第23話「夏休みと、帰る場所」
終業式の次の朝。
寮の中庭には、もう強い夏の日差しが降り注いでいた。
「……夏休み、始まりましたね」
ベンチの端で、栞が小さな声で言った。
寮の人影はまばらになっている。帰省する生徒たちが、大きな荷物を抱えて、次々と寮の門を出ていく。
「ええ。学園も、あんなに静かになるのね」
私は日傘の下で、栞の隣に座った。
栞は膝の上で、両手をぎゅっと握りしめている。
「……ミヤビさん。改めて、お願いがあります」
「あら。改まって、どうしたの?」
「……仲間たちを、助けてください。私の力だけでは、みんなを助けることはできないんです」
栞は顔を上げた。
前髪の奥の目は、もう影に隠れていない。
「組織の目が、この夏にいっそう厳しくなるはずです。仲間たちが人質にされる前に、保護したいんです」
「約束したでしょう? 一緒に考えるって」
私が笑うと、栞の目にうっすらと涙が浮かんだ。
「……はい。ありがとうございます」
「――お待たせしました」
ベンチの後ろから、メガネをかけた小柄な少女が、日傘を畳みながら現れた。日和だ。
手には薄いファイルを持っている。
「孤児の皆さんの居場所の候補が三つ。あれから、さらに絞り込めました」
日和はファイルを開き、三枚の地図を並べた。
「一つ目は北の山間にある旧施設。二つ目は港町の倉庫街。そして三つ目は――」
日和の指が、三枚目の地図で止まる。
「……あなたの実家に近い場所です」
私は地図を覗き込んだ。
そこには、見覚えのある地名が記されていた。
『……俺たちの家の近くだな』
(ええ。まだそんなに長くは離れてないのに、懐かしく感じるわね)
「日和さん。その候補地は、組織の人たちも当然、見張っていますよね?」
栞が静かに尋ねた。
「……はい。仲間たちは、組織の監視下に置かれているはずです。三つ目の場所は、特に組織の中枢に近い」
「……だから、一番危険です。でも、一番味方が多いところでもある」
栞の声は、小さく震えていた。
私は三枚目の地図をじっと見つめた。
見覚えのある山。見覚えのある林。
その先にある、私たちの家。
(……久しぶりに帰ることになりそうね)
『そうだな。最後に帰ったのは、ここにくる前だったな』
(そうね、まだ数ヶ月しか立っていないのね)
『まだ、それくらいなんだな。学園に来てから色々あったからな。もっと前に感じる』
(ふふ。そうね)
私は小さく息を吐き、顔を上げた。
「……わかったわ。私の家へ戻りましょう」
栞の目が大きく見開かれる。
「……え。でも、ミヤビさんのご実家を巻き込んでしまうことに」
「私が撒いた種でもあるの。それなら私の尻拭いもしてもらわなくちゃね」
私は笑った。
もちろん、普通の家とは少し違う。
私たちが生まれた場所であり、両親が研究を続けている場所でもある。
でも、それも含めて私の帰る場所だ。
せっかく帰るのだから、久しぶりにお母様にも顔を見せてあげよう。
「それに、家には頼れる人もいるわ。情報を集めるにも、きっと役に立つはずよ」
「……はい。よろしくお願いします」
栞は深く頭を下げた。
*
夏休みを控えた放課後の教室。
私は小春、茜、凛の三人を前にして、今回の予定を説明していた。
「……というわけで、夏休みは私の実家に行くことになったの。でも、観光のためじゃなくて、人助けのためよ」
「……人助け、ですか」
凛がノートを開かずに、じっと私を見た。
「そこに行く理由と、危険度を教えてください」
「今は詳しくは言えないの。でも、実家はちょっとだけ変わったところにあるし、子供たちを狙っている人たちもいるかもしれないわ」
「危険、ですね。では、行きます」
「あら、すぐに決めないで。これは観光でも、ありがたい話でもないのよ?」
「あたしも行くぞ」
茜が腹の底から出たような声で言った。
「あんたが家に帰って、一人で大変なことをするのは、あたし、絶対にやだ」
「……茜ちゃん」
「あ、あたしも!」
小春が手を上げた。
「みんなと一緒にいたい。ミヤビちゃんのお家も見てみたいし、農場があるなら植物さんとも会えるかも」
「小春。観光じゃないって言ったでしょう?」
「そ、そうだよね。でも、あたしも役に立てるよ。絶対」
小春は真っ直ぐな目で、私を見ていた。
『……止められないな、これは』
(どうしようかしら。あなたはどう思う?)
