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閑話休題「ミヤビ様の知らないところで」

 ある晴れた昼下がり。


 学園は、いつもの昼休みを迎えていた。


 中庭のベンチでは、ミヤビが誰かに手を振っている。


 いつも通りの笑顔。いつも通りの仕草。


 けれど、その何気ない姿を見た者もいれば、別の時間にミヤビを思い浮かべる者もいた。


 これは、ミヤビを取り巻く八人の、ちょっとした心の内側の話。


     ◇


小春の場合


 教室の窓から、小春は中庭を見ていた。


 ミヤビちゃんが、また誰かと笑っている。


 楽しそうに手を振って、相手が照れたように顔をそらすと、いたずらっぽく笑っている。


 いつもの光景だ。


 それなのに、胸がちくっとする。


 前までは、これが何なのか分からなかった。


(……今は、少しだけ分かる)


 ミヤビちゃんは、からかうのが好きで、ちょっとずるくて、すぐに女の子を口説く。


 困った人だと思う。


 でも、あの日。


 保健室で手を握ってくれたときのことは、今でも忘れられない。


 怖かった。


 ミヤビちゃんが怒っている姿は、いつもと違っていて、近づくのをためらうほどだった。


 それでも、私を守ろうとしてくれた。


(私のために、あんなに怒ってくれたんだ)


 そう思うと、胸のちくっとした痛みが、あたたかいものに変わっていく。


 小春は小さく息を吸い、窓の外へ手を振ってみた。


 すると、ミヤビがすぐに気づいて、手を振り返してくれた。


 たったそれだけ。


 それだけなのに、小春の頬はぽっと染まった。


(……好き、なのかな)


 自分の気持ちを、まだはっきりと言葉にはできない。


 でも、もう少しだけ近くにいたい。


 もう少しだけ、自分を見てほしい。


(……いつか、ちゃんと言えるようになりたいな)


 小春は、そっと窓から離れた。


 頬の熱は、しばらく冷めそうになかった。


     ◇


茜の場合


 放課後の校庭。


 その隅で、茜は一人、拳を振っていた。


「……くそっ。また、あいつの顔が浮かぶ」


 拳を握り直し、もう一度、空を殴る。


 フラッグバトルでは上級生たちに負けた。


 ミヤビがいなければ、もっと早く負けていた。それは分かっている。


 悔しい。


 でも、それ以上に気になることがあった。


 「彼」は、真面目で、まっすぐで、拳で話ができる。


 一緒にいると、余計なことを考えずに済む。


 気を遣わなくてもいいし、遠慮なくぶつかっていける。


 なのに、「彼女」は違う。


 軽くて、ずるくて、やたらと距離が近い。


 目を見られるだけで、調子が狂う。


 手を握られたり、耳元で囁かれたりした日には、まともに言い返すことすらできなくなる。


「……どっちも、同じ人間なんだよな」


 茜は指先に小さな炎を灯し、すぐに消した。


 「彼」に勝ちたい。


 それは間違いない。


 けれど、「彼女」にからかわれっぱなしなのも、どうにも悔しい。


「……あたしは、どっちのあいつに勝ちたいんだろう」


 答えは出ない。


 そもそも、勝ちたいという気持ちだけなのかも、最近は怪しくなってきた。


 次に会ったとき、また顔が赤くなったらどうしよう。


「……ああ、もう!」


 茜は頭を振り、再び拳を構えた。


 考えるのは、もう少し強くなってからでいい。


 そう自分に言い聞かせながら。


     ◇


凛の場合


 放課後の図書室。


 凛はいつもの席でノートを開いていた。


 表紙には、几帳面な文字でこう書かれている。


『観察記録 ミヤビ』


 ページは、すでに何十枚にもなっていた。


 二つの人格。主導権は女性人格にある。


 魔法、物理的な戦闘能力、精神干渉。


 通常なら別々に考えるべき能力が、一人の中に共存している。


 理論上、あり得ない。


 ここまでは客観的な記録だ。


 問題は、最近になってページの端に余計なことを書いてしまうようになったことだった。


『髪を下ろした日、素敵と言われた』


『眼鏡を外されて、目をのぞかれた』


『私の考えを、意外とよく理解していた』


「……っ」


 凛は慌てて消しゴムを手に取った。


(これは観察記録に不要な情報です)


 消して、書き直す。


 けれど、少し考えると、また別の一文を書き足してしまった。


『あの人は、危険ではなく、優しい人だと思う』


 ペン先が止まった。


 フラッグバトルで、ミヤビが小春を抱きかかえていた姿が浮かぶ。


 自分の能力がどれほど異質なのか、本人が一番よく分かっているはずだ。


 それでも、ミヤビは小春を守ることを選んだ。


 力を振るうことそのものを楽しんでいるわけではない。


 必要だと思ったときに、迷わず使う。


 それは、凛がこれまで見てきたミヤビの姿とも、矛盾しなかった。


「……観察者としては、失格ですね」


 小さくため息をつき、ノートを閉じる。


 けれど、最後に書いた一文だけは、消さなかった。


     ◇


日和の場合


 夜。


 寮の部屋で、日和は二段ベッドの上から、下の段をのぞいていた。


 ミヤビは、ぐっすりと眠っている。


 普段はあんなに騒がしいのに、寝顔はとても静かだ。


(パパとママから聞いていた通りの人。でも、聞いていた以上に優しい人)


