第14話「森の斥候と、上級生の罠」
フラッグバトル前日。
放課後の教室には、クラスの生徒たちが残っていた。
黒板には、凛が描いた演習場の簡易地図がある。森、丘、湖、そして廃墟。地形と各所の位置関係が、細かく書き込まれていた。
「――こちらの旗は、この丘に立てます。小春さんの能力と相性がいい森のエリアを、最初の前線にしましょう」
凛の指示棒が、地図の上を滑る。
「斥候は、機動力と突破力があるミヤビさんと茜さん。後方は小春さんと私が中心となって固めます。小春さんは植物を使った防御と索敵をお願いします」
「う、うん! がんばる!」
小春が、ぐっと拳を握った。
その周囲では、クラスメートたちが攻めと守りに分かれ、それぞれの役割を確認している。
(……私の出番はないの?)
『お前が出ると、戦局のバランスが崩れる。今回は引っ込んでいろ』
(でも、私好みの子たちが危ないときは出るわよ)
『……勝手にしろ』
俺は、腕につけた装置をもう一度確かめた。
青い光が、静かに明滅している。
「……では、明日に備えて、今日は早めに休みましょう」
凛がノートを閉じた。
その目には、わずかな自信が宿っていた。
作戦は立てた。
あとは、実戦でどこまで通用するかだ。
*
決戦の朝。
森のエリアは、朝露で湿っていた。
空気はひんやりと冷たく、木々の間から朝日が細く差し込んでいる。
『――フラッグバトル、開始!』
スピーカーから、ヒナタ会長の元気な声が響いた。
「行くぞ、茜!」
「おう!」
俺と茜は、同時に森の奥へと駆け出した。
「小春、索敵を頼む!」
「うん! ――お願い、みんな。お話を聞かせて!」
後方では、小春が地面に手をついていた。
さわさわ、と足元の草が揺れる。
その波は、木々の根元を伝いながら、森の奥へと広がっていった。
「……見つけた。前に三人、右に二人。でも、動きがちょっとおかしい」
「おかしい?」
「うん。踏み込んでこないの。まるで、こっちを待っているみたい」
報告を受けた凛が、素早くノートを開いた。
「……足止めですね。上級生は、こちらの斥候がどう動くか読んでいるのでしょう」
「だとしたら、本命は別の方向か」
「その可能性が高いです。皆さんには正面の警戒を強めてもらいます。ミヤビさん、茜さん。まずは前方の三人を押さえてください」
「任せろ!」
茜が拳に炎を灯し、勢いよく飛び出した。
俺も、その背中を追う。
森の中で、最初の衝突が起きた。
*
待ち構えていたのは、三年生の三人組だった。
風を操る生徒。氷を操る生徒。そして、地面から拘束用の蔓を生み出す生徒。
「あらあら。よく来たわね、一年生」
緑のローブを着た上級生が、くすくすと笑った。
見た目はおっとりしているが、足元から伸びる蔓の動きには無駄がない。明らかに実戦慣れしている。
「……ここで、俺たちの足を止めるつもりか」
「さあ、どうでしょう。でも、あなたたちには、ここで少し遊んでもらいたいわね」
上級生が指を動かした。
直後、頭上から氷の槍が降ってくる。
「わっと!」
茜が炎を放ち、氷の槍を弾き飛ばした。
俺も拳を振るい、迫ってきた一本を叩き折る。
その瞬間、腕の装置が黄色く点滅した。
「……少し、ダメージを受けたか」
「やるじゃねえか! こいつらの攻撃、連携してるぞ!」
「ああ。風で軌道を変え、氷で攻撃し、蔓で動きを封じる。かなり厄介だ」
俺は、足元に視線を落とした。
地面を這う蔓が、少しずつ俺たちの退路を塞いでいる。
「茜、足を止めるな。一度でも捕まったら、身動きが取れなくなる」
「分かってる! あたしを何だと思ってんだ!」
茜が両手を振り上げた。
赤い炎が爆発し、地面を這っていた蔓を焼き払う。
だが、敵の攻撃は止まらない。
風が吹き荒れ、木々の枝が大きく揺れた。
「……ミヤビちゃん、茜ちゃん! 上、気をつけて!」
小春の声が響いた。
緑のローブの上級生の背後で、木々がざわりと揺れる。
次の瞬間、鋭い風の刃が頭上から襲いかかってきた。
「――茜、伏せろ!」
俺は茜の肩を押した。
茜が地面に転がる。
風の刃が、俺の背中をかすめた。
腕の装置が赤く点滅する。
「……一発で、ここまで削られるのか」
ダメージの表示は、すでに半分近くまで進んでいた。
