第15話「おいたが過ぎるわ」
「――ミヤビ、行け!」
茜が、俺の背中を拳で叩いた。
赤い炎が、三人の上級生の前に壁のように立ちふさがっている。
腕の装置は、すでに黄色い光を点していた。
「あたしがここで時間を稼ぐ。あんたは陣地に戻れ。あんたのほうが、守るのに向いてるだろ」
「……やられるなよ」
「あたりまえだ!そう簡単にあたしを踏み越えて行かせるもんかよ!」
茜は、ぶん、と腕を振り、炎を爆発させた。
俺は、その背中に頭を下げて、駆け出した。
森を抜け、丘へ向かう。
腕の装置に、小さな通知が浮かんだ。
『味方ダウン通知――領域守備班、三名』
「……三人? もう、落とされたのか」
走る足に、力が入る。
さらに、通知。
『味方ダウン通知――守備班、残り二名』
(……マズいわね)
『分かっている。もっと急ぐぞ』
俺は歯を食いしばり、丘を目指した。
⸻
そのころ、湖の方角。
凛は、息を切らしながら、氷の橋の上に立っていた。
「……『この範囲で、拘束を禁じます』では、広すぎますね」
千草の蔦が、変幻自在に身を揺らす。
宣言の範囲が広いほど、効力は薄まる。
それは、凛自身もよく理解していた。
(ならば、範囲を狭める)
凛は、今度は自分の靴の先へと意識を集中させた。
「――この一歩分で、拘束を禁じます」
宣言は小さく、それでも確かに強く、足元の空気を固めた。
迫っていた蔦が、その一歩分の空間だけ、すっと逃げていく。
「あら。面白いですね。一歩ずつ、進むのかしら」
「……そうです。踏む場所だけ、一度に一箇所ずつ、確実に」
凛は、蔦を一本ずつかわしながら、橋の上を進んでいく。
千草の目が、わずかに見開かれた。
「……素敵。こんな使い方を、見たことがないわ」
「褒めていただくのは、勝ってからです」
凛は一歩、また一歩と進む。
しかし――。
その背後の水面から、氷の手のようなものが、すうっと伸びた。
「……っ!」
宣言の範囲の外。
氷の手が、凛の足をつかんだ。
「あら。でも、これは『拘束』ではなくて、『引きずり込み』ですよ」
千草の声は優しく、少しだけ申し訳なさそうだった。
凛の体が、湖面へと引きずり込まれる。
腕の装置が赤い光を点滅させ、やがて静かに消えた。
『ダウン』
水面に沈む直前、凛は悔しそうに笑った。
「……悔しいですね。でも、少しだけ、時間は稼げました」
⸻
丘の頂上は、焼けていた。
無事な場所を探すほうが難しいほど、地面は荒れ果てている。
俺は駆け込むと、思わず足を止めた。
頂上の旗は、まだ立っていた。
その周囲では、緑色の蔦が、旗を囲むように蛇のごとくうごめいている。
そして、その前に。
小柄な少女が、たった一人で立っていた。
茶色のショートボブ。
見覚えのある後ろ姿だった。
「……小春さん!」
「あ……ミヤビちゃん……」
振り返った小春の頬には、細い傷が走っていた。
腕の装置は、危険を示す深い赤色。
これ以上攻撃を受ければ、確実にダウンする。
小春を取り囲むのは、空色のローブをまとった三人の上級生だった。
その周囲の地面には、俺たちのクラスの守備班が倒れている。
「あらあら、まだ立つの? 頑張るのね、一年生は」
一人が、小春を見下ろして笑った。
「でも、わたしたちには勝てないよね。強がらないで、さっさと倒れたら?」
「……いやだ。みんな、頑張ってたもの」
小春は、震える足で一歩前に出た。
「最後まで、ここを守る。そう決めたんだもん」
「ちょっと、生意気ね」
空色のローブの一人が、ゆっくりと指を振った。
水の弾丸が、小春の腹を打ち抜く。
「……っ、あ!」
小春が膝をついた。
腕の装置が、強く赤い光を明滅させる。
けれど――ダウンの音は鳴らなかった。
「ふふふ、ギリギリで止めてあげる。簡単に退場させてあげないわ」
「……まだ、やれる……!」
笑う女子たちの声が、耳にまとわりつく。
その光景を見た瞬間。
俺の中で、何かがぷつんと切れた。
『……お前。今、俺と同じ顔をしているだろ』
(――当然よ)
低く、氷のような声だった。
(代わるわよ。今回だけは、文句は言わせない)
『……止めない。行け』
(はい、交代)
視界が揺れる。
肩幅が狭まり、髪が肩へと落ちる。体の重心が変わり、さっきまでの重さが嘘のように消えていった。
私は、ゆっくりと歩いていった。
旗の前の空気が、ぶるりと震える。
「あら……? さっきまでの男の子は、どこに行ったの?」
空色のローブの上級生が、振り返って首を傾げた。
「ミヤビちゃん……?」
小春が、かすれた声で私の名前を呼ぶ。
「ごめんね。遅くなって」
私は小春の前にしゃがみ込み、頬の傷を指先でそっと拭った。
「ここは、もう大丈夫。よく頑張ったわね」
「……でも、みんな、負けちゃった。ここだけは、守らなきゃって……」