 日和の任務は、ミヤビを守ること。


 そして、ミヤビの秘密を守ること。


 本来なら、必要以上に深入りしてはいけない立場だ。


 それなのに、朝になればトーストを焼き、寝癖を直し、ついでに忘れ物まで確認してしまう。


 任務の一環だと言い張ることもできる。


 けれど、誰に言い訳をしているのか、自分でもよく分からなかった。


「……お目付け役、失格かもしれませんね」


 日和は小さくつぶやき、眼鏡を外した。


 眼鏡を通して見る世界は、普通の人には見えないものまで映し出す。


 ミヤビの身体の内側には、二つの心がある。


 別々でありながら、ひとつの身体の中で、並んで呼吸しているような、不思議な存在。


 日和には、その二つの心が、どちらもあたたかい色をしているように見えた。


 どちらか一方が偽物というわけではない。


 どちらも、確かにミヤビなのだ。


(……だからこそ、守らないと)


 日和は眼鏡をかけ直し、布団をそっと引き上げた。


 ミヤビが寝返りを打つ。


「ん……ひよりぃ……」


「はいはい。ここにいますよ」


 返事をしてから、日和は小さく笑った。


 眠っている間まで、気にかけてしまう。


 やっぱり、自分は少し甘くなっているのかもしれない。


     ◇


桃香の場合


 生徒会室。


 桃香は書類を抱えながら、ぶつぶつと文句を言っていた。


「ミヤビなんて、アホなんです。いつも規則を無視して、ヘラヘラして……」


 向かい側では、千草が楽しそうにお茶を飲んでいる。


「ふふ。桃香ちゃん、さっきから同じ名前ばかり言っているわよ」


「い、言ってません!」


 桃香は真っ赤になり、書類で顔を隠した。


 手の甲に、まだあの感触が残っている。


 ミヤビに手を包まれたときの、やわらかな感触。


(……あんなの、ずるいです。すぐ、ふにゃってなっちゃう)


 思い出すだけで、頬が熱くなる。


 しかも、あの人は誰にでもああいうことをする。


 そう考えると、なんだか腹が立つ。


 ……いや、誰にでもするからこそ、余計に腹が立つのかもしれない。


 それでも。


 桃香は、栞のことを思い出した。


 中庭で、上級生たちから自分を守ってくれた栞。


 そして、その栞の力を、ミヤビは真剣な目で見つめていた。


 怖がるでもなく、面白がるでもなく。


 ただ、栞自身を見ていた。


(あの人、チャラチャラしてるけど……人のことを、ちゃんと見てる)


 それが、少しだけ嬉しかった。


 ミヤビは、いつもふざけている。


 でも、本当に大事な場面では、ふざけない。


 そういうところを知ってしまったから、余計に困るのだ。


「……次に来たら、ちゃんとお茶を出してあげます」


「まあ、優しいのね」


「べ、別に優しくなんてありません!ただの仕事ですけど!」


 千草がくすくすと笑う。


 桃香は書類の陰で、小さく口をとがらせた。


(……次は、もう少し普通に話せるといいんだけどな)


 そんなことを考えている自分が、いちばん悔しかった。


     ◇


千草の場合


 夕暮れの生徒会室。


 千草は窓辺に立ち、湯呑みを両手で包んでいた。


(ミヤビさん。不思議な子ね)


 初めて手を握られたときのことを思い出す。


 ふんわりと、やわらかい手だった。


 それなのに、フラッグバトルで見せた姿は、まるで別人のようだった。


 相手の心に踏み込む力。


 そして、その力を使うことを恐れながらも、守るべきもののために行動する強さ。


 二つの顔。


 どちらも、嘘ではない。


(あの子は、女の子を口説くのが好きなのよね)


 千草は、思わず微笑んだ。


 あの調子なら、これからも何人もの女の子を振り回すのだろう。


 少しだけ、気の毒にも思う。


 けれど。


(本当に大事なものを守るときは、迷わない)


 自分には、それが眩しく見えた。


 生徒会の副会長として、いつも全体を見て、波風を立てないように気を配ってきた。


 誰かが困らないように。


 誰かが傷つかないように。


 そのために、時には自分の気持ちを後回しにすることもあった。


 ミヤビは、波風そのものだ。


 周囲を騒がせ、予想外のことを起こし、時には手に負えないほどの問題まで持ち込んでくる。


 それなのに、その波が、なぜか心地いい。


(……少しくらい、振り回されてみるのも悪くないのかしら)


