第16話「保健室の見舞いと、生徒会長の謝罪」
試合が終わって、一時間。
保健室の窓から、夕方の光が差し込んでいた。
「……お疲れさま。みんな、起きてる?」
私がカーテンの隙間から顔を出すと、三つのベッドの上で、三人がこちらを向いた。
「ミヤビちゃん!」
「おう、ミヤビ。こっちだ、こっち!」
「……来てくれたのですね」
どうやら、意識はしっかりしているらしい。
念のための経過観察で、今夜は保健室に泊まるように言われたそうだ。
小春はお腹に包帯を巻き、茜は腕に温めたタオルを当てている。
凛は眼鏡を外したまま、枕元のノートに手を伸ばしていた。
「……また、ここでみんなで集まってるね」
私が笑うと、茜がぶっと吹き出した。
「笑い事じゃねえよ! こっちは大変だったんだからな」
「あら。でも、前は小春だけだったでしょう? 今日は三人とも。ちょっと贅沢なのよ」
「贅沢の基準がおかしいです」
凛が、もっともなことを言う。
それでも、その目元はわずかに柔らかかった。
私は小春のベッドの端に腰を下ろした。
「お腹の傷は、まだ痛む?」
「ううん、もう大丈夫。先生も、変な傷じゃないって」
小春は少しだけ苦笑した。
それから、しばらく黙ったあと、小さな声で言った。
「……あのときのミヤビちゃん、すごかった」
「あら。怖かった?」
「うん。ちょっとだけ……」
小春は、正直に答えた。
「でもね。怖いのと同じくらい、すごく綺麗だった。この人は、私を守るために、こんなに怒ってくれるんだって思ったの」
小春の手が、私の手にそっと重なった。
「だから、もう怖くないよ」
「……そう。ありがとう」
(……この子は、どこまで真っ直ぐなのかしら)
『守られていることを分かっている。それが、彼女の強さなんだろう』
(ええ。でも、なんだか胸がこそばゆいのよね)
『……そういう気持ちはあるんだな』
(私をなんだと思ってるのかしら)
「あたしを忘れてるだろ。こっちで無視するなよ」
茜がベッドの上から手を伸ばし、私の袖を引っ張った。
「あら、ごめんなさい。茜ちゃんのことも、ちゃんと見てるわよ」
「……あんたが行ってから、あたし、ずっとモヤモヤしてたんだ」
茜は視線をそらしたまま、小さく続ける。
「全然歯が立たなくて、負けちまった。でも……あんたがお見舞いに来てくれて、ちょっと嬉しかった」
「負けてなんかいないわ。ちゃんと時間を稼いでくれたでしょう?」
私は茜の髪を、指先ですくい上げた。
茜の耳が、ぽっと赤くなる。
「……な、なんで、なでてんだよ。この、やろう……」
「あら。やろうはここにいないわよ?」
「うるせえ!」
思わず笑ってしまう。
こうしていつもの調子で言い合えるのなら、ひとまず安心だ。
「……ミヤビさん」
最後に声をかけてきたのは、凛だった。
眼鏡を外した素顔のまま、まっすぐにこちらを見ている。
「あなたの力、観察していた通り、すごく強力ですね。でもそれと反対にあなたはとても優しい……」
「あら。ここで言うのね、そういうことは」
「……記録として残しておきたかっただけです」
凛は耳まで赤くすると、ノートを顔の前に引き寄せた。
そのとき、小さなノックが響いた。
「やっほー。お邪魔します。みんな、元気してる?」
ドアが開き、水色の髪がぴょんと跳ねる。
ヒナタ会長だ。
その後ろには、緑のおさげ髪の千草先輩もいた。二人とも、今日はいつもの生徒会長らしい格好ではなく、ラフな制服姿だった。
「……お疲れさまです、会長、千草先輩」
凛が慌てて眼鏡をかけ直す。
小春と茜も、ベッドの上で軽く頭を下げた。
「あ、そのまま、そのまま! 休んでて。今日は謝りに来たんだ」
ヒナタ会長は、いつもの調子で手をひらひらと振った。
けれど、次の瞬間。
琥珀色の目が、真っ直ぐに私たちを見つめた。
「――今日の試合。うちのクラスの三人が、あなたたちの守備班にひどいやり方をした。特に、小春ちゃんに」
会長は、深く頭を下げた。
「……ごめんなさい。学園を代表して、謝りに来ました」
「私も、同じ気持ちです」
千草先輩も、静かに頭を下げた。
「目の前で起きていたのに、止められませんでした。本当に、ごめんなさい」
「……やめてください。頭を上げてください」
小春が慌てて起き上がろうとする。
「実際、この傷は試合中にできたものですから」
凛が静かに口を開いた。
「ですが、あのような形で、最後まで相手をいたぶるのは、試合の範囲を超えています」
その言葉に、会長はゆっくりと顔を上げた。
「……そうだね。そこは、ちゃんと受け止める」
真面目な顔で、会長は続けた。
