第17話「騒がしくなった日常」
月曜の朝。
教室に入ろうとすると、いつもとは違う空気を感じた。
「……あれが、ミヤビさん?」
「赤組の試合で、上級生を一人で……」
教室の前には、他のクラスの生徒たちが集まり、ちらちらとこちらをうかがっている。廊下の端には、上級生らしい空色のリボンをつけた女子生徒までいた。
(……あら。すっかり有名人ね)
『学園長の言っていた通りになったな。これから、うるさくなるぞ』
(でも、モテるのは悪くないわ)
『……気楽すぎる』
私は気にすることなく、集まった生徒たちにひらひらと手を振ってみせた。
「きゃあっ、ミヤビさんが手を振ってくれた!」
廊下のあちこちで黄色い声が弾ける。
(ふふ。悪くない朝ね)
そうして教室に入ると、隣の席の小春が、にこにこと手を振ってきた。
「ミヤビちゃん、おはよう!」
「おはよう、小春」
いつもと変わらない笑顔。
……のはずだった。
ふと気づくと、小春の椅子がいつもより近い。ことことと、こちらに寄せられている。
「あら。今日は近いのね」
「え? あ、うん。ちょっとだけ、近くにいたかったから……」
小春は頬を赤くしながらも、目をそらさなかった。
これは、少し意外だった。
「試合のことで、私に惚れ直したの?」
いつもの調子で、軽くからかってみる。
普段なら、ここで慌てて「ち、違うよ!」と否定するはずだ。
けれど、小春は少しだけ迷ったあと、小さな声で答えた。
「……うん。そう。とても、惚れ直した」
(……え?)
一瞬、言葉が出てこなかった。
小春は、そんな私の反応を見ても、逃げ出さなかった。
「その……ミヤビちゃんと、もっと一緒にいたい。これからも、ずっと隣の席にいたいなって」
その瞳は、いつもよりずっと真っ直ぐだった。
『……今日は、お前が負けているな』
(うるさいわね。ちょっとだけ、ドキッとしただけよ。)
『それだけじゃないだろう』
(……いいでしょ。可愛いんだもの)
私は小春の顔を、もう一度じっと見つめた。
からかうつもりだったのに。
今度は、私のほうが調子を狂わされてしまったらしい。
* * *
休み時間。
廊下の端で、茜が腕を組んで待ち構えていた。
「……ミヤビ。この前の共同練習の続きだ。今度こそ、ボッコボコにしてやる」
「あら。勝負の予約?」
「うるさい!あたしの悔しさを晴らさせろ!」
ぶっきらぼうな言い方。
けれど、その目には、隠しきれない心配がにじんでいた。
(……分かりやすい子ね。この子も、心配してくれていたんだ)
「あら、心配してくれていたの?」
「してねえよ!」
「嘘つき。起きてからずっと、ここで待っていたんでしょう?」
「ううううう……!」
茜の耳まで、みるみる赤くなっていく。
『……代われ。ここからは、俺が話す』
(え? ここで?)
『ここでだ』
(……はいはい。交代ね)
私は意識を手放した。
視界が揺れ、肩幅が広がる。体つきが変わり、重心が下がっていく。
「……茜さん。先日は、ありがとうございました」
俺は真面目に頭を下げた。
「は? な、なんだよ、いきなり……」
「お前が時間を稼いでくれたから、俺は陣地に戻れた。あれがなければ、小春さんはもっと酷い目にあっていた」
茜が目を見開く。
「負けたことは悔しい。でも、お前の炎には何度も助けられた。これは事実だ」
「……」
茜は少しだけ、うつむいた。
やがて、照れくさそうに口を開く。
「……あんたにそう言われると、認められたみたいで……嬉しい」
「試合は終わったが、俺の中ではまだ続いている。次もお前と組みたい」
その言葉に、茜は顔を上げた。
「……おう! 次は絶対、負けねえからな!」
茜が、にこっと笑う。
その顔は、いつもの勝ち気な表情とは少し違っていた。
(……あら)
私は内側から、その笑顔を眺めていた。
(私には、あんな顔をあまり見せてくれないのに)
『……拗ねているのか』
(拗ねてないわよ。ちょっとムカついているだけ)
『それを拗ねると言うんだ』
(……うるさい)
『……まったく。』
どうしてあの子たちは、『彼』にばかり、あんな顔を見せるのかしら。
* * *
放課後。
生徒会室の手伝いを終えて戻ってくると、凛がノートを抱えて教室に残っていた。
「……ミヤビさん。試合の記録を整理していたのですが、理解できない点があります」
「あら。観察はオフの日じゃなかった?」
「今日はオンの日です」
凛は真顔で言い切った。
「精神干渉と魔法と変身。この三つは、本来、別々の系統の能力です。一人の能力者が、すべてを持つことは理論上あり得ません」