「大丈夫。ここからは、私の仕事よ」
私は、ゆっくりと立ち上がった。
「あら。手強そうな子が来たと思ったら……さっきの子ね。会長が言っていたわ。変身系なのに、魔法も使うとか」
「とってもよく見ているのね」
私は、空色のローブの上級生たちに微笑んだ。
「でも、ちょっと――おいたが過ぎるわ」
空気が凍りついた。
「……何を。先輩に向かって、なんて口を――」
「あなたたち」
私は、相手の言葉を遮った。
「この子を、ここまで傷つけてきたことは分かっているわ。詳しい事情なんて、もう聞かなくていい」
指先を、ひとつ、ひらりと振る。
「――ただ、許さないだけ」
すうっと、空気の質が変わった。
三人の上級生の目が、ゆらりと揺れる。
「……あれ?」
最初に動いたのは、水を操っていた上級生だった。
彼女は腕をこわばらせると、水の弾丸を――隣の女子へと向けた。
「ちょっ、何を――!」
水が弾ける。
隣の女子が反射的に放った風の刃は、もう一人の肩をかすめた。
「やめ、やめて! どうして、そっちを――!」
三人の手が、勝手に互いを狙う。
水の弾丸が飛び、風の刃が走り、氷の槍が空を裂いた。
頭では分かっている。
自分が何をしているのかも、誰を攻撃しているのかも。
それなのに、体が言うことを聞かない。
「これが私の力。滅多に使わないと決めているけれど……今回は特別よ」
私は、静かに告げた。
「あなたたちがやったことを、自分たちで味わいなさい。しっかり、すべてね」
鈍い音が、立て続けに響いた。
三人の腕の装置が強く赤く光り、順番に消えていく。
『ダウン』
『ダウン』
『ダウン』
三人の上級生は、続けざまに膝をついた。
――守備班をいたぶっていた三人は、これで排除された。
(……お仕置き、完了よ)
『……今回だけは、止めなかった。そこは忘れるな』
(あら、珍しい。お説教じゃないの?)
『……俺も、同じ気持ちだった』
その言葉に、私はほんの少しだけ笑った。
⸻
私は小春のもとへ戻り、そっと抱き上げた。
「あっ。ミヤビちゃん、自分で立てるよ」
「無理しないの。お腹も、傷ついているでしょう?」
「……でも、旗が……」
「大丈夫。この旗は、まだ――」
そこまで言いかけて、私は口を閉じた。
守備班は全員ダウン。
茜と凛も、すでに通知が届いている。
このまま試合を続ければ、小春をさらに傷つけることになるかもしれない。
私は小春を抱いたまま、丘の頂上を見上げた。
まだ立っている、赤い旗。
これを守る。それが、このゲームのルール。
でも――。
「……ヒナタ会長。聞こえている?」
私は、空に向かって静かに声を上げた。
「みんなを傷つけてまで、勝ちたくはないの。このクラスは、降参するわ」
『……何を言っている。旗は、まだ――』
(旗より、この子の方が大事よ)
『……もう、そう言うと思っていた』
(なら、確かめる必要もなかったでしょう?)
『……俺も負けず嫌いではあるんでな』
(知ってるわ。私も負けず嫌いよ。でも今回は仕方ないの)
しばらくして、スピーカーから静かな声が返ってきた。
「……一年A組、降参を受理します」
ヒナタ会長の声だった。
いつもの元気で明るい調子は、どこにもない。
琥珀色の目が、どこかでこちらを見ている。
そんな気がした。
「この試合、勝者は――三年A組」
スピーカーの声が、演習場全体に響き渡った。
私は小春を抱き締め、ゆっくりと丘を下り始めた。
「……ミヤビちゃん、ごめんね。私、みんなの役に立てなかった」
「謝らないで。小春が一番、頑張ったわよ」
小春の目から、涙がこぼれた。
けれど、その顔には、ほんの少しだけ安堵の色が浮かんでいた。
「ありがとう……ミヤビちゃん」
「……うん。今は休んでいて」
小春の目が、ゆっくりと閉じていく。
私の腕の中で、小さな寝息が立ち始めた。
⸻
丘の下。森の入り口。
そこに、水色の髪の上級生が静かに立っていた。
「……ここまでとは、思わなかったよ。ミヤビくん」
ヒナタ会長の琥珀色の目が、静かに細められる。
「でも、早いうちに、ちゃんと話をしよう。この試合のこと。それから、小春ちゃんのことも」
私は笑った。
けれど、その目は笑っていなかった。
「あら。水色の髪の会長さん。先に言っておくことがあるわ」
「うん?」
「……このクラスを傷つけた人たちは、許さないから」
琥珀色の目が、わずかに笑った。
「うん。分かった。でも、あなたのことも、もっと見せてもらうね」
私は小春を抱く腕に、そっと力を込めた。
――この試合は終わった。
けれど、ミヤビを巡る物語は、まだ始まったばかりだった。
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