『俺からの条件をのめるならいいだろう』
俺は頭の奥で、静かに言った。
『一つ。この三人の安全を最優先にすること。二つ。家の中で勝手に扉を開けるなと、前もって必ず伝えること』
(そうね、あまり私達の秘密を知られすぎるのもよくないもの)
『……俺たちの家は、普通ではない。それだけだ』
(ふふ。確かに、説明しておいた方がよさそうね)
私は三人を見回して、言った。
「……わかったわ。では、みんな一緒に来て。でも、この二つの約束を守って。一つ。安全を最優先にすること、そのためにも私の言うことを必ず聞くこと。二つ。勝手に家の扉を開けないこと」
「「「はい!」」」
三人の声が、きれいにそろった。
その後ろでは、栞が小さく、でも嬉しそうに拳を握りしめていた。
*
その夜。寮の部屋。
「……ミヤビさん、これを」
日和が荷物の整理をしながら、小さな封筒を差し出した。
「帰省の間、こちらを。パパとママの緊急連絡先です」
「ありがとう。……日和は、どうするの?」
「私はもちろん同行します。お目付け役ですから」
日和は少しだけ笑った。
けれど、その目にはどこか緊張が残っている。
「……ミヤビさん。一つだけ、早めに言っておきます」
「なあに?」
「……あの家は、あなたにとって帰る場所です。でも、同時に、あなたの秘密を思い出す場所でもありますよね」
私は荷物を詰める手を止めた。
『……日和は、何もかも知っているんだったな』
(ええ。パパとママから聞いているんでしょう)
「……そうね。確かに、色々と思い出すことはあるわ」
私は少しだけ考えてから、日和に微笑んだ。
「でも、別に帰りたくないわけじゃないのよ。久しぶりに帰るのは楽しみだし、お母様にも会いたいわ」
「……そうですか」
「それに、今回はみんなも一緒でしょう? きっと賑やかになるわね」
「ふふ。そうですね」
日和は小さく頷いた。
その表情から、少しだけ緊張が和らいだように見えた。
*
深夜。
窓辺で、私は一人、窓を開けていた。
夏の夜風が、ゆるやかに吹き込んでくる。
浮かぶのは、三枚目の地図にあった、見覚えのある山。
その向こうにある、私たちの家。
(……久しぶりね。この家に帰るのは)
『そうだな。研究室も、あのままなのだろうか』
(お母様なら、きっと相変わらずよ。新しい設備を増やしているかもしれないわね)
『……それはありそうだ』
(ふふ。楽しみね)
『お前は、本当に変わらないな』
(あら。あなたもでしょう?)
『俺は、あの家で過ごした時間も、そこで起きたことも覚えている。だが、今は昔とは違う』
(そうね。今は私たちだけじゃないもの)
私は窓の外を眺めた。
小春、茜、凛、栞、そして日和。
賑やかな顔ぶれを思い浮かべると、自然と頬が緩む。
『あいつらが一緒なら、きっと楽しい帰省になるだろうな』
(ええ。せっかくだから、みんなにも私たちの家を見てもらいましょう)
『……ただし、あまりうろちょろされないように気をつけろ。あまり良くない部屋も多い』
(もう十分に伝えたわ)
そんなことを話していた、そのとき。
――ブーブーブー。
机の上に置いていた端末が、静かに振動した。
画面に表示されたのは、見覚えのある連絡先。
母からの着信だった。
私は少し驚いて、端末を手に取った。
画面には、短いメッセージが並んでいる。
『帰ってくるのね。今度は、お友達も一緒なの?』
「……お母様、もう知っているのね」
『……連絡が早いな』
(ふふ。きっと楽しみにしているのよ)
私は返信を打とうとした。
すると、もう一通、メッセージが届いた。
『――楽しみに待っているわ。久しぶりに、たくさんお話ししましょうね』
その文章を見て、私は微笑んだ。
(さて、どんな夏休みになるのかしら)
『……賑やかになるのは間違いないな』
夏休みは、まだ始まったばかりだった。
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