「あの三人には、このあと生徒会で話を聞くよ。今回のことを曖昧にはしない。もう、あんなことはさせないから」
なるほど。
この人と千草先輩は、本当に謝りに来てくれたのだ。
それは、言葉だけではないらしい。
けれど――。
私の頭の中は、まだあの三人のことでいっぱいだった。
「……あの三人は、大丈夫なの?」
「え?」
ヒナタ会長が、きょとんとした。
「小春を傷つけたことは許さない。それは本当よ。でも……」
私は、少しだけ言葉を選んだ。
「私がやったことも、決して軽いことではないもの」
あのときの光景が、脳裏によみがえる。
自分の意思に反して、互いを攻撃させられる三人。
頭では理解しているのに、体が言うことを聞かない。
あれは、私がやったことだ。
「私の力とても強力。でも、相手の精神にどこまで影響を与えたのかは、分からないの」
保健室が静まり返った。
「……今回は、かなり加減したつもりよ。それでも、人の思考をいじったことに変わりはないから」
私は会長を見つめた。
「あの三人に、変な症状は出ていない? ぼんやりしたり、記憶がおかしくなったりしていないか、注意して見てほしいの。もし何かあったら、すぐに私を呼んで」
ヒナタ会長の琥珀色の目が、わずかに見開かれた。
「……怒る前に、まず心配するんだね。傷つけた相手のことを、そんなに気にする人、初めて見たよ」
「『傷つけた』というより、『怒っていた』のですけれどね」
凛が、そっと口を挟んだ。
『……凛さんが心配してくれてるぞ。』
(言うのやめて。なんだか気恥ずかしいでしょ)
千草先輩が、ふわりと穏やかに微笑んだ。
「……大丈夫ですよ、ミヤビさん。三人とも、すでに目を覚ましています。少し戸惑っていた様子はありましたが、今は『頭がすっきりした』と言っています」
「……よかった」
私は、ほっと息を吐いた。
この人たちは、ちゃんと相手のことを見てくれている。
少なくとも、今のところは大丈夫そうだ。
「……でも、ここからは真面目な話なんだけど、いいかな」
会長の声が、少しだけ低くなった。
「わたしは、まだミヤビくんの能力を完全には把握できていない。変身能力に、魔法。それに、あの身体能力と……今日の力」
琥珀色の目が、静かにこちらを見つめる。
「今日の試合で、あなたの能力が多くの人に見られたことは、間違いないんだ」
「……多くの人、ですか」
「うん。観戦していた上級生たち。審判を補佐していた生徒会のメンバー。先生たち。それに、設備点検のためにモニターを確認していた人たちもね」
会長は、少し困ったように笑った。
「今日の試合は、最初から記録を取る前提で進めていたから。映像も、ちゃんと残っているよ」
凛の顔から、すっと血の気が引いた。
「……つまり、ミヤビさんの、あの力も……」
「うん。見られている可能性が高い」
会長は、はっきりと言った。
「だから、これからミヤビくんの周りは、きっと騒がしくなる。良い意味でも、悪い意味でもね」
「…………」
私は、笑顔を崩さなかった。
けれど、胸の奥では、冷たいものが静かに動いていた。
――まずい。
この力は、できるだけ知られたくなかった。
私自身が危険だから、というだけではない。
この力を知れば、利用しようとする人間が現れるかもしれない。
私の意思など関係なく、誰かのための道具にされる。
そんな未来だけは、避けたかった。
「……だから、わたしを頼っていいよ」
会長の声に、意識が引き戻された。
「この学園の中で、あなたを守るために。わたしにできることなら、協力するから」
私は、会長の目を見つめた。
明るく人懐っこい、いつもの表情とは少し違う。
そこには、生徒会長としての責任と、私への興味が同居しているように見えた。
「あら。頼もしいことを言ってくれるのね」
「でしょ?」
会長は、いつもの笑顔を少しだけ取り戻した。
「ただし、何も話してくれないと、守りようがないこともあるからね」
「……ふふ。それは、考えておくわ。いい女には秘密があるものよ」
私は笑った。
けれど、胸の奥の冷たさは消えなかった。
(……今日のことは、全部記録されている。これは、思ったより面倒なことになりそうね)
『……そうだな。でも、今日は小春さんを守れた。それでいい』
(……ええ。そうね)
そのとき、小春の手が、そっと私の手を握った。
私は視線を落とし、その小さな手を握り返す。
今は、まだ。
この子たちが無事でいてくれることを、喜んでいたかった。
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