパン、いただくわ」
カウンターの端に残っていた最後の一個を、ひょいと手に取る。
『……効率がいいのは認めるが、能力の使い方としては不純だ』
(これでいいの。見た目も言葉も、誰も傷つけていないでしょう)
『人を洗脳したりしないんだろうな』
(当然よ。そんなしょうもないことに使わないわ。でも私の邪魔をするなら、わからないけれど。それに私は女の子を口説くのに流儀があるの、言葉と仕草、そして心だけで口説くというね)
このルールだけは、どんな時でも破らない。たとえ、どんなに欲しい子の前でも。
可愛い子が、私を選んでくれるかどうか。それをズルで手に入れたら、つまらない。
休み時間、私は凛の机の前に立った。
「ねえ、凛さん。昨日からずっと私を見てるわよね」
「……見ていません」
「嘘。ノートに何を書いてるの?」
私は身を屈めて、ノートを覗き込む。凛が慌てて閉じようとするが、遅い。
『観察記録:ミヤビ。入れ替わり条件不明。人格差、顕著。精神操作の可能性──』
「あら、鋭いわね」
私は凛の耳元で、小さく囁いた。
「でも、まだ全部は分からないでしょう? 続きは、私に聞いてみたら?」
凛の肩が、びくりと跳ねた。
「……からかわないでください。私は、あなたを監視する義務があります」
「義務、ね。ふふ、真面目」
凛は、何かを決めたように立ち上がった。机に手を置き、静かに口を開く。
「――この席にいる間、虚偽を禁じます」
空気が、きしりと張り詰めた。
(――あら)
『これは、ルールの宣言か。相当な強制力がある。気をつけろ』
(大丈夫よ。この程度なら、窮屈だけど、無視できる)
私は、指先で軽く空気を押し返した。粘るような重さが、ふっと薄れる。
凛の目が、わずかに見開かれた。
「……効きませんか」
「窮屈なところはあるけど、頑張ってるわね」
「では、質問します。あなたは、人の心を操っていますか」
「日常のちょっとしたところでは、ね。でも、恫愛には使わない」
「証拠は?」
「あなたの目。ここにいる間、嘘をつけないはずでしょう? 私は、心から小春を口説いてるし、茜ちゃんをかわいいと思ってる。そしてあなたも可愛いと思っているわ」
凛の顔が、わずかに強張った。
「……ですが、全部ではない。隠していることがあるはずです」
「あら、鋭いわね。でも、嘘はついてないでしょう?」
(この子、簡単には落ちないわね)
『落とすな。こいつは危険だ』
(だから面白いのよ)
凛は唇を引き結んだまま、私を睨み返す。その目に怯えはなかった。純粋な警戒と、分析者としての好奇心。
「私は、あなたの正体を記録します。すべての謎が解けるまで」
「楽しみにしてるわ」
私は微笑んで、傾いた首をゆっくりと元に戻した。
――この子は、簡単には落ちない。
しかし、私のハーレム3号はこの子に決めた。
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