「あら、いい勘をしているのね」
緑のローブの上級生が、少しだけ目を細めた。
「でも、ここは通しません。だってあなた、会長から聞いているより、ずっと危険そうなんだもの」
(……茜ちゃんや可憐な先輩方の前で、格好の悪いところを見せるわけにはいかないんだけど)
『……黙っていろ。今は俺が対処する』
(はいはい……まだ我慢してあげるわ)
俺は拳を構え直した。
ここで突破できなければ、敵の思惑どおり足止めされることになる。
だが、敵の連携は想像以上に厄介だった。
*
一方、後方では小春が森の中に立っていた。
足元から伸びた蔓が、頭上に届くほどの高さまで成長している。
幾重にも重なった植物の壁が、飛来する魔法や攻撃を受け止め、勢いを弱めていた。
「……すごい。小春さん、いつの間にここまで精度を上げたのですか?」
凛が、感心したようにつぶやく。
「えへへ。ミヤビちゃんに教えてもらったから」
「ミヤビさんに?」
「うん。『たくさん、お話してあげてね』って。だから、いっぱいお話ししてみたの」
小春は照れたように笑った。
けれど、すぐに表情を引き締める。
「……でも、変なんだ」
「何がですか?」
「この森に、もう一つ、魔力を感じるの。前にいる人たちとは違う。こっちじゃなくて、別の方向に向かっているみたい」
「別の方向……?」
「左。湖のある方角」
凛が眼鏡を押し上げた。
「……なるほど。正面の斥候を足止めしている間に、別働隊が側面から回り込む。想定していた作戦です」
「じゃあ、どうするの?」
「左側の防御に人を回します。ただし、こちらの人員を割きすぎるわけにはいきません」
凛は地図を思い浮かべるように、森の奥へと目を向けた。
「私が行きます。小春さんは、ここで防御と索敵を続けてください。敵の動きを見逃さないように」
「でも、凛ちゃん一人で大丈夫?」
「大丈夫です。私には、私のやり方がありますから」
凛はノートを抱え直すと、湖の方角へ走り出した。
小春はその背中を見送ったあと、再び地面に手をついた。
「……みんな、お願い。誰も通さないでね」
植物の壁が、ゆっくりと揺れた。
*
湖へ続く道。
凛が森を抜けると、目の前には水面を横切る氷の橋が伸びていた。
その上を、数人の上級生が歩いてくる。
「……やはり、こちらでしたか」
凛は足を止めた。
先頭に立つのは、緑色の髪をした穏やかな少女。
生徒会副会長の千草だった。
「来たわね。あなたが一年生の中で、一番頭が回る子かしら?」
「……千草先輩。最初から、こちらの動きを読んでいたのですね」
「ええ。正面から来る斥候を足止めして、その隙にこちらから回り込む。よく考えられた作戦だと思いますよ」
千草は穏やかに微笑んだ。
しかし、その目は笑っていない。
「だからこそ、こちらも最大限の敬意を込めて、相手をさせてもらいますね」
千草がゆっくりと手を上げた。
地面が、さわさわと震える。
凛の足元から蔓が伸び、一斉に絡め取ろうとした。
「――ルールの宣言を使います」
凛は素早く地面に手を触れた。
「この範囲内では、対象を拘束する行為を禁じます!」
空気が、きしりと張り詰める。
蔓の動きが、目に見えて鈍くなった。
「あら。面白い能力ですね」
千草は感心したように目を細めた。
「でも、すべてを抑え込めるわけではないでしょう?」
千草が手を振り下ろす。
蔓は凛の体を直接縛ることを避けるように、周囲の地面を覆い始めた。
道が塞がれていく。
拘束ではない。
ただ、進める場所がなくなっていくのだ。
「……っ」
凛は一歩後ろへ下がった。
腕の装置が、黄色い光を点灯させる。
「ルールの抜け道を使うつもりですか……」
「ふふ。戦いでは、ルールを守るだけでは勝てませんから」
千草は穏やかな声で告げた。
「ルールの中で、何ができるか。それを考えることも大切ですよ」
凛は唇を引き結び、ノートを開いた。
「……そうですね。なら、こちらも別の方法を考えます」
その目から、迷いが消えた。
*
森の前線では、戦いが激しさを増していた。
俺は風の刃を拳で弾き返しながら、茜と連携して三人の上級生を押し返していた。
だが、腕の装置は、すでに赤く点滅している。
これ以上攻撃を受ければ、ダウン判定が出てもおかしくない。