 そんな考えが浮かび、千草は小さく首を振った。


「次の面談の日は、お菓子をもう少し奮発しようかしら」


 誰に聞かせるでもなく、独り言をこぼす。


 ミヤビが来たら、きっと喜ぶだろう。


 そしてまた、甘い言葉のひとつでも囁いてくるに違いない。


 そう思うと、次の面談の日が少しだけ楽しみになった。


     ◇


ヒナタの場合


 学園の屋上。


 ヒナタは一人、風に吹かれていた。


 水色の髪が、風に揺れてぴょんと跳ねる。


 琥珀色の瞳は、遠くの校舎をじっと見つめていた。


(あの子の力は、思っていたより、ずっと大きい)


 精神干渉、魔法、そして物理的な戦闘能力。


 普通なら、ひとつを極めるだけでも難しい。


 それをミヤビは、ほとんど表に出さずに使い分けている。


 いや、正確には。


 見せる必要があるときにしか、見せないのだ。


 フラッグバトルでの一件は、学園にとって小さな問題では済まない。


 力が知られれば、利用しようとする者も現れるだろう。


 ミヤビ自身がその危険性を理解しているのか。


 どこまで自分の力を制御できるのか。


 そして、あの力を向けられた相手に何が起こるのか。


 まだ、分からないことが多すぎる。


「……困った子だねえ」


 口調はいつも通り、明るかった。


 けれど、ヒナタの目は笑っていなかった。


 生徒会長として、学園の生徒たちを守らなければならない。


 ミヤビの力が危険を招く可能性があるなら、目をつぶるわけにはいかない。


 ただし。


(危険だからって、あの子を危険なだけの存在として扱うつもりもないけどね)


 小春を守ろうとした姿。


 力を使ったあと、相手の心に傷が残っていないかと心配していた姿。


 あれもまた、間違いなくミヤビだった。


 危険かどうかを判断するには、まだ早い。


 守るべき生徒であり、警戒すべき存在でもある。


 だからこそ、もっと近くで見ておく必要がある。


「さてさて。これから、どうなるのかな」


 ヒナタは屋上の手すりに肘をつき、遠くの空を見上げた。


 明るい声とは裏腹に、その頭の中では、すでにいくつもの可能性が巡っていた。


     ◇


栞の場合


 深夜の寮の廊下。


 栞は非常口の窓の前で、膝を抱えていた。


 手首に残っていた痕は、もう消えている。


 けれど、あの日のことは、まだ頭から離れなかった。


(綺麗だった、なんて)


 ミヤビの言葉が、何度も脳裏によみがえる。


 穢らわしいと言われ続けた力。


 自分でも、そう思い込もうとしてきた力。


 それを、あの人は綺麗だと言った。


(あの人は、みんなに、そう言うのかもしれない。軽い人だから)


 そう思おうとする。


 ミヤビは、誰にでも笑いかける。


 誰にでも近づく。


 誰にでも、甘い言葉をかける。


 だから、あの言葉にも特別な意味なんてない。


 そう考えれば、少しは楽になるはずだった。


 なのに。


(……どうして、忘れられないんだろう)


 栞は膝に顔をうずめた。


 羨ましい。


 堂々としていて、誰からも愛されて、好きなだけ人の目を引くことができる。


 自分には、そんな生き方はできない。


 ずっと影の中で、息を殺してきた。


 目立たないように。


 誰にも疑われないように。


 自分の本当の姿を、誰にも見られないように。


 それが、自分の役割だった。


 けれど、ミヤビは違う。


 自分の力を隠しながらも、誰かを守るためには、迷わず前に出る。


 その姿が、どうしようもなく眩しかった。


(でも……)


 栞は、ゆっくりと顔を上げた。


(あの人が組織に渡れば、世界が壊れてしまうかもしれない)


 ミヤビの力は、組織が求めているものに近い。


 もし、その存在が完全に知られてしまったら。


 彼女自身の意思など関係なく、利用される可能性がある。


 そうなれば、ミヤビだけでは済まない。


 自分の仲間たちも。


 小さな部屋で、一緒に育った孤児の仲間たちも。


 みんな、巻き込まれてしまうかもしれない。


(どうすれば、いいんだろう)


 組織の一員として、任務を果たすべきなのか。


 それとも。


 あの人を、守りたいと思ってしまった自分の気持ちを、信じてもいいのだろうか。


 答えは、まだ出ない。


 栞はもう一度、膝を抱えた。


 窓の向こうには、静かな夜空が広がっていた。


     ◇


翌朝


 寮のベランダで、ミヤビが大きなくしゃみをした。


「くしゅん。……あら。誰か、私の噂をしてるのかしら」


『……噂をされるようなことしか、していないからな』


(失礼ね。可愛い子たちに愛されているだけよ)


『それを噂と言うんだ』


(ふふふ、確かにそれはそうね)


 ミヤビはくすくすと笑い、朝の空を見上げた。


 彼女はまだ知らない。


 自分の何気ない言葉や仕草が、誰かの胸に残っていることを。


 誰かの考えを変え、誰かの心を揺さぶり、誰かの眠れない夜を作っていることを。


 そして、その気持ちがいつか、自分自身を大きく揺さぶることも。


 ミヤビの知らないところで、八人の心は少しずつ動き始めていた。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

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