「そうなのかしら?」
「ですが、あなたはそれをやっている。では、一体、何者なのですか?」
凛の視線は、真っ直ぐに私を捉えていた。
冗談でかわそうとしても、簡単には引き下がりそうにない。
私は軽く肩をすくめた。
「秘密は、女の子をより魅力的にするでしょう? それとも、もう私のことをすべて知りたいと思ってくれているの?」
「……質問を無視しないでください」
「あら、無視なんてしてないわ。ただ、簡単に答えてしまったら、つまらなくなるでしょう?」
凛はしばらく黙って、私を見つめていた。
やがて、その目元がほんの少しだけ和らぐ。
「……ですが、あなたは傷ついた小春さんを抱いて、守っていました」
「……」
「あの姿を見ている限り、あなたが危険な人だとは思えません」
私は、少しだけ目を細めた。
「あら。それは理論じゃないのね」
「理論ではありません。観察者としての、個人的な感想です」
凛はノートを閉じ、立ち上がった。
「……質問はこれで終わりです。ですが、いつか、ちゃんと答えていただきます」
「ふふ。そうね。楽しみにしていて?」
凛はそれ以上何も言わず、教室を出ていった。
その背中を見送りながら、私は小さく息をつく。
秘密を守るのは、思っていたよりも難しくなりそうだった。
* * *
その夜。寮の部屋。
シャワーを浴びて戻ると、同室の日和が二段ベッドの上でノートパソコンを開いていた。
画面には、学園の記録システム。
フラッグバトルの映像データが一覧表示されている。
「……日和、何をしているの?」
「あ、ミヤビさん。おかえりなさい」
日和は、キーボードを叩く手を止めずに答えた。
「今日の試合の映像です。ミヤビさんが映っている部分を整理しています」
「……整理、ね」
「はい。整理です」
日和は画面上のファイルを一つずつ選択していく。
エンターキーを押すたびに、ファイルが一覧から消えていった。
『……消しているのか』
(そうみたいね)
「消していませんよ。保管場所を変えているだけです」
日和は、こちらを振り返ると、悪びれない笑顔を浮かべた。
「詳しくは言えませんが、元のデータの場所には代わりを渡していますから」
「……嘘つき。大事な部分は完全に消しているでしょう?」
「うふふ、バレてしまいましたか」
日和は楽しそうに笑った。
「でも、これはミヤビさんを守るためのお仕事ですから」
その声はいつもと変わらず穏やかだった。
けれど、メガネの奥の目は、笑っているだけではなかった。
「……もっとも、データを消しても、人の目までは消せませんが」
『……そうだ。観戦していた人間は大勢いる』
(ええ。だからこそ、記録だけでも残さないようにしたいわね)
精神干渉の力。
あの試合を見た人たちが、私の能力をどう受け止めたのかは分からない。
ただ一つ確かなのは、これまでのように何も知られず、気楽に過ごすことは難しくなったということだ。
「……ありがとう。引き続き、お願いするわ」
「はい。お任せください」
日和は穏やかに微笑み、再びキーボードを叩き始めた。
その手は、先ほどまでと変わらない速さで動いていた。
* * *
その頃。
寮の廊下の先、薄暗い非常口の窓の前。
黒髪ボブの女子生徒が、小さな端末を耳に当てていた。
生徒会書記。
普段は目立たず、誰かの陰に隠れるようにしている少女だった。
「……記録を確認しました」
低い声で、彼女は報告する。
「対象の能力を目視で確認。――想定以上に危険です」
短い沈黙。
「……いえ。映像データは、すでに何者かによって消されていました。ですが、この目で見たことは、すべて記憶しています」
端末を握る指先が、わずかに震えていた。
『引き続き監視を続けろ』
相手の指示を聞き、彼女は小さくうなずく。
「……了解しました。これからも、監視を続けます」
通話を切る。
彼女はしばらく、廊下の向こうにある寮の部屋のドアを見つめていた。
あの力は危険だ。
組織にとっても、放置しておけないほどに。
それなのに。
彼女の脳裏に浮かぶのは、傷ついた少女を抱きしめていたミヤビの姿だった。
怒りに満ちた力を振るいながらも、最後には相手の心を案じていた姿。
「……どうして、あの人は、あんなに優しいんですか」
誰に向けたものでもない問いが、薄暗い廊下に静かに落ちた。
返事はない。
少女は端末をしまい、再び暗闇の中へと姿を消した。
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