「あらあら。ここまで戦える一年生は、珍しいわね」
緑のローブの上級生が、ゆっくりと指を鳴らした。
再び、地面から蔓が伸びる。
俺がそれを避けた瞬間、風の刃が横合いから飛んできた。
拳で弾く。
だが、その隙を狙って、氷の槍が茜の背後へ回り込んでいた。
「――茜、後ろ!」
「えっ?」
茜が振り向く。
遅かった。
氷の槍が、すぐそこまで迫っている。
茜の腕の装置も、危険域を示す赤い光を放っていた。
このままでは、装置の判定だけでは済まない。
魔法の余波で、本当に怪我をする可能性がある。
『――手を貸してくれ』
(やっと、私の出番ね)
『今回だけだ。すぐに戻れよ』
(はいはい。交代)
――視界が揺れた。
髪が肩に落ち、体が軽くなる。
茜の背中に手を伸ばした。
迫り来る氷の槍。
その先端が、私の指先に触れる。相手の術式に干渉する。
――きらり。
氷の槍は、砂のように崩れ落ちた。
「……え。あんた、いつの間に……」
茜が目を見開く。
「あら。可愛い子が困っていたら、つい助けたくなっちゃうのよ」
私は微笑みながら、茜の腕に目を落とした。
「怪我は大丈夫? 腕輪の光がが嫌な赤色になってる。やられちゃう前に、一旦、下がってくれる?」
「……う、うるせえ。さっさと、指示しなよ」
茜の耳が、真っ赤に染まった。
「あら、素直じゃないのね」
「うるせえ!」
私は小さく笑い、上級生たちへ視線を戻した。
「この子たちを、これ以上傷つけたくないの。だから、ここは通してもらえるかしら?」
指先をひと振りする。
迫っていた風の刃が、ふわりと消えた。
緑のローブの上級生が、わずかに目を見開く。
「……今の、何?」
氷を操る上級生も、思わず一歩後ろへ下がった。
「魔力の質が、さっきまでと違う……。それに、魔法を消したというより、私が解除したような……。会長が言っていたのは、このこと?」
「あら。ずいぶん有名になったものね、私」
私は楽しそうに笑った。
「麗しいあなたともう少し遊びたいけれど、やりすぎはよくないわよね。また今度。お茶でもしましょう」
上級生の手を取り手の甲にキスをした。
これ以上力を見せるつもりはない。
ここで相手を全員倒してしまえば、色々面倒なことになってしまうだろう。
「――はい、交代」
視界が揺れ、肩幅が広がる。
体が、再び重さを取り戻した。
『……最後の一言は、必要なかっただろう』
(可愛い女の子には手をつけておかないとね?)
『相変わらずなやつめ』
俺は拳を構え直した。
「……茜、行くぞ。ここからは真剣にやる」
「おう! あんたに何度も助けられてばかりじゃ、立つ瀬がねえっての!」
茜が拳に炎を灯す。
今度は、ただ勢いに任せて突っ込むのではない。
俺と茜は、互いの動きを確認しながら、同時に地面を蹴った。
赤い炎が、緑のローブの上級生の魔法を正面から打ち破る。
「……やるわね。でも、まだ終わりじゃないわよ」
上級生は静かに微笑んだ。
そのときだった。
腕につけている装置が、甲高い警告音を鳴らした。
装置は通信機能も兼ね備えている。
ピッ、ピッ、ピッ!
「……何だ?」
俺は思わず手首を見た。
ダメージによる警告音とは違う。
装置の表示が切り替わり、クラス全体に関する警告が点滅している。
「うちの陣地で、何かあったのか……?」
俺は顔を上げた。
後方。
クラスの旗が立つ、丘の方角。
木々の向こうで、黒い煙がゆっくりと立ち上っていた。
そして、その下には――赤い炎。
「……やべぇぞ。あれはあたしの炎じゃねえ」
茜が呆然と呟いた。
俺は拳を握りしめた。
丘の頂上。
俺たちの旗がある場所から、炎が赤く、ゆらゆらと上がっていた。
正面の敵は、まだ目の前にいる。
湖側では、凛が千草と対峙している。
そして、俺たちの陣地で何が起きているのかは、ここからでは分からない。
『……やられたな』
(ええ。正面の足止めも、湖側の別働隊も、全部このためだったのかもしれないわね)
俺は、煙の立ち上る丘を見つめた。
作戦は読まれていた。
いや――最初から、俺たちがそう動くことまで計算されていたのか。
旗争奪戦は、まだ始まったばかりだった。
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