第42話・ニックの華々しい過去と苦い過去
ニックは舞い上がっていた。
一代貴族でも男爵位だ。
平民としては大出世である。
爵位授与式の当日に正式な書類に署名をして正式に男爵となる。
前日にリコルディ男爵に前祝いに呼ばれた。
玄関ホールに入ると、珍しく男爵の嫌味な側近が待っていた。
深々とお辞儀をしながら、ついてくるようにニックに促した。
応接室に向かう廊下を進む。
「いやあ、荷馬車引きの息子が男爵とは。大した出世ではないか」
胸をチクリと刺す言葉。
側近は口元は笑っているが、目は笑っていない。
「しかし不思議なものだな。お前の父親は荷物を右から左へ運ぶだけなのだろう?」
ニックは喉元までせり上がってきた言葉を無理やり飲み込む。
「父は運送屋だ」
側近への言葉遣いを怠ってしまう。
それほどまでに余裕のないニック。
「同じことではないか。馬車の手綱など、少し教えれば誰にでも握れる」
「そんなことはありません。⋯⋯応接室へ急ぎましょう」
ニックは怒りで手が震えたが、ギリギリ抑え込む。頭に血がのぼったのをなんとか戻そうと、荒い息を整える。
いつもの嘲笑うかのような表情を側近は作った。
ニックは彼から視線を外そうとする。
「家具を作れる息子と違って、父親には何の才能もなかったわけだ」
「父は立派な人だ。職業で何でも決めつけるな!」
頭が真っ白になっていた。
気がついた頃には、側近に向かって拳を振り下ろしていた。ニックの拳は側近の頬にめり込む。
大きな音を立てながら側近は床に倒れ込んだ。
「ああぁぁぁ、痛い!! やめてください!」
側近のいかにも怯えたような震える声。
殴られた頬を大げさに手で覆っている。
ニックは後ろから腕を押さえられた。
あの家具職人だった。
「お前はいつもすぐに手が出るんだから。
少しは抑えろ!」
「違う、手を出したのは初めてだ。こんなに侮辱されたことは一度もない!」
たまたま明日の段取りのことについて来ていた王城の使者とリコルディ男爵が部屋から顔を出していた。
すぐさま複数の人がニックを捕まえる。
しばらくしてようやくニックは自分のしてしまったことを実感して、青ざめた。
* * *
馬車はリコルディ領へ向けて、左右に音を立てながら揺れている。
「その後、話を聞かれたり、身辺調査みたいなものもされて、結果的には男爵位の話はなくなりました」
「父親には⋯⋯」
「言えるわけがありません。短い手紙を送ったきりです」
それから、家に帰ることもなくなったニックは流民のようにその日仕事をしながら、リコルディ領を離れる準備をした。
そこでクアココット男爵が使用人を募集していた。
それはニックにとって理想だった。
クアココット領は静かな自然溢れるところだと聞いていた。悪く言えば田舎だ。
給金はいくらでもよかった。
寝るところがあって、ご飯が食べられればいい。
ニックはすぐにクアココットに向かった。
大きな鞄一つ。それがニックのすべてだった。
手の中にあった残り少ないお金で荷馬車を借りた。馬車は高すぎて借りられなかったから。
そこでメルリアと会った。
最初は聡明な子だと思っただけだった。
そのうちニックの仕事を見るようになった。その姿はまるで昔のニックだった。
興味で目が爛々と光っている。
『これはなあに?』
──蝶番を直してだけだ。
もうキィキィ言わないからぐっすり眠れるように。
『ニック、凄い』
──枝の剪定なだけだ。
小さな子の目に枝が入らないように。
『何でもできる』
──薪割りなんて誰でも出来る。
竈にも暖炉にも使える。これで皆困らない。
『シゴデキ』
──桶を直して、水のろ過できる仕組みを改良しただけ。
少しでも温かい湯で身体を拭いてほしいから。
なんだか知らない言葉も話していたが、幼児の言葉だ。
そんなメルリアに褒められて嬉しかった。
「お嬢様は私が何をやっても褒めてくれた。それこそ大工仕事でもないことまで、心の底から驚いて、嬉しそうに笑ってくれた」
家具職人だと知っている人は家具を見て、それは、それは褒めてくれた。
そのニックから家具を取ったらどうだろうか。
何も残るわけがない。
そう強く信じていたニックは大きな喪失感を抱えていた。
だが、メルリアは何も知らない。
ニックそのものを見て褒めていたのだ。
そのことがニックの心に温かく沁みた。
それは絶対的な信頼になった。
「その時、私は心に決めたんです。この人に尽くそうと。お嬢様は私の女神なんです。だからリコルディ男爵にはどんな話であろうとお断りしようと思っています」
ニックの口が静かに閉じた。
そこまでの間、アーノルドとバルドは口を一切挟まずにじっと聞いていた。
「何かあったときは俺が責任を取ってやる」
「旦那、心強いです」
「俺とバルドは王立軍第五部隊にいたんだ」
第一部隊は伯爵家以上の貴族令息で構成されたいわばエリート軍。王族や式典の時に行進に参加するお飾り部隊だ。
第二部隊はそれ以外の貴族で構成された部隊。だが、見た目と高位貴族で第一部隊を警護するような立ち位置だった。
主に軍として働き始めるのは第三部隊から。
第三部隊は王都周辺。
第四部隊は主要都市周辺。
第五部隊は、何でもあり、だ。
「それこそ戦う相手は人間だけじゃない。ダンジョンや魔物の森で異常繁殖した魔物たちとも戦った」
そして二人には通り名が付いた。
バルドが説明する。
ニックが呆然としている。
「旦那についたのが“紫眼の殲滅者”。そしてバルドさまは“万砕の剛腕”!?」
アーノルドは居心地が悪そうに腕を組み替える。どれほど戦場で暴れ回ったのだろうか。メルリアが聞いたら、吹っ飛びそうだ。
「殲滅したのはゴブリンの巣だけだ。それにバルドの通り名はぴったりだろう?」
バルドは鉄壁の笑顔で返す。バルドの隆起した二の腕がぴったりとしか言いようがない。
「いえ、アーノルド様こそ、魔物の森でも掃除人のごとく端から殲滅していったではないですか」
アーノルドは咳払いをする。
頬が少し赤いのは照れているのだろう。
「あまり通り名は出したくないが、かなり有名な名だ。必要があれば話に出す」
名前を出したくない理由は、王立軍に本気で取り込まれる可能性が高いから、逃げ回っているのだそう。
ニックはようやく顔を緩めて、笑い始めた。
アーノルドの“紫眼の殲滅者”とバルドの“万砕の剛腕”は生成AIからアイディアをもらいましたm(_ _)mネーミングが思いつかず、すみません。
【二角の余談話】
このお話の初めの方でメルリアはニックが何をしても褒めてくれて嬉しいみたいなことを言っていたんですが、知らないうちにニックにも同じことをしていたんですね(^^)
次回の二角的イチオシシーンは
男爵は応接室の扉を触った。
「何でも没落したお屋敷にあったものだと聞く。クアココット男爵家から出てきたと。私は確信したよ。君の作品だとね。ようやく君にたどり着いたんだ」




